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【心理学】童話ラプンツェルから心の成長を考えよう

こちらの記事は以前に書いた記事をバージョンアップさせたものとなっております。

この記事では、童話のラプンツェルから読み取れる心理学的なモチーフの解説と、ディズニー映画の『塔の上のラプンツェル』を比較して見た時に現代ではどのように描かれるようになったのか、その変化ついても語っています。

童話のモチーフについては、既にいろいろな人が語っているのですが、少し異なった視点を加えているつもりですので、宜しければ最後までお付き合い下さい。

「ペンタメロン」のラプンツェル

原作のラプンツェルは、グリム童話に収められた話ではあるのですが、もともとはイタリアのナポリに伝わるエロ小話集『ペンタメロン』にあったものだそうです。ネタ元は岡田斗司夫さんの解説です。

めちゃくちゃ面白かったので、是非見てください。(私は『アオイホノオ』のドラマを見て以来、岡田斗司夫さんのYoutubeを見ています。)

岡田斗司夫さんの解説では、当時のディズニーのアニメスタジオのスタッフがラプンツェル制作に至るまでの状況や、社会に対してどうメッセージを投げていたのかなどを語っています。

さて、私も心理学的に作品を解説すると言いました。ですが、切り取り方によって色々な見方ができるので「こんな見方はどうでしょうか?」と、ひとつの意見、ひとつの考え方として受け取って頂く程度がちょうど良いかなと思います。

では、解説に移りたいと思います。あらすじが無いと話しづらいので、青空文庫のリンクを貼らせさせていただきます。

物語の普遍性と元型論

この童話のテーマがどこにあるのかを説明する前に、心理学の話をするのにどうして童話を扱うのか、その意味について話をします。童話は元になる話が人から人へ、世代を通して受け継がれ、時代や地域を超え、長期にわたる編集作業を乗り越えて、現代まで残ってきた物語なのです。編集作業というのは、時代を経るごとに内容が削られたり、付け加えられたりしていることを指します。そうして出来上がってきたものには、ある種の普遍性が備わっていきます。ラプンツェルも元はただのエロ小話かもしれません。しかし、今日に童話として伝わるまでに、幾度となく再編されているところに語る意義があると思います。

また、精神科医で心理学者でもあったC.G.ユングはそういった物語に共通するテーマを見つけだし、それらをアーキタイプ(元型)と呼んで神話や童話、様々な文化に潜んでいる象徴から心理学的な意義を見出しています。ですが、今回はそれをあまり使いません。どちらかというとE.H.エリクソンの発達心理学の概念を使って童話のテーマを扱っていきたいと思います。

母親と魔女との比較:大人のテーマ

物語のテーマを探る上で重要なのが、登場人物の年齢と、その年代の人が直面しやすい精神発達上の課題です。この物語で注目するべき人物は、物語の序盤の主人公である母親と、後半(本筋)の主人公であるラプンツェルです。

ではまず母親から。
産前の女性が最初に登場します。その女性は成人して結婚して家庭をもっています。子どもを身籠り妊婦になると、身体的な辛さを和らげるために、隣の家から美味しそうな野菜を食べたいと言って、窃盗という逸脱行動を夫に頼んでしまいます。社会規範よりも自分の欲望を優先させてしまいました。 (もしかしたら当時、その地域その文化では苦しむ妻のために何かをするのが当たり前の価値観だったのかもしれませんが)。ちなみにその野菜の名前が『ラプンツェル』なんです。

これはラプンツェルではありません。スイカです。

夫は盗みの現場を魔女に見つかってしまいます。夫はそれでも機転をきかせて野菜を手に入れます。しかし、盗みを許して貰う引き換えに、生まれてきた子供を差し出すことになってしまいます。そして魔女はこの子供にラプンツェルと名付けました。ここでは、この両親とも大人として知恵も欲求のコントロールも未熟であるということが表現されています。

そして、この親の対になっている存在として魔女が登場します。親から子どもを奪い、子どもを塔に閉じ込める悪い存在として書かれていますが、子育てを非常にうまくやっています。12歳になるまでは塔に閉じ込めてもいません。絶世の美女であったことから、クソみたいな男性からラプンツェルを遠ざけたかったという心もあったでしょう。知恵もあり、情緒的にも実際の両親よりも成熟して優れているので、ラプンツェルはこの両親のもとで育つよりも「いい子」に育ったかもしれません。

このように「大人として未熟な親」vs「成熟した大人としての魔女」という構図があったのが1つ目のテーマです。

この物語で成長するのはラプンツェルなので、この母親の成長は描かれていませんが、この親の精神発達上の課題をあてはめて考えると、Generativity(世代性)の問題が当てはまると思います。

