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イギリス留学日記 #7 3カ国を周る〜アムステルダム・ブリュッセル・ベルリンの旅〜
人も言語も時間も、真っ白なパレットに向き合ったとき、私は何を描き出せるだろうか。そんな問いを軸に、未来へと時間を消費するのではなく、現在へと関心を向けるための日記をゆったりと書き綴ることにしました。
-更新頻度も言語も気まぐれですが、お付き合いください-
-はじまりと準備
イギリスには学期の中頃、Reading Weekと呼ばれる1週間の休みがある。それは、個人での勉強を基礎とするこの国の教育制度として、学生が自主学習をする時間として設けられた期間である。
「ならば、旅に出よう!」
フィールドを巡ることを学びの手法とする私にとって、最高の自主学習の方法とは、様々な社会空間に潜りにいくことだ。そう自分に言い訳をして、3カ国の旅に出ることにした。
①7日間のスケジュール
今回は、全ての国に2泊3日のペースで滞在して回った。具体的な内容は以前投稿したものをご覧いただきたいが、全体像は下記の通り。
1カ国目:アムステルダム(月曜日-水曜日)
交通手段は飛行機。ロンドンサウスエンド空港-スキポール空港まで1時間30分ほどのフライトでつくことができる。片道、約€40-50前後。
2カ国目:ブリュッセル(水曜日-金曜日)
交通手段はバス。アムステルダムからFlix Busで2時間半ほど。治安の悪さを懸念していたが全く問題なく快適に過ごせた。片道約€8ほど。
3カ国目:ベルリン(金曜日-日曜日)
交通手段はドイツ鉄道。ブリュッセル-フランク-ベルリンでトータル8時間。ドイツ鉄道の中にはレストランや、WiFiが充実しており作業していればあっという間だった。ただし全て表記がドイツ語であることや遅れがしばしば出ることには要注意。特に遅れが出た場合自由席が混み合うのが厄介・・・学生割引を使って、片道€69ほど。
②準備は「しない」
今回の旅はすべてが弾丸だった。中高の友人と2人で、旅の1週間前に交通手段とエアビを予約し、あとは全て現地に行ってからのお楽しみ。移動しながら次に向かう国の情報をインプットし、その場で予定を立てるという贅沢な時間の使い方をしてみた。
事前に入念に調べていくことはもちろん推奨されるのだろうが、特に複数の国を横断していく場合始めればきりがない。旅の移動時間をうまく使いながら、まずは国の情報を調べ、歴史を知り、訪れたい場所を確定させるというのは3カ国の旅ならではの醍醐味かもしれない。ただし、一部のミュージアムは先まで予約が埋まっていることもあるため、チケット情報だけは先に調べておくことを勧めたい。
-3カ国を周るということ~stirring my brain~
複数の国を一気に横断してみることは、それだけで発見が多い。言うなれば、それは「stirring my brain」である。
国によって、まるで雰囲気が異なる。歴史、建物、言語、人というあらゆる要素が交差しながら、ひとつの国として私の目の前に立ち現れる。それは、現地で出会う人々にとっては「日常」であり、当然の光景かもしれない。誰かにとっての当然に対して、一部始終驚嘆している私。それは、その土地に何の縁もない存在だからこそ得られる視点である。
属する社会によって、人々の当たり前は異なる。そして、構造化する構造は無意識のうちに私たちの行為に内面化する。そして、その構造の差異が人々の行為に現れたとき、私たちはそれを目の前の一人の人間のパーソナリティとして受け取ってしまう。
3つの異なる構造を持った社会を、これほどまでに短期間で概観できたことは、とにかく私の脳内をかきまわした。それは、2泊3日という時間はその土地に根を張り適応するにはあまりにも短すぎる。しかし、3日いれば、感じ取った違和感や差異が何によるものなのか思考する時間が与えられる。今回の旅の面白さはこの時間の制約と、異邦人として離れたところから文化に触れる機会にあった。
-友人と地域を歩くこと
