笑←の上で気にしてる事
本日の話題は、笑いについて。
早速だが、『本作品はコメディです』『シチュエーションコメディです』『私、本作品においての面白な立ち位置』『笑いをお届けぇ!』『笑って!』
↑いや!ハードルたけぇて!!と毎度思います
これは笑いだけに言えたことではないですが、『泣ける作品!』『今年、最高の涙を劇場で!』みたいな売り文句を映画館で観ることもありますがこれも同様
その中でも一番ハードルが高いのが笑いです。
私自身も、コメディ作品をやる事はありました、そして、書くことも演じる面でも好きな事でもありましたが、、↑の事を考えだしてからは逆にあれ?もしかしたらこれは不得意ジャンルではあるな、、とも思い始めました。
自分で思っている得意と好きは決してイコールにはならない。
一概には言えませんけどね、好きでなきゃ上手くも、上手くなる方法も見つけることがきませんから、なので、私は、口で言うのをやめました。
さぁ、ここから本日の内容に参りましょう(やっとです)
脚本・演出上においての『笑い』の取り扱い方
むずっ!!ですが、私自身が毎度気にしている事だけでも話して起きましょう。
まずは、本においてですが、その笑いは物語上に必要な事か?もし、必要なくても書きたい事であればその長さは適切であるか?そして、それは本当に面白いのか?ただ書きたいだけであれば本当に面白いかが一番重要になってきます。これが一番ハードルが高い
勿論、そのキャラクターの立ち位置を象徴、説明する事において必要であればそれを省く事は良く無いでしょう!
ここで次にかかってくるのが、演出。
先に良いいますが、私は『アドリブシーン』が好きでは無いですアドリブと言っても、稽古で何度も打ち合わせをしてパターンが作られた『日替わりシーン』は別です、これは逆に大好物です。
アドリブはその場で思いついた事をやる。という認識ですが、大切なのはまず、
世界観を壊してないか?それって必要な事?があまりにも多すぎる事があるから。
勿論、上手い人のアドリブは面白い。観ていられる、がところがどっこい、それに勘違いをしている人のは観てられない。
だからまず、アドリブを売りにしている時点で観る気が失せます。
勿論、そういうイベント、公演であれば良いですが、純粋な一つの物語を作っている空間であるのならば、それはただのエゴなのです。
話を戻そう!
笑いにおいての演出は○か✖︎であって良いのだ。必要か否か
演出家が判断するのは、その笑いはその稽古場だから発生している笑いなんじゃないのか?いや、これは、ステージに持って行っても取れる笑いだ!
の2択の判断を絶対にしてほしいと言うこと。
なんでもアリは観ていられない。
「あぁ、これは、この人の芸なんだな」
「あぁ、これは、ファン向けなんだな」
「あぁ、歌舞伎で言う○○屋!みたいな感じかな」←これはちょっと違うかな
要は、それって、今のって必要?長ない?って思われた時点でその笑いは不成立なんですよ。
ただの笑いは短ければ短い方が、印象に残りやすい。
いや、それがむずいねんて!!