創作脚本「体温を失うまでの60分」

「体温を失うまでの60分」 黒川 カリン

【登場人物表】

大輔(18)看護助手
遥(24)看護師
三田(48)看護師
島崎(55)看護部長
後藤(50)事務長
大木(52)医師
原田(68)無職
静江(67)原田の妻
女性患者
救急隊員1
救急隊員2
救急隊員3

〇ナースステーション・夜

大輔、遥、三田の3人がステーションで仕事をしている。大輔は心電図モニターの拭き上げ、遥と三田は電子カルテで記録をしている。スピーディーにタイピングする遥に、三田がため息をつく。

三田「は~。電子カルテは苦手だわ。あなたは早いから、羨ましいわぁ」
遥「あははっ。私の取柄なんて、それだけなんで。看護師としては、まだまだですから!」
三田「そんなことないわよ。3年目なのにバリバリにリーダー業務こなせてるじゃない。この病院には勿体ないくらいの、優秀なナースよ。どんどん上に行って、年寄りを楽させてね」
遥「ははは……。頑張りまーす」

苦笑いする遥。その時、ナースコールが鳴り、ベッド表の「202」が点滅。三田は無視。遥は動こうとするが、それよりも早くコールに出る大輔。

大輔「今、伺いますね」

ナースステーションを出ようとする大輔。遥、心配そうな表情で大輔に声をかける。

遥「大輔君、行ってくれるの?」
大輔「はい」

大輔、振り返る。穏やかな笑顔。

遥「一人で出来なさそうなことだったら、私のこと、呼んでね」
大輔「はい!」

ステーションを出ていく大輔。

〇廊下・夜

速足でナースステーションを出る大輔。その表情はしらっとしている。202号室に入る大輔。

〇202号室・夜

ポータブルトイレの上に座っている女性患者。大輔、患者の近くにナースコールを置く。

大輔「終わったらコールして下さいね」
女性患者「ありがとう」

颯爽とした動きで退室する大輔。

〇ナースステーション・夜

大輔、戻って来る。

遥「大丈夫だった?」
大輔「はい。トイレ介助だけでした。終わったらまたコールが来ると思います」
遥「ありがとう。助かったわ」
大輔「いえ」

ニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべる大輔。

遥「そろそろ休憩じゃない?休んできていいわよ」
大輔「では、さっきの方のトイレが終わったら、休憩に入ります」
遥「ううん。私がやる。大輔君は休んできて」
三田「そうよそうよ、休める時に休まないと。病院なんて、何が起こるかわからないのよ」
大輔「すみません。では、お先に休憩いただきます」

一礼して、ステーションを出ていく大輔。

三田「いやぁ、いい子だわぁ。まだ18歳なんだっけ?」
遥「高校卒業したばかりですからね」
三田「真面目だし、穏やかだし、医療従事者向きよね。看護師を目指しているのかしら?」
遥「さぁ……?」
三田「無資格のままじゃ、勿体ないわぁ。助手と看護師じゃ、お給料も違うし」
遥「そうですね。でも、この仕事、良いことばかりじゃないですから」
三田「確かにね。私も普通の仕事したかったって、今でも思うもの」

ため息をつく2人。

〇休憩室・夜

ぶすっとした顔で入って来る大輔。明かりをつけ、トートバックをソファベッドの上に放るが、落ちてしまい、中身をぶちまけてしまう。床に散らばる携帯電話、ペットボトル、菓子パン、財布、『T看護学院』のパンフレット。

大輔「あー、もう」

イライラした声で呟き、しゃがみこんで落とした物を拾い、乱暴にバッグにしまう大輔。バッグを椅子の上にそっと置き、ベッドの上にドサッと寝転がる。

〇(回想)看護部長室・昼

ソファに向かい合わせで座っている大輔と島崎。テーブルの上には看護学校のパンフレット。島崎は柔和な笑顔。大輔は冷めた表情でパンフレットを見下ろしている。

島崎「この看護学校は、ここから歩いて10分の所にあるわ。准看コースなら、働きながら通えるの。学費はうちから奨学金を出すから、実質はタダなのよ」
大輔「はい……」

覇気のない返事をする大輔。

島崎「あなた、高卒で無資格でしょ?将来のことを考えると、看護師資格は持っておいて損はないわ。考えてみて」

(回想終わり)

