20歳まで死にたい気持ちだったけど、バリに行ってから生きることが平気になった
生まれてから20歳までは毎日死にたい気持ちでいっぱいだった。
まあ、適度に父は暴力&浮気の激しい人だったが、そういうことだけでもなく、毎日生きていることが楽しくないし、なぜか哀しいし、「存在すること」がもう大変で仕方なかったわけで。
生まれる前の記憶がなまじあるので「あの宇宙でぐうぐう寝ている感覚が幸せ」と思っていて、「早く帰りたいなぁ」と思っていた。
でも自殺は痛そうだし、母が泣くのが可哀想だからできなかった。
「寝て、そのままスーッと逝けたらいいのに・・・」
ひたすらそう思って、20歳になり(今から34年前の話です)。
当時はバブル真っ盛り。派手な着物を着て成人式に出る元気もなかったので、バイトしてお金をためて、友達と2人でバリ島に10日間行くことにした。(初めての海外旅行)
「飛行機落ちても、あっちで何かあって死んでもいいや」という気持ちで行ったのだが・・・・
やばーー! 初めての異国ってほぼ宇宙!
あっちの空港についたら空気の匂いは違うし、夜空に星がぎっしり。天の川や南十字星まで見えて。
ホテルの人が迎えに来てくれて、ぜんぜん言葉わからないんだけど「わははは!」とやたら笑って、私をバンバン叩いた(昔だから?やたらおおらか)。コテージまで案内してくれた現地のおばさんは英語で「そんな若くてここに来るなんて、おまえらは金持ちの子か。また来年も来なさい」みたいなこといっていた。日本とは違うその圧倒的な距離感の無さに宇宙を感じた。
翌日からはひたすらビーチにいたんだけど、物売りのおばさんのパワーがスゴイ。はるか遠くから私たちを見つけて、「マッサーーーージ!!」と叫んで走ってくる。いらないっちゅうても、勝手に髪を編み込みしてくれた。(もちろん何でも「1000えん」か「300えん」言ってた。当時。)
当時のクタには日本人が全然いなくて、ほぼ旅行者はオーストラリアからの人。夕日のビーチに白馬に乗った金髪の少女とかいて、「これは幻?」という感じだった。
そんなところに10日いて、「そっかーー地球のウラとか行けば(バリは全然ウラじゃない)、私、生きていけるんだ」という気持ちになった。日本にあるあの息苦しさは、あそこだけのことで、別に「この世のすべて」というわけではない。そして「親や友達を含めて、申し訳ないが私は今日本にあるものが必要じゃない、全部無くしても平気だ!」ということに気がついた。
全部無くしても平気!
だから、戻って生きていくのが平気になった。
だって、無くしても平気だから。ゼロでOK。失って恐いものが無い。
なんか1ミリいいことがあったらラッキー。
それから私は、専門学校しか行ってないからと諦めていたマスコミ仕事やらにバンバン応募して、そしたらたまたまいくつかご縁があって、
その後30年以上、好き勝手に生きてきた。
「枠」というのは誰かがつくったルールで、地球のウラ側では関係ないものなんだと、あのとき知って、世界が弾けた。
その後、「ルールは自分で決めるけど何か?」という若くてバンバン稼ぐ同人(今なら2次創作というの?)作家のスゴイ女の子たちにわさわさ出会い、彼女たちの前に大出版社のエライおじさんたちがひざまづくのを見て、ますます「枠は作れる」というのを実感した。
さらにその後、自分で時代をつくるたくさんの素敵な大人たちに出会ってきた。凡人代表として、脇で見ているだけで面白かった。(自分が何者かにならなくても人生にトキメキはある。)
既存のレールに乗るとか、枠にハマろうとすると苦しいし、楽しくないし、大変だけど、そこに乗らなくてもハマらなくても大丈夫、生きていける。
それを知ってからは、「死ぬまでの時間はなるべく楽しく過ごそう!」と思うようになった。
バリ島行ったくらいで、結構人生変わる。