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イギリス・スコットランド(エディンバラ/グラスゴー)渡航日記


旅することは感じること。書くことは考えること。
異邦人として地域を歩くとき、私が最初に注目すること、感じ取ることは何であるか。「旅を書く」ことで自分自身を記録する。
ーイギリス1周の旅のはじまりは、スコットランド・エディンバラ/グラスゴーー



-スコットランドってどんなところ?

 ロンドンからバスで9時間。既に日の沈んだエディンバラのバスステーションに、弟と2人で降り立った。スコットランドといえば、高校時代に「Mary Queen of Scots」を見たことを思い出す。侵攻と自治を繰り返したイングランドとの攻防の一部始終は、複雑な印象だけが残って詳しいことはすっかり忘れてしまった。バスの中で9時間も座っているのは何だかもったいない気がして、スコットランドの歴史を読み直してみた。この文章を読み返した頃には再び忘れているだろうから、まずはざっくり記録しておく。

 ローマ帝国時代にカレドニアと呼ばれていたこの地域には、2つの民族が根を張っていたという。ローマ帝国の影響を受けたブリテン人と、独自の文化を繁栄させたケルト系ピクト人だ。しかしローマ帝国が衰退すると、そこに「アイルランド」「ヨーロッパ大陸(アングロサクソン)」「ヴァイキング」の3方面から異なる民族が侵攻してくる。はじめはそれぞれが王国を築いていたが、争いの結果それらは合併し、スコットランド王朝が拡大していく。シェイクスピア『マクベス』の舞台となったのが、まさにこの時代。二つの家系が王位を交互に継承していくタニストリー制度を背景にした、復讐劇である。

 しかし、ノルマンコンクエストをきっかけにイングランド諸国がスコットランドへの侵攻をはじめる。これが、この後長らく続くスコットランドとイングランドとの攻防戦である。スコットランド独立戦争に始まり、ジャコバイトの反乱でイングランドに正式に従属するまで王位継承権が行ったり来たりしながら約450年の月日が流れた。

 その結果イングランド支配下に入ったスコットランドは、産業革命に突入していく。エディンバラにあるNational Museum of Scotlandに足を運ぶと、この時代に発展した科学技術が輝かしく展示されている。他にも、街には外科、カメラ、航空機、文学などそれぞれのテーマに特化した博物館が連立している。18世紀には、ひと足先に産業革命が始まったイングランドの流れを汲んで、次第にスコットランドも科学発明の要の都市と化していった。特に、グラスゴーの造船産業はこの地域の貿易を活性化させた。さらに、ヒュームやアダム・スミス、そして蒸気機関車で有名なジェームズ・ワットらに代表される「スコットランド啓蒙」が誕生したのもこの時だ。こうした知的階級層らにより構築された教育システムは、イングランドとは分離され、スコットランド独自のものとして現存している。実際、イギリス国内の中でもスコットランドのみ地元住民は無料で高等教育(大学)に通うことができたり学年の振り分け方が異なったりと、教育制度は地域ごとに自治される。

 こうして産業革命により急成長を遂げたスコットランドだが、実はその裏には「ハイランドクリアランス」に見られるような、農民排除の歴史もある。生産性を求め、ハイランド地方を牧羊地にするために、約10万人ほどの農民が強制立退を余儀なくされた。実際、北端にあるStrathnaverという村には当時の農民たちのアイデンティティをめぐる展示があるらしい。しかし、今回私が周った主要都市では、そうした下級階層の人々に関する史跡はほとんど目立たなかった。スコットランドという地域が作り出す伝統とは、中世の王朝貴族文化と18世紀の知的階級の功績から成り立っているように思えた。

スコットランド国立博物館・クローン羊のドリー
アダム・スミス、ジェームズ・ワットの通った
グラスゴー大学

-2泊3日のスケジュール

1日目 
10:00 長距離バス乗車(ロンドン to エディンバラ)
19:30 エディンバラ到着
20:30 街を歩きながらクリスマスマーケット観覧
21:00 レストランでディナー

2日目
8:30出発
9:00〜11:30 アーサズシートにてハイキング
         (と思ったら意外にハードな山登り・・・😰)
12:00 ランチ
12:30 The Royal Yacht Britannia
13:00 エディンバラ大学、エディンバラ城、グレーフライアーズ・カークヤード(世界一怖いお墓)
14:30 スコットランド国立博物館(クローン技術で作られた羊のドリー)
16:30 ロイヤルマイル,プリンシズストリート、カフェ
19:00 クリスマスマーケットでディナー

3日目
10:00 エディンバラ出発
11:30 グラスゴー到着、グラスゴー大学
13:00 カフェ
14:00 街歩き
18:00 クリスマスイブのディナーへ(海外で初のコース料理)
23:15 Glasgow Cathedral のクリスマスナイトサービスへ