〇休憩室・夜

ソファベッドで仰向けになり、天井を見上げる大輔。

大輔M「准看の資格は、たった2年で取れる。そこから正看護師になるのはまた2年くらい学校に行く必要があるが、とりあえず准看だけでも持っておけば違う、という意味はわかる」

ごろっと横向きになる大輔。

大輔M「でも俺は、看護師になんてなりたくない」

〇(回想)看護部長室・昼

高校の制服姿の大輔、島崎、後藤がソファに座っている。

大輔M「経済的な事情で進学出来ず、高卒で働くことになった。就職は上手くいかず、採用してくれたのはこの病院だけだった」
後藤「随分緊張しているね。自分の家だと思って、リラックスして」
大輔「はい……」

顔を赤らめる大輔。

島崎「ふふっ。良く知らない、偉そうなおじさんとおばさんに囲まれたら、リラックスなんて出来ないわよね。でも、少しずつでいいから慣れて欲しいな。困ったことがあったら、私達に何でも相談して」
大輔「はい」
島崎「あなたにはまず、看護助手として働いてもらうけど、うちでは助手さんのキャリアアップを支援しているの」
大輔「キャリアアップ?」
島崎「そうよ。助手さんにも年に何度か、研修を受けてもらっているの。外部の機関が実施する研修も、出張扱いで受けられるのよ」
大輔「凄いですね」
島崎「それと、うちではずっと助手にしておくつもりはないの。資格やスキルを身に着けて欲しいわ。だから看護師資格の取得や、医療事務の育成も支援しているの」
大輔「医療事務の育成って、本当ですか?」
身を乗り出す大輔。優しそうに微笑む島崎と後藤。
後藤「パソコンが得意なら、歓迎するよ。まずは助手として、病院で働くことに慣れてね」
大輔「はい!」

(回想終わり)

×   ×   ×
〈イメージ〉
総務室、狭い部屋に職員がビッシリいて、電話を取ったり、パソコンを使ったりして忙しそうに働いている。

大輔M「しかし、事務職は空きが出ないので、なかなか異動させてもらえないらしい。そして看護職は、常に人が欲しい状態。俺も最初は看護師で良いと思ったけど、オムツ交換とかもあるし、感染症の危険があるし、患者に暴言を吐かれたりする。今は、やりたいという気持ちは……全くない」
×   ×   ×

〇休憩室・夜

欠伸をする大輔。

大輔「ふわーぁ……。寝よ」
大輔、毛布を頭まで引き上げて目を閉じる。
×   ×   ×
スマホのアラームが鳴り響く。大輔、不機嫌な顔でスマホを手に取り、アラームを消す。

大輔M「仮眠時間は1時間半。あっという間に終わってしまう」

大輔、欠伸をして頭をかき、ベッドから出る。洗面台の前に立ち、ぴょこんと跳ねた髪に水をなでつける。しかし、またぴょこんとしてしまう。

〇ナースステーション・夜

ステーションに戻る大輔。遥が真剣な顔で電話をしている。

遥「かかりつけの患者のCPAです。どうしますか?……了解です。よろしくお願いします」
大輔M「CPAは……心肺停止という意味だったと思う。これから重症患者が救急で来るということか?」

遥の背中を眺める大輔。

遥「お待たせしました。当院で受け入れます。……10分後ですね。お待ちしております」

険しい表情で電話を切った後、大げさにため息をつく遥

遥「あー、最悪。大輔君、これから救急が来ることになったの。蘇生処置をすることになると思うわ。手伝ってくれる?」
大輔「えっ!自分は助手だし、病棟業務しかわからないです!」

慌てる大輔。

遥「でも、三田さん連れてくワケに行かないでしょ。だってまだ、あなた1人に病棟任せられないし」
大輔「はぁ……。そうですね」

伏し目になる大輔。遥、明るい表情で言う。

遥「そういうワケだから、一緒に来て!大丈夫。出来ることだけお願いするから!」
大輔「わかりました……」
遥「じゃあ、救急外来にレッツゴ~!」

妙にテンション高い遥がステーションを出る。大輔、後をついていく。

〇救急外来・外・夜

サイレンを鳴らしながら入ってきた救急車が止まり、車の後ろが開く。3人の救急隊員が原田を乗せたストレッチャーを下ろす。鳴り響く心電図モニターの警告音。静江がよろよろしながら救急車から降りて来て、ストレッチャーを追いかける。

