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神と仏に祈ることと願うこと

うちの実家はお寺です。神と仏が融合をした、神仏習合の名残のあるお寺です。限界集落な場所にあるので誰も後を継ぎませんでしたけど。色々と説のある地域だったりもしますが、それはまた話します。

神仏習合の名残があるので同じ敷地に神社(神道)とお寺(仏)があるという不思議な空間です。お寺(仏)の方は真宗系で派は内緒です。もともと日本というのは神道なのですが。もともと、という言い方は語弊があるかもしれませんが。

神を信じて、自分たちが生活をしている周りのものにも神が宿ると考えていた風習があります。神が宿るというか、自分たちが生活をしていく、自分たちが生きていくということを手助けしてくれているという感謝の念から身の回りのものにも神が宿ると考えていたのかもしれません。

そして、途中から仏の教え、仏教が入ってきます。神道と仏教がうまく融合する時代が続きます。これが、とても不思議な時代なんです。

神に祈る

人がこの世で生きている間は、神に祈ったりします。つまり、現世は神に頼るというか、祈るというか、神頼みというか。受験合格祈願も寺院じゃなくて、神社に行くし、お守りとかも神社だしね。

仏を祈る

そして、あの世では仏となるということを考えます。つまり死ぬということです。涅槃の思想が流れているから、あの世では神ではなくて、仏の思想が必要になるみたい。神仏習合というのは、人が生きやすく、そしてあの世へ行きやすいための心を沈めてくれるような思想だったらしいということを、婆様が言っておられたが、そうかもしれないなと、40歳過ぎてやっと判るようなってきました。

現世は神に。
彼の世は仏にということですね。

別に仏様、神様を冒涜しているわけじゃありません。神に祈りながらも、仏の教えも取り入れて生きてきたから、現代の文化があるのだろうし、そこから様々な言葉も生まれてきたわけです。とくに仏教用語がそのまま生活用語になっていることも多くあります。確実に言えることは、神も仏も人間が生きやすいように解釈されているということです。

日本という国の文化は難しい

日本という国に生まれて、日本という国で育ってきているけど、日本という国の本当の歴史をあまり知らない自分が恥ずかしいなと思うこともあります。よくわからないことが多いです。七五三とか、氏神様とか、盆踊りとか、必ず深い意味があるはずです。

全ては戦争で負けてGHQが操作してしまったのかもしれないなと思うこともあります。もっと、悲惨な歴史だってわるわけですから。

日本人の心のふるさと

日本人の心のふるさとと呼ばれている伊勢神宮。日本人であれば誰もが一度は行くとか言われてます。

伊勢神宮には何があるのか?

それがよく判りませんという人は多いはずです。私も歯切れよく説明できませんから。よく判らないけど、なんだか大切な場所なんだろうなというのは本能的に判ります。判ってないのにお参りに行くという、日本人という民族は不思議ですよね。

日本人の心のふるさと、自分の心のふるさと、心の在り処というのが、なんとなくだけど見つけ難いような時代になってきているような感じがします。

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