【習作】仏教男子と哲学女子

「彼はただ、狂人になることを恐れるのをやめたのである」(『アンチ・オイディプス』)

第一章 欲望人

 哲学会の部室では、今、新入生説明会が終わり、リラックスしたムードが漂っている。哲学会の会員は(たったの)五人で、ぼくともう一人、新入生の女の子が入会すれば七人になる。ぼくは説明会の話を聞くまでもなく、最初から入会することに決められていた。最初というのは今日のことではない。
 これはぼく以外では、一人しか知らないことだが、ぼくがこの大学に入ったのは、哲学会があると知っていたからで、哲学会に入るためであり、それは哲学会に居るある人物に会うためだった。
 サスペンスを気取っても仕方がないので、言ってしまえば、説明会の最後に自己紹介をしたOGの相馬神楽さんがその人だ。もっとも「相馬」と言われても、ぼくにはピンとこないのだけれど。実際に相馬さんと空間を共有するのは今日が初めてだ。ぼくは内心、高揚していた。それは滅多にないことだ。
 相馬さんはぼくの横に坐っている。ぼくも相馬さんも黙っている。彼女は真っ黒いドレスを着て、首には大玉の赤いネックレスをしている。耳にはピアス。やはり赤い。
 他の五人の話題はアズマヒロキのデリダ論についてだった。ぼくはアズマヒロキという人を知らなかった(デリダは知っていた)。新入生の徳井さんが、生き生きと話している。どうやら『批評空間』なる雑誌を読んでいる同級生が彼女の高校にはいなかったことを嘆いているらしい。話はそのアズマという人の『郵便的不安たち』という本に移った。会長の千葉さんは哲学会機関誌『早大思想』に「アズマヒロキの新しさ」という論考を書いたらしく、そこではアズマとマルヤママサオを比較したという。またしても知らない名前。
 ぼくは先ほど購入した、『早大思想』15号を開いて目次を見た。「東浩紀の新しさ?千葉啓子」と書いてあった。
 顔がなぜだかにやける。不意に東洋哲学を専攻していると言っていた神谷さんがテーブルの向こう側から話しかけてきた。
 「ねえ、大貫くん、さっきからずっと黙ってるけど、何を考えてるの?」
 「あ、はい、えっと」
 「何か考えっていうか、意見があるんじゃないの?」
 そのとき「…ヨウチ」という囁きのような声が左隣から微かに聞こえた気がした。幼稚?空耳かな。ふと相馬さんの気配、というか、視線をかんじた。下降していく。その物質のような視線が、ぼくの左手の小指に突き刺さる。
 相馬さんが、ぼくのルビーの指輪を見つめている。凝視。ぼくはちらっと相馬さんの耳の赤いピアスを見た。
 再び神谷さんに向き直って答える。
 「いえ、東浩紀という人のことは知りませんでしたから。」
 「本当に?じゃあデリダも知らないか?大貫くんってさっき仏教を勉強したいって言ってたよね。俺は仏教概論の知識くらいしかないけど。いつから興味を持ったの?」
 「一番、最初は小六のときでしょうか。」
 「え、小六?」
 「はい、『宇宙皇子』という小説を読んだのがきっかけでした。」
 「あ、ああ、あったねえ『宇宙皇子』。」
 「それで、修験道とか密教に関心を持つようになったんです。」
 「じゃあ最澄とか空海とか研究したいの?」
 「いえ、今では呪術的なものへの関心はあまりないので。関心もかなり変わりました。」
 「というと?」
 「一言で言うと、今の関心は原始仏教にあります。」
 「原始仏教?」
 「はい。きっかけは中二のときに中村元の本を読んだことですが、なんと言いましょうか、ゴータマ・ブッダの教えそのものに関心が移りました。ですから、大乗仏教にはかなり疎いです。」
 「へえ、そうなんだ。中村元は何を読んだの?」
 「『原始仏典Ⅰ 釈迦の生涯』と『原始仏典Ⅱ 人生の指針』ですね。今でも愛読してます。」
 「へえ、知らないなあ。また俺にも色々教えてよ。」
 「教えられることがあればいいんですけど。神谷さんは西洋哲学にも詳しいんですか?」
 「大体、このサークルで得た知識だけどね。少人数のサークルだから、皆、専門外の勉強会にも出たりするんだ。見識が広がるよ。」
 「ぼくも頑張ります。」と言おうとした瞬間、相馬さんが口を開いた。
 「神谷くん、いつから西洋哲学に詳しくなったの?」
 部室に少し緊張が走る。談笑していた他の五人にもそれは伝わる。」
 「いやだなあ、相馬さん、言葉の綾ですよ。ほんと。」
 「西洋哲学に詳しいっていうのは、例えばプラトンならプラトンの対話篇を全部読んでるとか、デリダならデリダの著作をほとんど読んでるとかいう人を言うのよ。東浩紀の存在論的だか郵便的だかデリダ論を一冊読んで、デリダを分かった気に成ることとは違うのよ。」
 ぼくはこの人こそがあの人だと思った。徳井さんが泣きそうな顔をしている。