イギリスに来てから、頭の中や書くことで思考する時間が多々あった。しかし、なぜか今回の旅はこの2ヶ月間の中で、最も私の価値観が揺さぶられていることを自覚できた時間だった。
その理由のひとつは、それまで日本がconfort zone、イギリスがstretch zoneという位置関係だったのに対し、今回の旅においてのconfort zoneはイギリスで、旅先がconfort zoneと意識されたことがある。イギリスであれば伝わる英語が、旅先では外国語とされる。キャッシュレス社会ではなく未だ現金が必要になる。こうした些細な文化の違いを、私は無意識のうちに日本との比較ではなくイギリスとの比較の中で考えていた。
そして、もうひとつは中高を共にした、似たバックグラウンドを持つ友人とひたすら対話したことだ。卒業してから数年が経ち、私たちは既にそれぞれの大学におけるハビトゥスが身体化し別の道を歩んでいる。しかし、やはりどこか同じ文脈を共有しているところがある。私は卒業してから高校までの過去を再編集しdisembeddingしたとばかり思っていたが、埋め込まれたものを掘り返してみると、今後は大学に入ってからのここ最近の自分をdisembeddingできるような不思議な感覚に陥る。その時間は、私の意識を「頭で旅する」のではなく「感性で旅する」ことへ向けてくれた。
Sharing the same space, we haven't chatted for a long time in the school days. Now we finally found we hit it off!
This is what I discovered most on this trip. Many thanks to my soul mates <3
-生活するイギリス、旅するヨーロッパ
7日間の旅を終えて、私のイギリスへの向き合い方も変化していく。
留学が始まって2ヶ月、私はここで大きなカルチャーショックを受けた感じがしていない。それは、1人で1年間留学するという事実を目の前に、小さな衝撃を即座に頭の中で処理しようと動いていた私の防衛反応だったかもしれない。しかし、心を開ける友人と「旅」として国を回ってみると、頭で処理せず感じるままに感性を受け入れることができたような気がするのだ。
「生活する場」として一体化することが先行していたイギリスと、「旅の先」として対象化して経験できた3カ国。それは、住む場所と一時的に滞在する場所として大きな違いがあるが、私はもっとイギリスも対象化して見てみたいと思えるようになった。
-感じることと考えること、そして書くこと
「表現」において何を良しとするか、それは人それぞれだ。
地域を歩いて感覚すること、それを話すことで知覚すること、それを書くことで認知すること。私は旅から帰ったその瞬間から、気づけば書き続けていた。それだけ、この旅は私をカオスに投げ入れてくれたのであり、感覚するものが多かった。そして、ひたすらに対話したことでより深く知覚したものが多かった。だから、それを書き取る必要があった。
しかし、机に向き合っているとふとした瞬間に思うことがある。
私が書きとっているものは、私が感覚したもの全てではない。感覚→知覚→認知と言葉を獲得していけばそれだけ、一次情報としての感覚が言葉という枠に収められてしまう気もするのだ。
なるほど、これがフィールドワークというものかもしれない。
それは、エスノグラフィーとは、何を「書けるか」ではなく、何を「書けないか」という、制約条件に基礎づけられた方法であるということだ。
引用した文脈で言われる「書けない」とは、参与観察における物理的制約や検閲のような問題を挙げている。しかし、それと同じように、人々は感じ取った感性を全て書き取ることもできないと思う。それは、物事を区切るという言葉の性質の脆弱性かもしれない。
だからこそ、私は自らが感じ取る感性を大事に保ちたい。そしてその感性をなるべく正確に書き取れるための言葉を探し続けたい。それを実現させるためには、様々な形式の表現方法にも挑戦してみようと思う。
ここに綴った自分の言葉にいつも立ち返ることができるように、私の成長記録として私の向きたい方向性をここに記述しておく。