新しい風

アーレントの活動性の三区分に従うなら、思考への引きこもりは労働と類比的に考えることができる。鬱は思考への引きこもりであり、或る種の動けなさである。逆に仕事や活動は動くことである。鬱とは動き始めることが出来ないことだが、では開始を開始させるのは何か。簡単に言うと、仕事でも家事でも勉強でも何でもいいけど、やる気がなくて始められないとする。「とりあえずやってみる」の手前で、「やってみる」という気力すらわかない。いやな考えだけがぐるぐるする。魂の労働と呼ばれるやつだ。たまのサボりは楽しいのに、なぜ永続的な怠惰は苦しいのか。小泉義之によると、仕事や活動から引きこもり、静かな生活=精神の生活に引きこもっていると、仕事や活動によって胡麻化している人生、もっといえば可死性(人は必ず死ぬこと)に否応なしに直面してしまうからだ、ということになるらしい。鬱のなかにいると出口のないトンネルのなかにいるようであり(出口はあるのだが)、「新しいことはなにも起きないかもしれない」ようにも思えるが、逆に言えば「新しいことは起きるかもしれない」のであり、何もやる気が起きないときには、静かに座り、あるいは寝転がり、窓から新しい風が吹いてくるのを待つしかない。生きている限り風は吹く。

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