メジャーなもの

ジル・ドゥルーズはミシェル・フーコーに宛てた手紙にこう書いている。

「自分は社会の除け者気取りの連中[自分をマージナルと称する連中]に対する、ミシェルの嫌悪をぼくも共有する。狂気、犯罪、倒錯、麻薬といったものにあるロマンティシズムは、ぼくにもだんだん耐え難くなっている。しかしぼくにとり、諸々の逃亡線、つまり欲望のアレンジメントとは、社会の除け者気取りの連中が作るものではない。反対にそれらの逃亡線は、一つの社会を横切っていく客観的な線なのだが、社会の除け者気取りの連中は、一つの社会のあちこちに身を据えて、環を閉ざし、とぐろを巻き、再コード化してしまう」

示唆に富む文章で様々に解釈が可能だが今は直接的なコメントは控える。

僕は複数の「異常」な属性を帯びており、そのせいかマイナーなものに惹かれる傾向がある。けれでもマイナーなものはマイナーであるというだけで価値があるわけではない。つまりマイナー性それ自体として、プラスの価値があるわけではない。今年のSpotifyの振り返りで、3番目によく聴いたアーティストはB'zだった(1番はTaeyeon、2番はaespa)。B'zは病室のラジオで聴いて「発見」したのだけど、僕がメジャー性を考えるときの重要な参照項だ。

とにかく、今年は何処か小馬鹿にしていたメジャーなものを再評価する一年だった。音楽に限った話ではないのだけど。

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