身軽じゃなきゃ、これ以上歩けないので

画像1 「最後」を言い訳に、思いつくままにはしゃいでみたくなった。
画像2 平成のほとんどを子供として過ごした。ただ、はしゃぐために言い訳が必要になったりとか
画像3 好きなように買い物ができたりとか、もう、どうしたって大人になっていて、今は今でしかなくて
画像4 自分の平成を拾い集めようとしても、その新鮮さは過去に感じたままのものではなく、今の目を通した新鮮さだ。
画像5 やり残したことがないわけじゃない。たとえば、蝉の羽化を結局見たことがない、なんて些細なこと。
画像6 でもそうして些細なこととして取りこぼすものが増えてくのは嫌だな、と思った。
画像7 この暑さでも体が腐っていかないのだから、私は常に新しくなっていて
画像8 そのぶん、いらなくなったもの(ということにしておく)をたくさん失ったはずだ。
画像9 身軽じゃなきゃ、これ以上歩けないと思った。
画像10 今、命があるからには、川が冷たいままであるように生きてきたはずだ。
画像11 でも、新しくなるスピードは年をとるにつれて遅くなるようで
画像12 言葉を飲み込むのが苦手になってきた。
画像13 知識が入るのにより時間がかかるようになって、変革の頻度も減っていって
画像14 そういう意味では、素直になれていないのに
画像15 素直なふりでやり過ごすことが増えた。
画像16 それを汚れていくと表現するのは短絡的だ。
画像17 短絡的になりたくはないけれど、常に新しくいることを「子供だったのだ」と片付けることもしないだろう。
画像18 取り込む力が衰えて、そのままなら淀んでゆく
画像19 だから今度は残らず吐き出してやれと私は書く。語ることがなくなったなら、それが私の死ぬ時なのだろう。
画像20 子供みたいに遠慮なくアイスをこぼしながら食べるのも、
画像21 私の責任を他の人がとらなくてよくなったからで、それをわかったうえでのことで
画像22 自由なふりをして
画像23 空がこんなに青いことに
画像24 気づいていなかった。
画像25 平成最後の夏、なんてね、今まで生きてきた日々だって、人生最後の今日だったはずだ。
画像26 そんなふうに大事にしてこられただろうか。
画像27 平成最後の夏って名前をつけて、このなんでもない日々を
画像28 まるでかけがえのないものだったかのように、これからも大切にしつづけられるのだろうか。
画像29 いや、きっと、たぶんやり残したままの宿題とか、幼いなりに書いたラブレターの行き先とか、思い出しもしないくらいきれいに忘れてしまったことを
画像30 さらに思い残さないように、「平成最後の夏」って封をするみたいに、この夏に置いていく。 (写真:bunjo https://www.instagram.com/bunjo__

いいなと思ったら応援しよう!