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サイレンと花火

私はサイレンの音が大嫌いだ。寝るときに聞こえる救急車の音、消防車の音、耳にこだまして頭の中でがんがん鳴る。

甲子園で試合が始まる前にサイレンが鳴る 私はあれが苦手だ

ちいさいころ、「火垂るの墓」を観た。全然怖いと思わなかった。かわいそうだなあとは思ったかもしれないけれど。

私がちいさい頃は毎年夏は必ずテレビで「火垂るの墓」をやっていた。いつからだろう。夏に放送されなくなったのは。

それから数年後わたしは沖縄に旅行に行った。はじめてひめゆりの塔に行った。ひめゆりの塔に行く前に、ひめゆり学徒隊のはなしは軽く勉強してからいった。かわいそうだなあとおもった。同時に、歴史に触れるんだというワクワクさがあった。

ひめゆりの塔にいった。ひめゆりの塔では、ひめゆり学徒隊だった女性が戦争体験を語っていた。展示されていたものと、おばあさんの話は小学生の私にはあまりにもなまなましく聞いていてどんどん気分が悪くなってきた。その日せっかくの沖縄旅行だったけれど体調がすっかりわるくなってしまった。家に帰ってしばらくは、沖縄のお土産を見るのもつらかった。きれいな沖縄の砂がつまった小さな瓶もわたしにとっては「つらい沖縄の思い出」のひとつになった。

わたしは戦争をこわいとおもった。こわくてきもちわるくてだいきらいになった。

学校の教室には、原爆資料館に展示されている止まってしまった時計や溶けかけた兵隊さんのお弁当などの写真が飾られていた。国語の授業で、戦時中を題材にした文章を扱ったから。わたしは、きぶんがわるくなった。だからその写真がある方向は見れなくなった。このころから、夏「火垂るの墓」のCMが流れるとリビングを離れ自分の部屋の布団に隠れるようになった。

だから私はサイレンが嫌いだ。

図書館にいくと真っ赤な背表紙が印象的な「はだしのゲン」がずらーと並んでいた。こわかったからできるだけ、そこは避けるように歩いた。

歴史の資料集はわたしの敵だった。紫色は近代の反省の詰まった色だった。紫色に塗られたページには戦争の記憶が詰まっていた。だから紫色のページは避けた。

おとなになって、夏に文房具屋さんにいった。空襲の音がした。文房具屋さんで、空襲音を聞くとは思わなくてス―――ッと血の気が引いた。寒かった。こわかった。耳をふさいだ、すぐにその音のする方から離れようと思った。でもなんで、空襲音なんて聞こえたんだろう。

空襲音なんかじゃなくて、花火の音だった

夏に戦争を体験した人たちの話をまとめた番組がよく放送される。「あちこちのすずさん」という番組で、戦争を体験した自分の母は花火が嫌いだったという話を取り上げていた。

そのきもちがとってもよく分かるようなきがした

私は戦争の体験をしていない。だから戦争の話は、結局実感として理解できない。苦しくて怖くてきもちわるい。そこまでしかわからない、でもそれで十分かもしれない。戦争の恐ろしさをすこしでもわかる人が増えていけば戦争への意識はぐっと変わる。

これから、戦争を体験した日本人はもっと減る。きっとひめゆりの塔には、ひめゆりの体験を語るおばあさんはいなくなる。誰かが継承したお話しか聞けなくなる。それは仕方がないよね、だって人はいつか死んでしまうから。でも、おばあさんの体験をおばあさんの口からきけなくなって戦争への意識が変わるなんてことはあってはいけない

去年の夏、「真夏の少年」というドラマを見た。2020年の高校生が、戦時中である1945年からタイムスリップした三平三平という人物に出会い、「自由」とか「家族」といった現代の社会では当たり前になってしまって逆に意識されない(時々うっとうしい)ものについて再考していくようになるというお話だ。

三平三平は、高校生の日本史の教科書で自分が戦っている戦争が「太平洋戦争に日本は負けて終戦」という文言を見て泣く。自分の仲間が死に、自分が生きるか死ぬかのなかで戦っていたものがあっさりと「太平洋戦争」とまとめられてしまうことに寂しさを覚える。

よくある反戦ドラマになると思っていた。でもどちらかという斗ピントはずっと現代にある。私たちが当たり前だとおもっておざなりにしているものを大切にしなさい 三平はそう教えてくれる。でも私たちは戦争に関しての理解を求められない。三平は戦争に対して2020年の高校生たちに話そうとしないのだ。

なのに、私たちは戦争の悲惨さを理不尽さを思い知らされる。

離れ離れになりたくない人と、理由もないのに離れなくてはならない。

そのつらさを私たち視聴者は思い知らされる。

その切り口が、とても新鮮だった。だって戦争の悲惨さは、戦争の残虐さは戦争の体験を言葉にすることによってでしか伝えられないと思っていたから。

でもそんなことはない。今の私たちが、自分のまわりの当たり前に自覚的になった時に同時に戦争の悲惨さを知ることもできるんだ。

今日も私はサイレンの音は嫌いだ。沖縄も広島もきっと楽しめるし昔より紫色のページを観れるようになったけど、資料館には足を運べない。でも、そんな私でも戦争の悲惨さをつたえ、戦争について考えることは過去を見つめ未来に役立てることはできる気がする。これから大事なことは、いかに悲惨な例を挙げるかじゃない気がする。だってそれは断片にしか過ぎなくて、片側の目線にしかすぎないのだから。

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今度円盤化されるそうです

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