 哲学会の人たちは、相馬さんのもう一つの名前を知らない。
 
 ぼくは知っている。

 夢萌さん。@mumyo

 ぼくは二年前、十六歳のときツイッターの裏アカウントを作った。@bartlebygrrl
女装アカウントだ。
 ハーマン・メルヴィルの『バートルビー』がぼくたちを接続した。「しない方が好ましいのです」と言って、ついに何もしなくなって消えて逝ったバートルビーの物語が。
 ぼくのツイート。「バートルビーはブッダだ。最高のポテンシャルを発揮したニートのブッダだ。」これに対して夢萌さんが返信をくれた。
 「私はドゥルーズの解釈を敷衍して、バートルビーは生まれてこなかったことを夢見るイエスだと思うの。イエスを白痴と呼んで肯定したニーチェにとってのイエス。」
 そのときぼくは、死の反対が生まれてこないことだと知った。夢萌さんの智慧に初めて触れて瞬間(と永遠)。師弟関係のはじまり。
 相互フォローしてから夢萌さんは、ぼくの女装ツイートにもコメントをくれるようになった。メールアドレスも交換した。それでも基本的にはツイッターで交流していた。夢萌さんのフォロワー数は一万人を超えていて、哲学クラスターでは有名な存在だった。夢萌さんの効果で、ぼくのフォロワー数も徐々に増えていった。女装した姿(非エロ)を見てもらったり、仏教の思いつきをつぶやくことは楽しかった。
 夢萌さんのツイート。「つぶやきすぎ!自我爆発を起こさないようにね。ユングによると躁病者は自我という容器が爆発した人間なのよ。自我肥大に気をつけて!」
 ぎくり。とした。自我肥大は仏教が警戒するところでもあるからだ。
 
 そのころ、夢萌さんのツイートはフロイトの『快感原則の彼岸』という論文をめぐって展開されていた。連日、マゾヒズムのメカニズムについての考察が続いたあと、不意にフロイトの読解が始まった。
 「マゾヒズムは快感原則の彼岸に関わる幻影である。」
 「確認しよう。フロイトのいう快感原則とは何か。快感は一貫して求められ、苦痛は一貫して避けられるものとなる、という形で組織される原則。」
 「『快感原則の彼岸』ではその快感原則に彼岸=外部があるとされる。」
 「

