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ウェールズの山

先日のキャンプの帰りに、ウェールズで立ち寄りたい場所があった。それは、ガース・ヒルという場所。なぜこの場所を訪れたかったのか。それは、1週間ほど前に観た「The Englishman who Went up a Hill but Came down a Mountain (邦題:ウェールズの山)」という映画の影響だ。直訳すると「丘を登って山を下りたイングランド人」だが、英題には"Englishman"とあるのに、邦題には"ウェールズ"とある。さて、それはなぜなのか。気になる方は映画をご覧ください。この映画はフィクションだけれど、話の中心となる丘(山)のモデルとなったのが、ガース・ヒルなのである。

泊まっていたキャンプ場を出発してから1時間ほどでガース・ヒルのふもとに到着。車中で寝てしまっていた息子は「眠いのに丘になんか登りたくない」と不機嫌だったけれど、せっかくここまで来たんだから、とたたき起こして、無理やり連れ出した。息子はぶーすか言いながらも、夫に背中を押されながら歩き始めた。そんな彼らを尻目に、私はずんずんと先に歩を進めて行った。

周りに生えていた植物がシダ系のものが多く、それらをイングランドで見かけることはなかったので、イングランドとウェールズでは生えている植物もやはり変わるのだ。背の高い木は生えていないので、丘を登る途中、後ろを振り返れば見ればウェールズの景色が広がっていた。その景色に見とれていたら、相変わらずふくれっ面の息子が「もう帰りたい〜」と文句を言っていた。骨のないやつめ。

遊歩道には、たくさんのコロコロした動物のフンが落ちていた。ウサギか何かだろうか。ときたま大きな塊で残っているのは、散歩に来た犬のものだろう。遊歩道のものはちゃんと持って帰ってくださいよ、飼い主さん。そんなことを思いながら歩いていたら、地面になにか動くものを見つけた。それは、2センチほどのフンコロガシだった。どうしてすぐにフンコロガシだとわかったかと言うと、奈良公園にいるフンコロガシと全く同じフォルムだったからだ。息子に「フンコロガシおるで!」と伝えたら、ずっとタラタラ歩いていた息子が走ってやってきた。「ほらそこ」と私が指をさして教えると「ほんとだ!フンコロガシ!」と叫びながら捕まえて、手のひらにのせた。さっきまでぶーたれていた顔がすっかり緩んだ表情になっていた。息子は、奈良公園へ行くといつもフンコロガシを探して歩くくらい、フンコロガシが好きだった。そのフンコロガシに久しぶりに出会えた喜びが、不機嫌だった息子の気持ちを一気に晴らしてくれた。そこからは、フンコロガシを両手で包み込んだまま、意気揚々と歩き出した。フンコロガシ1匹でこれほどに気分が変わるとは。単純なやつめ。息子の気持ちを上げてくれてありがとう、フンコロガシ。

ふもとから歩いて20分ほどで頂上が見えてきた。ゴールが見えると、歩調が軽くなる。息子だけでなく、私も単純だ。そんなもんだ。この丘のてっぺんは、不自然な形――誰かが土を持ったような――に盛り上がっている。そう、その通り、盛り土がなされているのである。どうやらそこは、青銅器時代の古墳であるらしいのだ。ということは、その盛り土の下にはどなたか高貴な方がお眠りになっていらっしゃるのでしょう。人様のお墓の上に登るなんて失礼極まりない。とか言いながら、登りましたけどね、もちろん。一応、失礼します、と心の中で唱えながら。そこは360℃ぐるっと展望が開けているとても見晴らしの良い場所で、遠くにウェールズの首都であるカーディフの街並みと、その向こうには海が見えた。ウェールズを見渡せるここは、やはり時の権力者が眠るのにふさわしい場所だったのだろう。

丘の上にある古墳、開けた景色、フンコロガシ。ん?この組合わせ、初めてじゃないよな?丘を登っている途中から感じていたことがあった。そう、この丘は奈良の若草山に似ているのだ。春日山原始林を抜ける参道ではなく、有料の遊歩道から登る若草山に。それをこどもたちに伝えようと思い、息子を見たら、手のひらの中のフンコロガシを「かわいい」と言いながら愛おしそうに見つめていた。いや、あんたが1番かわいいわ!娘も「ほんと!若草山と同じ!鹿がいないのが違うだけ!」と言っていた。愛する郷里の景色と、初めて訪れたウェールズの景色とを重ね合わせながら、みんなで眺めていた。いや、みんなではないか。息子はずっとフンコロガシを愛でていたから。

ひとしきり頂上の景色を楽しんでから、さっき登って来た道を戻っていった。帰り道の足取りはみな軽い。息子は相変わらずフンコロガシを手の中に持ち続けていたけれど、「山を下りる前に途中どこかで逃がしてやりなよ」と言うと、「わかってる。どこに逃がそうか考えてるだけ」と応えて、遊歩道の脇にフンが固まっている場所を見つけ、その近くにそっと置いた。息子にとって、そのフンコロガシは久しぶりに会った旧友ようなものだったのではないだろうか。その旧友との別れを名残惜しんでいるように見えた。「また奈良に帰ったら、奈良公園のフンコロガシ探しに行こうな」と声をかけると「うん」と応えた。

無事に下山したときに、ふと思った。ガース・ヒルの頂上で若草山を感じた私たちもまた、"丘を登って山を下りた"ことになるのでは、と。We were the Japanese Family who Went up Garth Hill but Came down Mount Wakakusa!!!