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近世百物語・第三十九夜「福の神」

 高校生くらいの頃、道端で福の神のようなものに出会いました。
 その日は雪が降っていました。学校からの帰りに歩いていると、足跡が深く雪に残ってゆきます。十勝平野に雪が降ると、普段よりは、いく分、暖かい感じがするものです。
 厳寒と呼ぶに相応しい寒さは、空も凍りつくのか、雪は降りません。ただ、空気中の水分が凍って、キラキラと光を反射するだけです。これはダイアモンド・ダストと呼ばれています。こんな日は息をしても鼻に細かな氷しか入って来ません。

 あの日の夕方は、雪がしきりに降っていました。学校近くの公園の道を歩いていました。
 その日、何があったのかについては覚えていません。ただ、とてもイライラして腹を立てていました。最悪な気分のまま、しかも降りしきる雪の中を歩いています。すると、道の向こうから大きな荷車を引いた老人が、ゆっくりとこちらに向かってやって来ました。
 十勝平野は田舎いなかです。荷車はそれほど珍しくありません。しかし、それに積んでいた物が少し奇妙な感じがしました。と言うのは、珊瑚さんごだとか大きな袋のような物が見えたからです。
——昔の絵にある宝物の荷車のような感じだな。
 と、その時、思いました。
 時代は、もう江戸ではありません。モノクロのテレビは総天然色に進化して、最初のパソコンがそろそろ売られる時代のことです。ですが、それを見てしまったのです。荷車の老人は、どんどん私に近づいて来ました。深いわだちが雪の中についてゆきます。雪は激しさを増して、すでに吹雪きになる様子。
 その時、ふと、
——この、おじぃさんは、どこから来たのだろう?
 と思い、顔をあげると目が合いました。
 一瞬、風が緩やかになって、雪がゆっくりと落ちてゆきます。
 すると、おじいさんが、
「おぉ、ひどい雪じゃのぉ」
 少し口ごもるような感じでつぶやきました。声は東北弁のように聞こえました。古語のような気もしました。
 私は、
「ええ、ひどい雪ですね」
 と答え苦笑いしました。
 すれ違うと、その時、私の中の何かがはじけるような気がしました。気持ちの良いような、とにかく暖かな気持ちになったのです。
 その瞬間、
——そうだ、荷車の後ろを押してあげよう。
 と思いました。
 振り返ると、もう荷車はありません。老人もどこにもいません。消えていたのです。
——幻覚まぼろしを見たのか?
 と思い道路を見ました。
 そこには、私とその老人の足跡と荷車のわだちがクッキリとついていました。しかし、老人の足跡も荷車の轍も、今、私の立っている位置で消えていたのです。
 雪が次第に激しく降って、まもなく足跡も埋もれて消えてゆきました。
 ふと、老人の顔を思い出すと、気の所為せいか大黒天のような感じがしました。

 家に帰ってから、すぐに祖母に会いにゆきました。当時、祖母は隣の叔父の家に住んでいたのです。
「おばぁ……今日、大黒天様のような不思議な老人に出会ったけど、そんなことってあるのだろうか?」
「大黒天でも、恵比寿天でも、どこにでもおるわい。それは福の神と言う種類の不可思議気なるものじゃて」
 祖母はそう言って笑いました。
「だとしたら何しに来たのかなぁ?」
「お前が愚か者じゃ故、野狐やこにでも化かされたのと違うか」
 その時、少しムッとしたので、
「こないだ読んだ本に、十勝にはキタキツネしかいない書いてあったぞ。あれも化かすのか?」
 と言いました。
 すると、
「生はんかに、勉強ばっかりしくさって、本は間違いが多いと教えたろうが。それに野狐やこは動物の狐のことじゃない」
 と怒られました。確かに化かす狐と動物の狐は違うものです。当時、そのことを忘れていました。もちろん、化かす狸も動物とは違います。ただの動物にはそんな力はありません。

 しばらくして後のことです。また、あの時のことを祖母に尋ねたことがあります。
 祖母は、
「霊力を持つ者が、自分の怒りを抑えられずに好き勝手にイラついては、迷惑するものも多いでな」
 と笑いました。
 それから、
「あれは、そんな者に憑依とりついて、嘘を信じさせるか、人の姿を見せて落ち着かせる種類のものじゃて」
「えっ?」
「いづれにしても神と言うより、ただの福の神じゃな」
 と言って笑いました。
 私は、少し不思議に思ったので、
「福の神は、神ではないのか?」
 と尋ねました。
 すると、
「あれは、桃太郎と同じ種類のものじゃ」
「?」
「人の言葉がつのりて、自ら心を得るものじゃな」
 人の言葉や想いが募ると、ただの噂話が現実になります。それが良いものなら福の神になるでしょう。そして怖い噂なら現実の怪奇現象を引き寄せるのです。だから実話ではない『四谷怪談』のお岩さまが、現実世界で祟るのです。これは心霊現象の不思議な特徴のひとつです。
 私は祖母の言葉に軽くうなづきました。
「へぇ、そうなの」
 すると祖母はニヤリと笑い、
「人に福をもたらす故、福の神と呼ばれるが、正確には、神でも物怪もののけたぐいでもない」
 と、説明しました。
 そして、
「いづれは、桃太郎が挨拶に来て、お前にこの世界のことわりを教えるかも知れぬ」
 と続けました。
「桃太郎がやって来る?」
「もちろん夢の中の話じゃが」
 その時は、どう言う意味なのか、まったく分かりませんでした。やがて、大人になってから、実際に桃太郎の夢を見て理解することとなりました。そのお話は、いづれ機会のある時にでも……。

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