それからしばらくして、こういうツイートをした。「パンストを穿こうとするとすぐ破れてしまいます(泣)」。その日のうちに夢萌さんから一通のメールが届いた。件名は「SNSキュプールへのご招待」。本文は「パンストの穿き方を教えてあげるからこのSNSにお入りなさいな。本当はアダルトSNSなんだけどね(笑)。実は管理人、私だから大丈夫。」
 早速、入会してログインした。ハンドルネームは「ku」に決めた、「苦」とも読めるし「空」とも読める。プロフィールには「女装初心者です。」とだけ記した。
 マイフレンドを確認すると、キュプール管理局と夢萌さんが登録されていた。夢萌さんのアイコンはゴヤの暗黒絵画のようなウロボロス的な図像だった。らしいなと思った。自作だろうか。
 マイページに赤字が表示されていることに気づく。「マイフレンド新着日記」とある。クリックすると夢萌さんの日記画面に飛んだ。
 その日記のタイトルは「パンティストッキング講座」。パンストの穿き方を懇切丁寧に解説したテクストが書きつらねられている。とても分かりやすく勉強になった。テクストの横には三枚の写真がアップされており、実際にパンストが穿かれる過程が写されている。夢萌さんの白い脚。一旦縮められた黒いストッキングが脚に沿って伸びていく様子。そのコントラスト。
 すぐにコメントを書く。
 「ご教示ありがとうございます。近いうちにパンスト姿をアップしたいと思います。でもパンストを店で買うのはハードル高いです。正直、少し恥ずかしいです。今はコンビニで真っ赤になりながら買ってます。服は古着屋で買ってます。」
 瞬時に返信がきた。
 「いえいえ、どういたしまして。お使いにきたという体でメモ片手に買い物すればいいんじゃないの。パンストは百円ショップでも買えるよ。私としては、少し度胸をもってもらって、ユニクロとかしまむらでの買い物を勧めるけどね。ぱんつとか下着一式をコンビニエントじゃない店頭で買ってみたら世界が変わるかもよ。私の友達のオカマさんなんか、スーツ姿で下着屋さんに一人で平気で入っちゃうみたいよ。写真楽しみにしてますね。」
 ぼくはユニクロに行く覚悟を決めた。明日は日曜日、混んでるはず、それでも明日決行だ。

 ここ名古屋郊外の愛知県半田市で、ぼくは女装子や女装男子や男の娘に遭遇したことがない。もしかしたら、相手の女装が完璧すぎて気づかなかっただけかもしれないが。
 名古屋には女装のスペースがあるという情報はネットで知っていたが、行ったことはなかった。ともかく、今の実力で「純女」のふりをしてユニクロで買い物をするという可能性はなかった。だから、夢萌さんが授けてくれたメモ作戦は有り難かった。
 昨日は興奮と緊張でなかなか寝つけなかった。ユニクロは十時開店。朝六時にはすでに目が冴え冴えだった。二度寝は諦めて、買い物メモを作成した。「ショーツLサイズ三枚・キャミソール三枚・パンスト三枚」。費用は五百円玉貯金から捻出することにした。
 メモを作成してお金を用意したらやることがなくなってしまった。まだ七時十分だった。気ばかりが焦る。こんな気分になったのは何時振りだろうか。欲望の線が果てしなく伸びてゆく。あの裏アカウントを作らなければ、女装は一時の試みとして挫折したはずで、今頃、仏教から手に入れた楽な境地に安らっていただろう。
 布団の上で胡坐をかく。十分、二十分と時間が過ぎる。目を閉じる。瞑想に入る。雑念が起きる、気づく、牛蛙が鳴いている、気づく、雑念が起きる、気づく、トラックが家の前を通過する、気づく、内蔵のなかの消化、気づく、深い集中に入っていく。
 目を開くと十時二十分になっていた。目に無が宿る。新しい階梯へ。
 結論から言えば、ユニクロでの買い物は大成功に終わった。予想どおり店内は混雑していたが、ぼくはメモを片手に粛々と買い物をした。真っ赤になることもなかった。ショーツを買うときに、レギュラーだのシームレスだのヒップハングだのバラエティが豊富で、しばし戸惑ったが、単純に可愛いかわいいと思うものを選んだ。
 「サイズなどにお間違いはございませんか?」
 「はい。」
 変なやり取り。会計のときに、店員のプロ意識に感動する余裕すらあった。
 
