【創作】 「お狐様の言うには」

母さんの昔なじみのおじいさんを紹介されて切りそろえられた髪はお世辞にも流行りの髪型とは言えなくて、散髪屋の鏡には苦笑いする僕の顔が写っていた。帰るなり母さんは「まぁ、すっきりしていいんじゃない?最近目が悪くなりそうな髪だったし、今のがちょうどいいよ」と一度だけこちらに顔を向けて言ってきた。母さんの悪い癖だよ、そうやって見ないフリするとこ。

朝、髪を濡らして乾かしても何一つ変わらなかった。それどころか「伸びるまでどうにもなるわけないからさっさと学校行きなさい」って正論ぶつけられる始末。
頭に入ってこない単語帳に目を落としながら駅に向かって歩いて、定期を通して人だらけの電車の中。スマホを見る人、本を読む人、あくびをする人、見慣れてしまった景色の中でクスクス笑い声が聞こえた。どこから誰が笑っているのかが確認できない、自分のことかもしれない。いつもはイヤホン持ってくるのに、急いで家から出させられたから…普段は聞こえない笑い声に、もう気持ちがどうしようもなくなって、学校の最寄りじゃない駅で急いで降りた。次、次の電車乗れば学校は間に合うし、遅刻も付かない時間だし。スマホを見てみるとロック画面には8:06の文字と今週の小テスト予定表が映し出された。今日は英語、明日は古典で、明後日は政治の、範囲は何だっけ…

次に顔を上げた時には電車は何本も目の前を過ぎていて、朝のホームルームはとっくに遅刻している時間だったから、改札を通ってほとんど降りたことのない土地を歩き始めた。
通勤・通学ラッシュの過ぎた午前10時に僕はスマホを片手に持って、リュックを背負ってクソ暑い空の下を歩いていた。制服は第一ボタンまで閉めて、ネクタイも緩めずに首の自由を奪っている。髪が汗で張り付いてうっとうしい。どこか涼しいところで水分取りたい…
建物と植物の影を踏みながら足を進めていると小さな神社を見つけた。ふらふらと中に入っていって、賽銭箱の前の階段に腰掛けて水筒の口を開けた。
「君、サボりかな?」
水筒の中身は全部石階段に飲まれていった。

「ごめんね、驚かせちゃって…」
申し訳なさそうにしているその人?はふさふさの耳と眉を下げて平謝りしている。
「もう、大丈夫ですよ。僕は濡れてないですし、飲み物はまぁ、」
「そうだよね!こんなに暑かったら喉乾くよね!!ちょっと待ってて!」
そう告げて神社の事務所の方に走っていった。ふわふわの尻尾まで生えてる…?なんてキャラのコスプレだろう
そのコスプレをした人は、息を切らしながらペットボトルの水を手渡してくれた。
「あっざます、」
言葉に詰まって変な感じでお礼を言った。
「水分は大事だからね、君達は熱中症というので大変なんでしょ?」
どこか他人事な物言いだった、キャラを徹底しているのかな、すごいな。
「なんていう名前なんですか?」
「あたし?あたしはね、稲荷れ~汰っていうの。」
「お寿司のいなり?」
「そうそう!その稲荷と同じ漢字だよ」
「ふぅん」
「君の名前は?」
俺はただの制服を着た男子高校生だけど…むしろ平日のこんな時間に制服でふらふらしてたし何かのキャラに見えたのかもしれない。
「いなはらかずほ」
「かずほ君はどんな字を書くの?」
「稲に原っぱ、漢字の一に、穀物の、のぎへんにめぐみの穂」
「一文字お揃いだね!」
嬉しそうに手を叩き、にこにこと笑った。
「何のキャラなんですか?その衣装」
「キャラ?」
目を丸くしてキョトンとした稲荷さんは、俺の言った意味が通じていないように感じてこっちも困惑してしまう。
「その尻尾とか、耳とか…」
「あぁ、コスプレじゃないよ。あたしは狐なんだ!」
「きつねなんだ?」
理解が追い付かない、
やばい、変な人にかかわってしまった。
にげなきゃ!
…どこに?
知らない駅、知らない場所、知らない人、もとい狐
「どうなってもいいか」
稲荷さんは小さく呟いた俺の声を聞き逃さなかった。
「なにか悩んでるの?しんどいことがあったの?」
顔を覗き込まれた時に距離が近づいて尻尾が背中に触れた。
「くすぐったい、かも」
「ふかふかでしょ~」
誇らしげに明るく笑う姿につられて俺も少し笑った。
「稲荷さん、聞いて」
「うんうん、なんでも話していいよ。」

はじめは、ぽろ、ぽろと普段の小さな不満を零していた。
勉強してもテストの成績が伸びない、母親が話を聞かない、両親の喧嘩の内容はいつだって俺のことだった。
「俺はどうしたらいいんでしょうか」
ついに口から出てしまったどうしようもない言葉に慌てて口を覆った。
「ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
「言ってもどうしようもないから?」
「あたしだって、解決できるか分からないまま聞いたのに~?」
笑顔を浮かべながら、両手を頬にあてた稲荷さんはさっきより子供っぽかった。
「でも一つ分かったのはね、君がとーっても気遣い屋さんのいい子だってこと!」
そう言った稲荷さんの手は俺の頭の上に乗っていて、優しい声の響きと相まってすごく心地よかった。
「うち、ちっちゃい子がいてさ、こぎつねって呼んでるんだけどね。正直大変な時もあるよ。だけど、かわいいんだよね」
「…はい」
「うん。今の話聞いててね、一穂君みたいな優しい子に育ってくれたらいいなぁって思ったよ。」
その横顔は、さっきの子供のような無邪気な顔ではなくて、「お母さん」の顔だった。いつかに自分も見たことのある顔だった
「こぎつねが好きなことで笑ってるときも、理由が分からなくて泣いているときでもいつだって側に居てその成長を見ていたいって、そう思うんだよね。それは小さい時でも大きくなってからでも変わんないんだよ。」

昔、小さいころに母親と話をしたのを思い出した。
「おれさ、おっきくなったら、あのさ、いっぱい勉強してえらい人になるね!」
「なにぃ、偉い人ってどんな人なの?」
「えっと、、お父さんとお母さんがじまんしたくなる人!!」
「それは楽しみだわ、いつまでも待ってるからね。焦ることないのよ。」
思い出した、そう言ってくれた母の顔は今の稲荷さんと同じだった。

「稲荷さん」
「はーい」
「俺、帰ります。家に」
「おっ、不良少年~。」
「やめてくださいよ」
稲荷さんの冗談にふっと笑いがこぼれた。
「おうちで息抜きできそう?」
「…わかんないです」
「正直でよろしい!!えらい!!」
ぐしゃぐしゃっと頭をなでてくれた稲荷さんの手はすごくあったかかった。
「また来てもいいですか?」
届かなくてもいいと思って発した声はどんどん小さくなる。
「いつでもおいで」
そう言って稲荷さんは手で狐の顔を作った。そのまま頬をつつかれる。その指も、声も表情も全部が優しかった。
「またね」
その言葉に背中を押されて、神社を出た。
背中にはふわふわの尻尾の感触が残っていた。

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