スコットランドのお店の人はみな、なんだか温かいような気がした。カフェに入ると、店員さんはお客さんをみな「Darling」と呼ぶ。そして、座っていると途中で「Enjoying your meal?」と聞きにきて少しの会話を楽しむ。偶然かもしれないが、ロンドンではあまりそうした接客は見たことがなかったため、スコットランドの方が温かくフレンドリーな印象を持った。
ハイキングだと思ったら、しっかり山登りだった
アーサーズシート

-近代都市ロンドン、伝統城都エディンバラ、そして産業都市グラスゴー

 日本からみた「イギリス」の景色と、イギリスでみる「イギリス」の景色はまるで違う。日本にいると、外集団の同質性バイアスが働き、あたかもイギリスを1つのまとまりとしてイメージを当てはめてしまう。しかし、3ヶ月拠点を置いたロンドンから、別の都市に足を運んでみると、そこには全く別の顔の「イギリス」像が浮かんでくる。

 ロンドンに住んでいると、どこに行っても英国王室の存在を感じずにはいられない。バッキンガム宮殿やウェストミンスターなどのアイコニックな建築物はもちろんのこと、郵便=[Royal Mail]や、様々なレストランやFortnum & Mason, Harrods=[Royal Warrant]など、日常生活で[Royal]という言葉を幾度となく目にする。さらに、街を歩くとすれ違う人々の人種が多種多様で、自分が外国人であることを忘れるほど人種の空間的融合が進んでいる。中心街を歩けばどこでも、インドや中東系の人々が営むsouvenir shopやピンク色のトゥクトゥクを見かける。大学においても、交換留学生にとどまらず現地で育った正規学生も出身地は多様である。もはや誰が「イギリス人」であるのか見分けることは難しい。ロンドンは、まさに近代化の進んだグローバルシティである。

 一方でエディンバラは、中世ヨーロッパの街並みがそのまま保存されている。まず、丘の上にスコットランド城が建てられ、その周辺にゴシック様式のCathedralもしくはMinsterが聳え立つ。そして、街を数分歩けば小さなChurchをいくつも見かける。全体的に石造りの建物や道が多く、sandstone(砂岩)がよく使用される。その黄土色のような暗色の建造物が、街全体の上品さや重厚さを作り出しているように感じた。スコットランド王国の首都なだけあり、ロンドンのイングランド王のような煌びやかさとはまた異なり、落ち着きのあるエレガントな重厚さが街全体への権威を立てていた。

中世を想起させるエディンバラの建物

 そして同じスコットランドでも、グラスゴーに行けば街の雰囲気はガラリと変わる。産業革命以降、エディンバラを差し置いて産業・経済の中心地としての役割を担ったのがグラスゴーである。そのため、この都市の建築物は20世紀の産業革命期に建てられたものが多い。実際、この時期のグラスゴーの建築物では汚染や天候に耐性のあるという赤色のsandstoneが使われていたという。そのため、街を歩いていると全体的に赤褐色の建築物の印象を受ける。さらに、エディンバラで感じたような王朝の重厚さや気高さのような雰囲気はない。特に中心街は碁盤目状に区画され、産業都市として効率を重視した街づくりがなされていた。とはいえ、やはり同じイギリスだと感じるのは、どこに行っても安定的に登場する「Tesco(イギリスでお馴染みのスーパー)」のおかげかもしれない(笑)

かつての工場跡を元にしたグラスゴーの街並み

 それはさておき、以前私が訪れたオランダやドイツのベルリンとイギリスの歴史の作り方はどこか違うように感じた。オランダやドイツでは、ビール博物館や飾り窓地区、そしてユダヤ博物館など大衆の歴史文化にも焦点があてられる名所が多くある。一方、イギリスの創り出す伝統を見てみれば、宮殿や貴族、産業の栄華といった上流階級を中心とした物語が目立ち、その背後にある市民の声や日常が見えにくいように感じる。そこには、イギリスにおける「階級社会」という制度的慣習が色濃く表れている。支配と従属という関係によって構築された産業革命以降のブルジョワジーとプロレタリアートの上下の関係は、階層ごとに作り出される文化やネットワークも明確に分断していく。そう考えれば、長らく政治的・経済的権力を握っていたロイヤルファミリー及び貴族らよって作られた「イギリス」という国の伝統には、下層階級の人々の文化史が反映されにくいことは無理はない。そして、イギリスでも盛んに起きた労働運動などの歴史も、観光名所に反映されているのをほとんど目にしない。

-集合意識としてのクリスマス

 現地のクリスマスの位置付けを体験してみようと、イブはグラスゴー大聖堂のクリスマスミサに参加した。スコットランドで最古の教会と言われているここでは、24日は23:15から皆で集いカウントダウンを行うためのクリスマスキャロルが開催されていた。余裕を持って23:00ごろに大聖堂に到着すると、大きな聖堂の中は既に地元住民で溢れかえり、ぎりぎり横の通路側の席に通された。私たちの後にやってきた人々は、後ろドアの前で立つことになったが、それでもなお人が次から次へと入ってきていた。周りを見渡せば、深夜の時間帯にもかかわらず小さな子供から高齢者まで、一家全員で参加している市民が多い。運営陣を見ていると、ほとんどがこの地域の住民であろう高齢者が大半だ。男性は黒いターキシード、女性は黒いワンピースのような正装を着用し、場内を動き回って運営に務めていた。こうした人々は、退職後ある程度経済的にも時間的にも余裕ができた時、社会への貢献活動に従事しようと運営に務めているのだろうか。