 キュプールに入会して、半年ほどが経過して、ぼくは室内女装子としてかなりのレベルに到達していた。自撮りの技術の向上もさることながら、メイクのテクニックをはじめとして女装の技術そのものも、夢萌さんのレクチャーのお蔭もあって、写真という媒体に写る限りにおいては相当な完成度に達した。女装をした人間が、特に女性を相手に、「通用」することをパスすると言うのだが、ぼくの写真に限って言えば、パスすることが可能であろうと思われた。
 それは、ぼくの主観的な認識であるばかりでなくて、キュプールにアップした(数百点に上る)写真に対して、ぼくを女性と勘違いしたコメントが大量に寄せられることからも明らかだった。(プロフィールには「女装初心者です。」とはっきり書いてあるのに。)ツイッターの方でもファロワー数が四桁に達していたのだが、夢萌さんが牽引する哲学クラスターと重なりつつも、女装クラスターからのフォローの割合の方が大きくなっていた。ツイッターのアイコンを法輪の図像から、自撮り(女装)写真に変えた日に夢萌さんとチャットをした。
 「夢萌さん、ここまでこれたのは夢萌さんのお蔭です。本当にありがとうございます。いつもいつもレクチャーありがとうございます。」
 「いいのよ。私も楽しんでやってるんだから。」
 「楽しいですか?面倒くさくないですか?」
 「全然。着せ替え人形遊びみたいなものよ。」
 「あ、今、ぞくっとしましたw」
 「変態w」
 「た、確かにぼくは変態ですからね。」
 「ほう、認めちゃうのね。」
 「実はこの前、精神科で診察を受けたんですよ。」
 「精神科?!」
 「性同一性障害なんじゃないかと思って、市民病院から大学病院に回されて、で、結局違うみたいなんですよ。」
 「いや、だって違うでしょ?女の子になりたいわけではないでしょ?」
 「はい。うーむ。九割九分違うと思いましたけど。」
 「それで、結局どうなったの?」
 「なんか正確な診断は忘れましたけど、服装倒錯がどうのこうのって。趣味の範囲内でご自由にって話でしたね」
 「結局、変態のお墨付きを得たわけだw」
 「そういうことになりますねw」
 「オカマちゃんってことでファイナルアンサー?w」
 「いやあ、真面目な話、オカマっていうのが一番しっくりきますね。」
 「まあ、私としては空くんの内的規定に口を出すつもりはないけどね。」
 「夢萌さんの着せ替え人形でオッケイです。」
 「はい、よろしく。なんちゅうか、健やかに生成変化していってください。それはそうと、ウチの大学受ける気になった?」
 「はい、もちろんです。夢萌さんに会いに行きます。」
 「第一文学部の東洋哲学専修はイケてるって、サークルの後輩が言ってたわ。」
 「私立ではトップレベルって聞いてます。」
 「受かる自信はあるの?」
 「特に不安はないですよ。」
 「そう。あ、そうだ、ちょっと送りたいものがあるんだけど、住所と本名を教えてくれるかな?」
 「いいですよ。……。」
 「ありがとう。じゃあ、そろそろ離脱しまふ。」
 「おやすみなさい」
 「おやすみ」
 それから、数日たって、相馬神楽さんから小包が届いた。茶色い包み紙を取るとなかには、手紙とルビーの指輪が入っていた。

