実は自分にとって哲学は二次的な価値しか有していません。じゃあなんでお前は哲学についてばかり書いているのかと問われれば、人生にとって大切なこと、つまり自分にとって一次的な価値があるものはたいていはカント的な限界確定の外側、ウィトゲンシュタイン的に言うと語りえぬものであるからだ。それらは、観想や祈りの対象だ。哲学に出来ることは精々、観想や祈りの対象、すなわち宇宙や自然そして/あるいは神に突進する無謀を企てるのが関の山だと思います。哲学そのものが祈りや観想であるわけではない。(これは私が大好きなものについて語らない理由の説明を試みているのだけど、伝わらないだろうなと思いつつ……)
奇蹟は毎分毎秒、刹那ごとに生起している。
世界というテクストの豊饒さは解釈の完了を許さない。
奇蹟に気づけないのは見る目がないからであり、
解釈が完了したと勘違いするのは無限性への感度が鈍化しているからだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?