私にとってのキム・テヒョンさんとは。
今日は、題名にもある「キム・テヒョン」さんについて話をしていきたいと思います。
さて、「キム・テヒョン」さんって誰・・・?と言う方もいると思うので、
この話をする前に簡単な事前知識をつらつらと書いていこうと思います。
韓国を代表する世界的に活躍されている7人組アイドルグループBTSのメンバーの1人が「キム・テヒョン」さんです。
最近だと、
デジタルシングル『Dynamite』が発売初週でビルボード1位を記録したのが話題で取り上げられることが多いですね。
(BTSというグループやメンバー個々に関してはまた別の記事にします。あまりにも語ることが多すぎるので。)
さて、話を一番最初の問いに戻します。
Q.私にとって「キム・テヒョン」さんとは。
A.一番の慰めと寄り添いを持って支えてくれた恩人。
「恩人」という言葉が、
「キム・テヒョン」さんを知ってから今に至るまでの想いに一番近いと思います。
たぶん、こんな情けない「たぶん」を口にしたくはないけれど、
彼を知っていなければ、たぶん心をなくして
わたしは、どこかに消えていってしまっただろうなと。
あえて曖昧な表現にしますが
そう思ってならないし、
彼と出会わなかった過程の先にある「たぶん」は時間が経っても、いやむしろ時間が経過した方が確証して言える気がします。
私は確実に、
どこかに消えていなくなっていただろう。と。
ここからは少し個人的な話をさせて頂きます。
なんでその頃、確証のある「たぶん」の結末が自分の中で大きくなっていたのかということについてですね。
私は3月に大学を卒業し、
今年の4月から新社会人、いわゆる新卒ということで就職をしました。
(この就職に関してや大学のことも今度お話出来たらと思います。)
ただ、
コロナウイルスの感染拡大の観点から、
入社研修4.5日は店舗のバックルームでネットを繋げての実施。
研修後に緊急事態宣言が発令され、程なく自宅待機という流れに。
就職先は接客業だったので、
自宅待機が溶けたのが2ヶ月後の6月でした。
こんなにも人っていたの・・・?と思うくらいの混雑に加え、
分からないことだらけの毎日。
それでも分からない所は日々小さなノートに書き留めて、
早く仕事を覚えるべく、その日の疑問点は先輩を捕まえて次の日に持ち込まない。次の機会は自分の力で出来るようにする。このような自分中のルールを設けて毎日をこなしていました。
業務自体は、
上記のようなスタンスを繰り返すことで出来ることも増えていきました。
1ヶ月あたりでそんな実感を得ることが出来たので、
さらに、モチベーションを保つ為べく1ヶ月ごとの目標を、
ある大きな目標に到達するべく逆算して設定して、足りないところを書きだしてリスト化したり。
呆然と何もせず何も考えずに、出勤して退勤する。というのが自分の性格上ストレスなので、そんな工夫をしていました。
毎日同じことの繰り返しになりがちな業務の1つにも成長を感じたり、
出来ることが増えているのが目に見えるようにしておくと楽しいなと思うんです。
そんな1ヶ月を過ぎたころ、
(詳しく話すことが難しいのでとても曖昧な表現になるのをお許しください。)
来店されたお客様関係で2度(1回目と2回目は別の人物)怖い経験をしました。
学生時代も接客業だったので、色んなお客様はいました。
怖いといえば、クレーマーぐらいに思っていたのですが、
この2件はクレーマーというジャンルでは片付けられない経験でした。
この経験を知り合いに話すと「出禁」、「警備員もしくは警察」という単語が含まれて言葉を返されます。
そんな経験です。
店舗の一番偉い人やエリアのトップに、
改善策の提案や働く従業員の安全確保に関して相談しても実情は変化なし。
働いていた所が少し治安が良くなかったんですね・・・。
「2度あることは3度ある。」と先人達はよく言ったもので。
毎日その経験に近しい出来事が起こり、対応する日々が始まりました。
最初の仕事を覚え始めて1ヶ月の頃は出来ないことが多いので、
他の人に代わってもらっていたので気づかなかったんですね。今思えば。
ちょうどある程度慣れた1ヶ月後から
出来事の大小はあれど、怖い経験を重ねることが多くなりました。
その状況になった時に誰も助けてくれない、
みんな一斉にしらないふりをする。そんな同僚がほとんどでした。
唯一このおかしな環境に対して「おかしいよね」と返してくれたのが1年先輩のTさんでした。
Tさんは台湾人の方で、日本語も英語も話せる凄い人でした。
(Tさんに関しても今度お話させてください。)
1年先輩ではあるけれど、
年齢は同い年で(私が1年浪人しているので)唯一本音を話せる人が近くにいたのは救いでした。
そんなTさんが好きなアーティストがBTSでした。
それまでBTSは知ってはいたけれど、流行曲の1つとして聞く程度でした。
Tさんにおすすめの曲を教えてもらって、
だんだん仕事の行き帰りによく聴く曲も増えていきました。
今まで派手でポップな楽曲のイメージだったのですが、
・Spring Days
・Pied Piper
・Euphoria
といった今までのイメージとは違った楽曲を知って、
(Tさんが送ってくれたおすすめの曲を並べてみました。)
生活に小さな変化が起きて、
何とか溺れていた心を浮かばせる1つの存在にBTSはなっていきました。