〇救急外来・中・夜

原田を乗せたストレッチャーが、救急隊員によって運び込まれる。救急隊員が心臓マッサージをしている。中で待機している大輔、遥、大木。全員、緊張した顔つき。静江が患者に向かって声を張り上げる

静江「お父さん!病院に着いたよ!助けてもらおうね!」

救急隊員、ストレッチャーの高さを調整する。

遥「大輔君。移乗を手伝ってあげて」
大輔「はい!」

大輔、ストレッチャーの近くに立ち、原田を見下ろす。原田は血色が無く、呼吸をしておらず、体の動きも全くない。ごくりと息をのむ大輔。

大輔M「死んでる……よな?生き返るのか?」

心臓マッサージを続ける救急隊員。大輔の隣に遥と大木が来る。二人とも険しい表情。

救急隊員1「隣に移りますからねー。せーの!」

皆で原田を病院のストレッチャーに移乗する。心臓マッサージを再開する救急隊員。

救急隊員2「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10!2、2、3、4、5、6、7、8、9、10!」

遥、血圧計を巻き、心電図モニターを病院の物に付け替える。大木は険しい顔で患者の瞳孔にライトを当て、首を横に振る。

遥「先生、ルート取って良いですか?」
大木「うん、輸液繋いで、アドレナリン入れて」
遥「了解です!」

きょろきょろする大輔。静江が立ちすくんでいるのを見て、声をかける。

大輔「あの、こちらの椅子におかけください」

隅のパイプ椅子に案内する大輔。静江、よろよろとした動きで着席する。

静江「あの人は助かりますか?」
大輔「……僕は助手なので、わかりません。でもみんな……一生懸命、蘇生しようとしています」

静江、涙をぽたぽたと落とす。

妻「どうしてこんなことに……。うっ……うっ……。さっきまで、元気だったのに」

〇(回想)原田の家・夜

静江、台所で家事をしている。原田はリビングでビールを飲みながらテレビを見ている。

静江M「様子がおかしいところなんて、少しもありませんでした。突然だったんです」

ドサッと大きな音に振り返る静江。

静江「お父さん……?」

床に倒れている原田。
(回想終わり)

〇救急外来・夜

大木、静江に近づく。静江、慌てて立ち上る。

静江「先生!あの人は…どうしてこんなことになってしまったのですか?」
大木「検査が出来ないのではっきりと言えませんが、何らかの原因で、急性の心不全を起こしたのだと思います」
静江「心不全……。でしたら、心臓を治療すれば、元に戻れるってことですよね?ここは病院ですから、治してくれますよね?」
大木「いえ、状態は極めて厳しいです。今は心臓も呼吸も止まっているので、検査も治療も何も出来ません。蘇生処置をして、心臓が動き始めてからの話になります」
静江「そんな……。先生!蘇生させて下さい!お願いします!」
大木「……最善は尽くします」

遥、静江にそっと近寄る。

遥「奥様。外にベンチがありますので、そちらに案内しますね」
静江「はい……」

遥、静江を救急外来の外に連れて行く。
×    ×    ×
原田の口を開けさせ、その前に屈みこんでいる大木。気管挿管をする。

大木「22㎝で固定」
遥「はい」

アンビューを装着し、酸素を送り込む遥。大木、原田の胸に聴診器を当てる。

大木「うん、入ってる。心マ、再開して」
救急隊員「はい!」

心臓マッサージを始める救急隊員。大輔、遥かに近付く。

大輔「俺、何かやることありますか?」
遥「じゃあアンビュー変わって。こうやって、揉むように押すの。2秒に1回くらいのペースでね」
大輔「わかりました!」
×   ×   ×
大木「心肺停止してから、40分か……」
遥「いえ、それはここに来てからの時間なので、実際は1時間過ぎているかと……」
大木「……もうダメだろうね」
遥「ですね……」

無言で酸素を送り突けている大輔。

大輔M「素人の俺でもわかる。この方は、もう、助かることはない。それなのに、いつまでこんなことをやるのだろう……と思うのは、不謹慎なのか?」

大輔、心臓マッサージを続ける救急隊員を見る。

救急隊員2「1、2、3,4,5,6,7,8,9,10!」
遥「私、替わりましょうか?」
救急隊員3「大丈夫です。3人いますから!朝までだって出来ますよ!」

白い歯をきらっと見せる救急隊員達。

遥「すっごーい!さすがぁ!」
大輔M「あの人達、何であんなにタフなんだろ……」

引き気味の表情になる大輔。
×    ×   ×
テロップ:60分後
電子カルテを書いている遥と大木。大木、自分の腕時計を見る。きらりと光る、ロレックスのデイトナ。

