「こういうことを愛情と呼びたい」


〈この稿の目標、ルール〉

・基本的に年齢を追って書いていく
・自分の考えの整理を目的として書く
・書き次第追加していく
・訂正する際は、よほどのことがない限り消さずに線引きでの訂正を行う
・自分に正直になる

〈インスタントの承認欲求〉

承認欲求を満たすのに一番早いのは自分の身を切り売りすることだと、そう言葉で捉えたのはつい数年前のことだった。それを幼い頃からしていたと気付いたのは数日前だった。

〈愛想良くするまで〉

幼い頃、記憶の限りでは愛想の良い方ではなかった。しかしながら母親から外面がいいと言われていた。私にはあまり意味が分からなかった。それは母からの、暴言のギリギリの線を踏む行為である、嫌味であったと今では考えられる、理解できる。そんなことも勘づくことのできない私はたまに褒めてくれるものの1つだと思っていた。外交的ではない私だったので、すぐに自分から言うことはなかった。おそらく小学生ごろ、少し他者との接触への警戒が薄れてきた頃に、私は私を傷つけた。言葉で自傷した。結果的に言えば、その環境は心地よかった。周りのみんなが笑ってくれた。安堵の笑いだったと思う。「この子とのコミュニケーションは“こういうこと”言っていいんだ」という、社会の言葉遣いの弾圧に気疲れしていた大人たちの安心だったと思う。その笑顔を見た私も安心した。「“こういうこと”言ったら周りの人たちは喜んでくれるんだ」と思った。愛想良くするってこういうことかと、母は私が外で反抗することはなかったから「外面がいい」と言ってくれていたのだ、と。それと同時に「外見があんまりなんだから少しでも愛想よくしておきなさい」と両親に言われたことを思い出した。たしか、すごく落ち込んでふてくされた。同時に「おじいちゃんおばあちゃんが可愛いと言うのは当たり前。だって孫なんだから」と言われていた。なるほど、そうかと納得してしまった。孫は無差別に愛されるべき存在だ、でも娘やただの親戚は違う。友人関係ももちろん。そう解釈した私は悪意に敏感ならないように意識した。皮肉なもので気づかないように意識するためには、より一層悪意に敏感にならなければいけなかった。そんなことには気づくことはなかった。悪意を受け流せていたと、私は愛想が良い人間なのだと満足すらしていた。


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