心に繋いでおいていざという時に溺れないようにする浮き輪は、
あればあるほど良いですよね。
「誰も助けてくれない、自分で解決しなくてはならない。」
この状況を何とかこなしていた中。
2ヶ月経った辺りで、
突然、
Tさんからカフェでお茶に誘われて会社を辞めると言われました。
Tさんは働く中で心が疲弊していき、ぼろぼろになる前にと思っての決断だと告白してくれました。
ほどなく、Tさんは会社を辞め、
私は唯一の共感者がいなくなり、一人で戦うことになりました。
「今日も一日頑張ろう」と起きていた朝が、
「行きたくない」、「何も起きないでほしい」と願い、歯を食いしばりながら起き上がる朝に変化していきました。
何度も言うのですが、本当に色んな人が世の中いるんですよね。
混雑に対して罵声を浴びせられたり、
商品を投げられたり。
詳細はここで話せないのがもどかしいのですが、
とにかく毎日。
自分が原因のミスに対して怒られるという原因と結果が明確な怒りではなく、
例え自分に対してではない原因(混雑している状況)に対してでも大声で罵声を浴びせられるという不明瞭な怒り。
そんなことが続いていくと、
心が無になっていくんです。
人間って凄いなぁと今思えば関心してしまうのですが、
起こった事象に対して自分も感情的になることで疲弊していくので、
何も感じないように無になっていくんです。
3ヶ月目あたりになると、
何も考えない・感じないように、
ただ時間が過ぎるように耐えきるように出勤していました。
何も考えないで毎日過ごすなんて面白くない!と能動的に行動する今までの私とは違う機械人間に変わっていました。
辞めた方が良いのでは。という考えがちらついても、
まだ頑張らないと、頑張りが足りない。
すぐ辞めたら自分にとってのリスクの方が大きい。頑張らないと。
と、言い聞かせながら毎日生きていました。
仕事終わりには、
「辞めたいけど辞めれない」と友達に連絡し、電話で相談したり。
眠ると、罵声を浴びせられる夢を見ることも多くなり、
このまま朝が来なければいいのに。と本気で考えていました。
その頃になっていくと、
大好きな映画やバラエティーも見れなくなっていました。
内容が全く入ってこない、笑えない。
音楽も聞かなくなっていきました。
ある時、
「あれもう本当にダメかもしれない。」ということがありました。
ぼっーと身体だけ辛うじて仕事場から駅に向かって歩みを進めていき、
「どうしたら楽になるんだろう。」という考えに駆られました。
どんなに苦しくても自分で一杯一杯だけれども、
辞める踏ん切りが付かず、
心を殺して毎日働きにいっているけど、
こんな人生なんなのだろうと。
何の為に頑張っているんだろうと。
「その頑張りがきっと誰か見てくれているよ。」という言葉に登場してくる「誰か」はいつ目の前に現われるんだろう。なんて。
きっと色んな出来事が積もり重なって限界だったと思います。
電車に乗って、
空いている座席に座り、
ふと何故か急に
BTSのメンバーの一人が最近ドラマの挿入歌を出したことを思い出しました。
本当に急に。
その曲が「キム・テヒョン」さんが歌う『Sweet Night』でした。
言葉を失うくらい、優しいメロディー。
深く止めどない優しい声。
眠りに落ちる前と夢の中の間をゆりかごに乗って揺れているような、
ブランコでちょうど良く背中で押し続けてくれる手のひらのぬくもりを感じるような。
知らない間に涙が流れ、顔を伏せて静かに泣き続けている自分がいました。
この曲を初めて聴いた時から
この曲を聴くと、
聴いている間、
夜空の下を船に乗ってゆっくり浮かんでいる感覚がするんです。
夜は決して暗闇ではなく、
満月が明るく照らす明るい青の夜。
曲を聴いて感動して泣くことって自分にはないことだと思っていました。
私の好きなものは音楽や映画に読書など多くあります。
趣味が多いなんて言われることもあるくらい。
その1つ1つは最初にも書いたとおり、
人生において心が溺れ掛けた時助けてくれる浮き輪になると思っていました。
「この音楽が発売されるまでは・・・」
「あの監督の映画の最新作を見るまでは・・・」
「本の続きをみるまでは・・・」
今も好きなものがあることで、
心の浮き輪になると思っています。
でも、
小さな浮き輪の空気がそれぞれちゃんと入っていないと
心を浮かばせるべくタイミングで浮かばすことは出来ないんです。
私の持っていた浮き輪の空気はその日、
その時、ほとんど萎んでいて形すらなかったんだと思います。
心が沈みきっていたあの時。
この曲は心を浮かばせるのではなく、
一緒に船に乗って、
穏やかな波の上で
ただ、ただそばにいてくれた唯一の存在でした。
曲によって、音楽によってこんなにも心を温めることが出来るのか。と感動し続けています。
このことから、「恩人」と思っています。
自分の一生を持って頂いた恩を返し続けないといけないと思いに駆られるんです。
まだ存在して、
こうして文章を書けることに感謝します。
さぁ今回は、私にとっての「キム・テヒョン」さん。という話でした。
そういいつつも、
会社のことだったり、人生交えての内容が多くなってしまいました。
今後は『Sweet Night』からその後の今現在も含めて「キム・テヒョン」さんが「恩人」で居続ける理由など人物についても深く文章にしたいと思っています。
ここまで読んで頂きありがとうございました。