成熟した大人は、物事や人を「正しく生み育てる」ことが求められます。これが達成されないと「停滞」が待っています。

ちなみにGenerativity は、当人の精神発達的な問題だけではなく、この問題に取り組まないと周囲や世界にとって害になりかねないと警鐘を鳴らしている、ちょっと思想を含んだ変わった心理学概念です。

この母親は、自分自身の欲や感情をコントロール出来るほど自分自身を育て切れていません。物語の中ではその代償として子どもを奪われるという不幸が当人に降りかかるという形で描かれています。

ラプンツェルと若者の発達課題

成長の物語の多くは、青年の男性の話がわかりやすいです。大人になる過程で冒険をし(通過儀礼)、成功(成長)の対価として宝物や女性を得る(象徴的に)という構図が多く見ることができます。

眠れる森の美女に出てくる王子様や、このラプンツェルに登場する王子様も冒険の末に結婚しています。日本の桃太郎や、一寸法師なども冒険して鬼退治の末に宝を得たり結婚する話なので、この部類に入ります。

それを踏まえた上で、2つ目のテーマはラプンツェルの女性としての成長について考えていきましょう。これまで多くの文化では思春期の女性に求められてきたのは「しおらしく待つ」ことです。それが女性らしいという事であり、当時の文化では評価されてきました。今でもありますね。

このテーマは、白雪姫、シンデレラ、眠れる森の美女、リトルマーメイド、などディズニープリンセスのほとんどが持っているテーマです(現代のポリコレでは女性蔑視として扱われかねないので、このテンプレは非常に慎重になっています)。

この「しおらしく待つ」はオーロラ姫や白雪姫のように死んだように眠ったり、人魚姫の声が出なくなったりと、主人公の女性は主体的に行動することができない状態になることで表現されています。これは救済してくれる男性の出現を待つほかない状態になります。

救済してくれる白馬の王子様という幻想

おそらく、当時の社会では成人として認められるために結婚が重視されていることが多く、そのために、「白馬に乗った王子様」を待つことが良しとされていたのでしょう。多くの作品の中で「機が熟すまで待つ」ことが少女から大人の女性になる過程で強調して描かれていたのはそのためだと考えられます。

ラプンツェルも同様に塔に閉じ込められたり、砂漠に閉じ込められたりと主体性を奪われてしまいました。

1度目の幽閉でラプンツェルは、王子様を手引きして塔の中に誘い込みますが、詰めの甘さから男性との関わりがあることを露呈してしまいます。ここで未熟性が描かれています。そして、今度は髪を切られ(処女性と少女性の剥奪のイメージ)、砂漠に監禁されてしまいます。ラプンツェルは主体性を2度奪われてしまいます。

ボーイミーツガール

2度目の幽閉された場所でラプンツェルは双子の子どもを生みます(ここで塔の中で性的交渉を持っていた事がわかります)。王子様が現れるまで7年も砂漠で待っていました。この7年間、具体的には描かれてはいませんが、2人の子どもを一人で育て、人間として成長したのだと考えられます。

ラプンツェルは自分の考えの甘さや不誠実さを相当反省したんじゃないでしょうか。想像ですけど。恋しい王子様と会えなくなっただけではなく、子どもを育てなければいけないという現実が降り掛かってかます。子育てを通じて魔女がどれだけ自分のことを世話してくれていたのか身に染みたのではないでしょうか。想像ですけど。

それと同時に王子様も盲目になってしまい、彷徨い続けます。その間、ずっとラプンツェルのことを考えています。盲目で彷徨いながらも、恋人を思いながらなんとか生き延びてます。健気ですね。

苦境で生き延びることが出来たのは、ラプンツェルの存在が心の支えになっていたからなんじゃないでしょうか。冒険とは言い難いですが、そんな気持ちを7年抱き続けたサバイバルの末に、運命的に再会できたんです。

お互い1人で大きな苦労を経験してきているので、お互いの存在が大切なパートナーになっており、軽い気持ちでは会っていないですよ。1度目の幽閉で会っていた事がバレて、そのまま付き合っていたら破局していたかもしれません。

めでたしめでたし、と言えるような幸せな結婚生活を至るためには、甘いだけの恋愛関係だけでは成り立ちません。原作では、そんな事が説教くさい形で表現されています。

魔女側の視点から見ると...