大木「1時間経ったね。そろそろかな」
遥「そうですね。奥様、呼んできますね」
大輔M「終わるのか……?」

静江が入って来る。大木、暗い表情で静江に近付く。

静江「先生……。お父さんは……」
大木「心電図モニターでは反応がありますが、それは心臓マッサージを続けているからで、やめてしまえば……すぐに止まってしまうと思います。もう、彼らは1時間以上、頑張っています。奥さん……辛いですけど……」

黙々と心臓マッサージを続ける救急隊員。神妙な顔で俯く遥と大輔。

静江「でも……まだ生きてるんですよね?」

静江、原田の体にふれる。

静江「……ううっ……冷たくなっちゃったのね……」
大輔M「あ……」

大輔、目を見開く。

妻「あなたぁ~!!あなたぁ~!」

すがりついて号泣する妻。妻の姿をじっと見ている大輔。
×   ×   ×
死に装束を着せた患者の手を前で組ませる遥。

大輔「……奥さんの、心の準備が必要だったんですね」
遥「えっ」
大輔「この方は、搬送された時点で亡くなっていた。でもみんな、一生懸命、蘇生を続けたじゃないですか。何でかなって、思っちゃったんですよね」

死に化粧を施しながら答える遥。

遥「良い所に気付くわね。教えてあげるわ。まず、目の前の患者が亡くなっていたら、本人やご家族の希望に添って、出来る限りの蘇生処置を行うのが、医療従事者としての使命よ」
大輔「はい」
遥「そしてそれは、ご家族の心のケアになる。大切な人の突然死って、大抵は受け入れられないものよ。生から死に至る、過程が必要なのよ」
大輔「それが、蘇生処置」
遥「そう。まさしく生と死の間。医師が死亡宣告しなければ、患者は生きているということになるから。そして、蘇生処置を受けながら、本人も家族も、徐々に死に向かっていくのよね……」
大輔「自分、冷たくなっちゃった、って言葉が、けっこう印象的で……」
遥「ああ、切なかったよね。仲良い御夫婦なんだと思うけど、愛する旦那さんの体が冷たくなるのって、ショックだと思う」
大輔M「だから、受け入れられたのだと思う。体温を失うまでの60分間に、旦那さんの身に何が起きていたのか、理解出来たのだと思う」
遥「よし、キレイに出来た」

死に化粧を終え、満足げな遥。遥を眩しそうに見る大輔。

〇救急外来・外・朝

霊柩車が去っていく。遥、大輔、大木が頭を下げて見送る。静江が大輔達に近付く。

静江「ありがとうございました」

静江、深々と礼をする。遥と大木は無言で頭を下げる。大輔、2人に習うように頭を下げる。

〇ナースステーション・朝

日勤ナースが出勤し、賑やかなステーション内。遥が電子カルテの前で伸びをする。

遥「やった!記録、全部終わった!」
三田「さすが、はやーい!」
遥「残業したくないですもーん」

朝食の配膳車を片付けた大輔がステーション内に入ってくる。

三田「あなたはもう帰る時間ね。あがっていいわよ」

〇更衣室・朝
着替える大輔。バッグの中から看護学院のパンフレットを取り出し、めくる。

大輔M「事務の方が体は楽だし、危険なこともしなくて良い。でも今、看護師になることに凄く惹かれている……」

〇病院の職員用通用口・朝

タイムカートを押す大輔。遥が現れる。

遥「大輔君!今日はありがとうございました!」
大輔「こちらこそ、ありがとうございました!」
遥「ねぇ、大輔君って夜勤明けは帰ってすぐに寝ちゃう人なの?」
大輔「いやぁ、ダラダラ起きてることが多いです」
遥「今から焼肉行かない?私、おごるから」

ごくりと喉を鳴らす大輔。

大輔「いいんですか?俺、めっちゃ食いますよ」
遥「ボーナス出たから、大丈夫!レッツゴー!」

遥、大輔の腕に自分の腕を絡ませる。胸があたり、顔を赤くする大輔。

大輔M「こういう時、胸あたってますよって言った方がいいのかな……。とりあえず遥さんからは、看護師になることについて、いろいろ聞きたいと思った」

楽しそうに外に出る大輔と遥。(了)

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