アカデミー賞授賞式のウィル・スミスさんの暴力について
94回アカデミー賞授賞式にて、俳優のウィル・スミスさんが、コメディアンでありプレゼンターを務めたクリス・ロックを平手打ちしました。
その平手打ちの理由は、脱毛症を患う妻ジェイダ・ピンケット・スミスの髪型を揶揄するような発言をされたことがきっかけです。
どんな酷い言葉を投げつけられたとしても
暴力は、いけない。妻のことを慮ったとしても
暴力は、してはいけない。
アカデミー賞という晴れの舞台で
世界中の映画関係者が一度は、立ってみたい憧れの舞台で
子供たちも目にするTV中継している生放送で暴力なんてとんでもないことだ。
私は、暴力への嫌悪というより
恐怖心がある。
私は、幼い頃から亡くなった父によく叩かれた。
叩かれる理由は、父に怒られたのに謝らないとか
帰る時間が遅くなったとか。
もう理由なんてあってないようなものだった。
その躾という名の暴力は、私が大学を卒業するまで続いた。
二十歳過ぎても
帰りが遅くて父に叩かれ蹴られた翌日は、
学校から帰るのに家の前に仁王立ちした父が立っているんじゃないかと思うと身体が震えて
角を曲がると家が見えるのでその一歩が出ない。
固まってしまう。
大柄な男の人の暴力は、本当にカラダが震えるほどの恐怖で、怖い。カラダも心も固まる。
父の顔色ばかり伺って過ごしていた。
言葉の暴力ももちろんあった。私の不甲斐なさを
一番傷付く言い方で罵倒した。
が、不思議な事になんと言われたのか具体的な言葉を今は思い出せない。
聞いているようで怒鳴り出すと何も聞いていなかったのかもしれない。
だけど身体的な暴力は、違う。
暴力の恐怖心は、暴力をうけた人も
それを目にした人の自由をも奪う。
父に叩かれている時、母は、止めに入らない。
自分も叩かれるからではなく、きっと自分も固まって止めに入れないんだ。
母が叩かれている時、私は自分が叩かれるより辛かった。それなのにやめてとも言えなかったし間に入ることも出来なかった。
ウィル・スミスに話を戻すと
妻を庇う為にクリス.ロックを叩いた手は、
妻をも叩く手でもあると思う。
あの平手打ちを見てしまったら
家族にはそんな事は、絶対しないと、
もはや誰も言えない。
ウィル・スミスならあの場で脱毛症で悩んでる妻の心情を説明し、誰かの心をえぐるジョークは笑えない。と言う事も出来た。
あの場所から退場して、怒りを静かに表現する事も出来た。
あの場でクリスを睨みつけ後から名誉毀損で訴訟をおこして莫大な損害賠償請求をして二度とクリス.ロックをアカデミー賞のプレゼンターに選ばれないようにすることも出来た。
イヤイヤ、全て今だから言えるよね!とツッコまれたら、その通りです。
結果論だからこそ若い人達に言いたい。
言葉の暴力には、自分の言葉で立ち向かって欲しい。
言葉が暴力ほどのチカラが、あるのならそのチカラを自分の武器にして欲しい。
怒りが沸点に達してもそう出来る自分である為に日々学んで欲しい。そう願ってる。
最後に
#BlackLivesMatter の運動はなんだったんだろう....そんな虚しさがある。
どんな処分でも人種差別で不当なものだと
そんな思惑が人々の中に沸いて
また負の連鎖が続いていくのなら
ウィル・スミスの罪は、重い。
追伸
妹が、結婚して孫が生まれると
目に入れても痛くないとは、こーゆーことかと
父は、好々爺にまるっと変身した。
3歳の孫に"もうじいじいの家に来ない!“
と怒られて意気消沈していたと
弟が今でも笑い話にしている。
父の暴力は、躾なんかじゃなく
父の弱さだったと今は、そう思う。