 大貫空さま

手紙でははじめまして。相馬神楽と申します。あなたが夢萌として知る人物です。
ルビーの指輪は私たちの友愛の証としてプレゼントします。私の母の形見なので大切にしてくださいね。あなたはいつも私に感謝を述べてくれるけれど、私もあなたに深く感謝をしております。
私はあなたに救われました。命を救われたと言ってもいいかもしれません。
何を大袈裟なと思われるかもしれませんが、本当なのです。
私は、現実的な選択肢として死ぬことを考えていました。母が死に、敬愛する哲学者が死にました。私は心の拠り所を全て失いました。ネットで人と出逢うことを試みましたが、失敗であったと思っていました。あなたに出逢うまでは。
実は私は精神病者です。分裂病(統合失調症)なのです。何度か入退院を繰り返しました。病院で私は、悲惨な末路を向かえた同じ病気の人をたくさん見てきました。病院に閉じ込められたまま死んでいくのは耐えられません。そのように長生きするくらいなら、自分の部屋で死にたいと強く思うようになりました。私は二度と閉鎖病棟には入りたくないのです。
私にはうつ状態のときと、そう状態のときがあります。「人には焔のときと灰のときがある」とはよく言ったものです。うつ状態は、辛いですが、入院に至ることはありません。問題はそう状態です。そう状態が激化すると妄想=錯乱に陥ります。妄想=錯乱は苦悩とともにある種のユーフォリア(多幸症)を伴います。そうなると、もうアウトオブコントロールでいままでは病院に直行でした。そう、いままでは。
あなたを見つけたとき、私はそう状態でした。ついに終わりが近づいていると思っていました。気まぐれであなたのつぶやきにリプライをしました。しかし、あなたが怪物であることに気づくのに一日とかかりませんでした。あなたの智慧は私を叩きのめしました。私は自分の役割を人生においてはじめて知りました。私はこの子にとっての梯子なのだと。私はあなたを揚棄するためにこそ生まれたのだと。
そしてこの実存的転換は私を果てしなく楽にしました。今までになく安定しています。もう死にたいとも思いません。有難う。

                                           相馬神楽

追伸
大学に入ったら「哲学会」というサークルに入ってください。私はそこにいます。

 ぼくは「揚棄」という言葉に慄然とした。女装の師弟関係の裏側で、あるいは表層で仏教研究者(仏教徒ではない)のぼくと、ドゥルージアンの夢萌さんの間にある種の弁証法が駆動していることには薄々気づいていたからだ。主人と奴隷の弁証法。奴隷は主人の仕打ちに耐え、つまり隷従のうちに力を宿し、やがて主人を乗り越える。それは、俗流のSM論に似ている。マゾが実はサディストをコントロールしているというような論法だ。身震いがした。なんとしても哲学会に赴いて、この一方的な弁証法の作動を止めなければならないと思った。夢萌さんが梯子、「登りきったのち、捨て去るべき」梯子であって欲しくなかった。一緒にもっと高みの景色を眺めたいと強く思った。
 しかし、と思った。それはぼくの我儘だろうか、とも思った。その梯子という自己規定が夢萌さんを楽にしたのなら、誰にもその境地を破壊する権利などない。ぼくはその梯子を登るべきなのか。そして、そののち、捨て去るべきなのか。どうしても夢萌さんに会って確かめたかった。
 この半年間、ぼくは夢萌さんに仏教を教え、夢萌さんはぼくにドゥルーズの哲学を教えた。仏教とドゥルーズ哲学は似ているところもあった(例えば、実体的な「我」が流れのなかに解消されていくところなどは似ていた)が、決定的な相違点もあった。それは欲望をどう捉えるのかということだ。仏教の目標は苦(苦しみ、不満足、思い通りにならないこと)からの解放であるが、その苦の原因がまさに欲望であり、それゆえ欲望そして欲望の根は根絶さらなければならないと説く。欲望「からの」解放。
 それに対して、ドゥルーズ哲学においては、欲望「を」解放することが激励される。ドゥルーズは欲望の増進に伴う苦悩すなわち苦しみを重々承知した上で欲望を肯定する。ぼくは、欲望の理論をみるみる吸収していった。仏教と適合可能な高次の欲望があり得る気がしていた。
 ところで夢萌さんが精神病者であるという告白はあまりぼくを驚かせなかった。ネット上を増殖しつづける、彼女の言葉の繁茂ぶりは明白に異常だったから。そして、正常な人間にあれほどに優れて知性的な言語を紡げるはずがないだろうとぼくはずいぶん前から感じていた。それは一種のカオスモス(カオス+コスモス)であり、混沌宇宙だった。
 この覚知には、実は僕自身の事情も関係している。ぼくは、身近に、精神病者を何人も知っていた。

 そして、ぼくもまた精神病者である!

