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播磨陰陽師の独り言・第三百二十六話「裏日本橋電気屋街」

 インベーダーゲームが流行っていた頃は、かなり大胆な売り方をしていたそうです。私の前の世代の話で、よく社長などから聞いていました。
「あの頃はなぁ、日本橋から中古のモノクロテレビを安く買ってバラし、ゲーム筐体を作って、一台50万円くらいで売ってたんや」
 コストは基板こみでも数万円程度だったそうです。こんな商売だったので、儲かる筈です。儲かり過ぎて、笑いが止まらなかったそうです。
 ゲーム機に入った一晩の売り上げで、一億円の豪邸を建てた人の噂話もありました。ただの都市伝説だと思っていましたが、ある時、そのことを社長に尋ねると、
「あぁ、あれか。ほんまのことやで、わしのことや」
 と笑いました。社長は百万円を超える金の腕時計をしていたので、本当のことだと思いました。
 当時、日本橋に〈裏日本橋〉と呼ばれる場所がありました。今の小学校が建っているエリアで、前は倉庫ばかりが建て込んでいました。そんな中のひとつの倉庫に、営業のKさんに連れて行かれたことがあります。
 Kさんは倉庫の扉を叩くと、小さな窓が開き、声がしました。
「暗号は?」
 その言葉にKさんが何やら答えると、大きな音がして扉が開きました。
 この倉庫に来た理由は、ゲーム開発の参考のためです。営業のKさんに、
「次に作るゲームの参考に、アメリカで売られているゲームを見たいのですが、どうしたら良いですか?」
 と尋ねると、
「それなら裏日本橋に密輸されたのが一台あるわ」
 と笑っていました。そして、噂の裏日本橋に連れて行かれたのです。
 倉庫の扉が開くと、あるわあるわ、ありとあらゆるゲーム機が、ところ狭しと積まれていました。その多くは海外のゲーム業界誌で写真しか見たことのないものでした。もちろん、日本には、まだ入って来ていません。どれもがコピー待ちだそうで、やがて違法にコピーされてタイトルが変更され、巷に出回る予定だそうです。あの時代は、そんなことが普通になっていた、ある意味、妙な時代でした。
 
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