 その空間は、イギリスにおけるキリスト教と地域社会との根強い繋がりの象徴であった。 ビジネスマンのような人から小さな子供まで、ナイトサービスで歌われる全4曲それぞれ1〜4番まで、当然のように暗唱する。歌詞はイエスキリストの誕生の一連の話が語られ、それを祝福する内容である。そして、23:57になると、「Silent Night」が始まり、25日の0時になった瞬間に人々はそれを歌い終える。周囲の知らない誰かとハグを交わしながら「Happy Christmas」とキリストの誕生を讃えあう。このように、大聖堂にクリスマスの聖なる夜に集ってきた人々にとって、教会は一つのコミュニティであり、人々の連帯を生み出す象徴なのだと強く納得した。

 高校までカトリックの学校に通っていた私にとって、国教会の式の進行方向は新鮮で面白かった。十字架にはイエスキリストの像はなく、クリスマスの聖歌も微妙に異なる。さらに牧師の説教のやり方や内容も、司祭のものとは毛色が違う。そして最も驚いたのは、教会の内装だ。どこかライブ会場のような雰囲気を醸し出す場内は、青とピンクの蛍光ライトとで煌々と照らされている。牧師の立つ位置はステージのように装飾され、厳格さを重視するカトリックとの差異もまた面白いものだった。

 日本では、クリスマスはイベント性の強いものとして認識されている。たしかに、イギリスにおいてもその側面もある。10月頃からお店のショーウィンドウにはクリスマスの装飾が施され、12月になると街中の人々は当然のようにサンタやトナカイの被り物を身につける。そして数歩に1回ストリートパフォーマーたちに出くわし、彼らによって街の雰囲気は一層Christmassyになっていく。さらに、土日になると決まってもみの木を肩に担ぐ人々が散見され、どの家の窓際にも大きなクリスマスツリーが飾られている。こうして書き出していくと、むしろこちらの人々は、日本以上にイベントとしてのクリスマスに熱心に取り組んでいる。しかし、クリスマス当日はそうではなくなる。イブの夜に少し高級なレストランに行っても、お客さんはあまり入っていない。家族と家で食卓を囲み、夜に教会に足を運ぶのが人々のクリスマスの過ごし方だからである。イギリスの人々にとって、クリスマスとは「儀礼」を通じて、社会的結束を強化する場であるのだ。

教会の中でこんなにライトアップされているところを初めて目にした

-文化資本を持って旅すること

 観光という行為は、私たちの文化的素養を浮き彫りにする。よく考えてみれば、現代の私たちが丸1日の時間の使い方を能動的に選択できる機会は旅行くらいなのではないか。仕事にも家事にも縛られず、自分のことを誰も知らない土地で24時間を過ごす。そうした自由を手に入れた時、観光の楽しみ方に文化的な素養が求められる。

 ヨーロッパの国の観光のほとんどは、教会、博物館、美術館、食事で成り立っているように思う。これらの多くは中世以降のヨーロッパ史と紐づけられるため、それを知らなければ「わーきれい」と言って周るほかなくなってしまう。そうした人々はどのように観光を楽しむのか。その答えはSNSを開けば一目瞭然だ。インスタなどを頼りに、写真スポットを巡り人気のある料理を食べにいく。ひとまず、ただ「そこに行った」という事実を写真として記録し、消費することがそうした人々の楽しみ方になる。シミュラークルによって形作る現代的な観光スタイルだ。

 このように書くと批判的な文脈になってしまうが、実際ヨーロッパを周っているとそうならざるを得ないことが多々ある。あまりにも歴史文化的背景を知らないと、目の前の展示品は単なる物体でしかない。そこに、文化資本というものを感じるのだ。その価値が分かるか否か、そこで旅人の素養が試される。しかし、それは全て知識を持って挑むのをよしと言っているわけではない。分からないがゆえに、心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく、考え耽ることができる。

-スコットランドで出会ったパフォーマーたち

エディンバラの城下町にて
キルトを着用してバグパイプを演奏する人
グラスゴーの商店街にて
ゴリラの着ぐるみでダンスをする人
ゴリラの人の数歩先で
トランペットを演奏する人
グラスゴーのクリスマスマーケットの前で
アコーディオンを演奏する人

最後まで読んでいただきありがとうございました。
久々筆をとると、日本語が出てこなくて困る、現象があります笑
私が日々日記を綴っていると、今回一緒に旅をしていた弟くんも隣で何やら記録を取り始めていました。少し、良い影響を与えられたのでしょうか😂
それでは、イギリス一周旅行記、次回もお楽しみに!

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