さて、この話を要素を取り出してまとめると次のようになります。

隣の家の畑の野菜を勝手に持っていってしまう程度に社会的・精神的に未熟な親から生まれた容姿だけが良い女の子がいました。

そんな親を見かねた隣のおばさんがその子を引き取って、思春期にさしかかるまで上手に育てました。それでも性的には未熟な女の子が幸せな結婚生活を送れるように、簡単に異性と関われないように、男女とも意志を持って努力しないと入れない場所に隔離しました。

身分の高い王子様が訪ねてきて、ボーイミーツガールが成功しました。そして、おばさんは男を招き入れた事を咎めました。少女は再び隔離されてしまいました。

2人が再会するまでの間、1人でそれぞれの苦労の中で力をつけ、自立し、再会を果たした2人が立派な大人になって、お互いを思い合って幸せな家庭を築くことができました。めでたしめでたし。

これが魔女の思惑通りなのだとしたら、すごい良い人に見えてきます。自分が悪者扱いされながら。そう思うと、とてもいい人に感じませんか?

ディズニー版での描かれ方

ディズニーの映画の魔女ゴーテルは、特に悪く見えるように描かれている気がします。しかし、彼女の視点から見るとそこまで悪ことをしていない気がしてしまいます。

まず、魔法の花を独りでこっそり使っていましたが、わざわざ花のところへ通って魔力を使っていました。それに対して王様は妃のためとはいえ花を持ち帰って独占しています。

ラプンツェルを捕えた理由だって、自分の若さと寿命がかかっていますから、必死になるのも無理もないと思います。

また、情緒的な対応は毒親っぽさ全開ですが、塔に閉じ込めてからの生活環境の様子を見ても、本や絵画、手芸などの文化的には豊かな環境を与えています。

個人的に好きなゴーテルの名場面

ラプンツェルが塔を抜け出してからゴーテルの面白さが加速します。彼女は万が一、ラプンツェルを捕まえられなかったら若返れなくなるので、脱走されたまま戻らなかったら死んでしまいます。

しかし、死のタイムリミットが刻一刻と近づいているのにも関わらず、とても悠長に構えておられます。すぐに連れ帰ることもできる場面で、わざわざユージーンを罠にかけてるんです。うまくいかなかったら自分も魔法が切れて死んでしまうのに。こんな命の危機のリミットに瀕しているはずなのに、あえてリスクをとって、ラプンツェルが脱走しないように傷つく体験を演出しています。この大胆さに気づいたら、めちゃくちゃ面白いキャラクターだなと思いました。

原作との相違点

・ラプンツェルが王女である。
・親が隣人の畑から野菜を盜まない。
・魔法の花の設定が加わる。
・塔の中で出會う男は盜人である。
・塔の外に出て冒険をする。
・性交渉をしていない。 

こうして大まかな要素を取り出してまとめてみると、かなりの改変が行われている事がわかります。しかし、全く新しいものではなく、既にある要素を組み直して作っている事もわかります。

ラプンツェルと尋ねてくる男の間で、王族の設定が入れ替わっています。女性の社会進出や、白馬の王子様を待つ話がポリコレ的に良くないと見て改変しているのでしょうね。

親が隣人の畑から野菜を盗むことが、魔法の花を持ち去ってしまうことに変わっています。当人同士で直接やり取りしなくても、魔女ゴーテルに子供を攫って塔に閉じ込める動機を与えているので、上手いなぁと感心してしまいます。

ヒーロー的な立場の人を盗人にしているのは、人を見かけで判断してはいけないというサブテーマを付与したかったからだと思いました。

ラプンツェルに塔の外に出て冒険をしてもらいたい、そして成長してもらいたいという映像作りの理由と、やはり女性が社会で活躍するという現代に合わせたチューニングしているからでしょうね。

ここでディズニーのラプンツェルが扱っている心理学的テーマと原作で扱っているテーマが大きく変わっている事がわかります。ラプンツェルが塔から脱出している時点で構造が大きく変わっているのです。

ディズニー版が扱っているテーマは、かつての青年男性のテーマに近づいているのです。

大人になる過程で冒険をし(通過儀礼)、成功(成長)のプライズとして宝物や異性を得る(象徴的に)という構図が多く見ることができます。
そして、自分のルーツを知るというアイデンティティの獲得というテーマも関わってきます。こちらも青年期のテーマです。

もちろん昔から男女ともに必要なテーマではあります。しおらしく待っていた頃は女性は目立ちにくい描かれ方をしてきましたが、現代ではよりダイナミックにかつての男性的な成長が描かれるようになりました・

まとめ

ということで、ラプンツェルは大人としての未成熟さと少女の成長を主題としている話であるという解釈ができるというお話でした。

現代においては女性の社会進出や、価値観が色々と変わってきている事もあり、扱われているテーマもそれに伴って変わっている事がご理解頂けたかなと思います。

あとから振り返った時に、21世紀の初頭はこんな文化で、こんな心理学的な課題や成長がテーマとして扱われていたんだなと見られるのではないでしょうか。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。


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小説も書いてみました。

心理学と精神的な発達に関するもの


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