 「躁鬱状態を前駆症状とする非定型精神病」それが最近の診断名である。それは幼少期から始まった。とにかく浮き沈みの激しい子供だった。鬱と躁を繰り返したが、精神病院への入院は中二のときに一度しただけだ。二ヶ月ほどの入院だったが、それほど苦にもならず、ぼくもまた様々な患者を見たし、友達もできた。病院のなかには、けっこう充実した蔵書の図書室があって、中村元の本も病院のなかで読んだ。原始仏教を学ぶことで、ぼくの心は不思議な安らぎに包まれた。それは密教からは得られないある種の楽な感覚だった。そしてぼくは寛解に至った。つまり病状が著しく軽減されたのである。
 そして、退院した。相変わらず気分の浮沈はあったが、それ以来、入院はしていない。妄想=錯乱も、ほぼ、なくなった。それは、ともかくとして、精神病を嗅ぎつける臭覚があって、だから、夢萌さんは多分何かを病んでるんだろうなとは思っていたのだった。
 性のゆらぎは、昔からあった。倒錯性も、昔からあった。初めて精神科を受診したのは思い鬱になった中一のときだが、そのときロールシャッハテストを受けさせられた。形の定かではない絵を見させられて、何に見えるのか答えるあれだ。ぼくは全ての絵について(正直に)「女性器です」と答えた。その答えの結果、ぼくがどのように分析されたのかは知らないが、臨床心理士(女性)は不快な表情を隠すことがなかった。
 自分の女装の欲望を医者に告白したのは、つい最近で、つまり高校生になってからだ。退院してからも、通院はずっと続いていた。ぼくは医者という存在を全く信用していなかった。とはいえ、主治医が身体の改変を視野にいれて、ぼくを大学病院まで送り出してくれたことは有難かった。しかし、ぼくは精密な心理テストに弾かれてしまった。もとよりぼくの心が女の子であるとは微塵も思っていなかったのだが、同程度に心が男の子だとも思っていなかった。ぼくには自分の心が異様なものに思えた。
 服装倒錯という診断は屈辱的なものだった。変態という範疇が気に入らないのではない。単なる、倒錯では片付かない何かが残った。
 
 分裂は倒錯よりも深い。

 ぼくたちは、女性へと生成変化することで女性になるわけではない。夢萌さんが教えてくれたドゥルース=ガタリの生成変化論が腑に落ちる。ぼくたちは女性へと生成変化することで、女性とは別の何かになるのだ。だからこそ、ぼくを女性とは絶対にみなさない夢萌さんの態度は特異なものだった。女装クラスターの周辺にいる女性の多くは、ぼくたち女装男子を女性の側に取り込もうとするのだ。それが、直ちに不快というわけではないが、不自由ではあった。一つの型から別の型へ。せっかく男らしさから脱出しても女らしさに回収されてしまうのでは元も子もなかった。
 いや、そもそも自由すら究極的な目標ではなかった。ぼくは夢萌さんの着せ替え人形でいたかった。夢萌さんに操られるかのように振る舞い、見られることは、自由であるとか不自由であるということを超えていた。それに相当する概念をぼくは知らない。
 それはある種の理想的な妄想の現実化だった。ぼくはいつ死んでもいいと思うと同時に死にたくはないと思っている。初めて中村元の本を読んで楽になったときも、ああもう満たされたから、死んでもいいかなと思った。それでも死ななかった。これが生きることを選ぶということだろうし、自由ということを蒸し返すなら、これが自由ということの本義だろう。かつては二千五百年遠く離れた時空に住まうゴータマ・ブッダとの交流がぼくを生かしたし、今度はここ半田市から遠く離れた東京に住む夢萌さんとの関係がぼくを生かしている。直接会ったこともない人たちとの関係性がぼくを生かしている。

 ぼくは夢萌さんに手紙を書くことにした。

 夢萌さま

お手紙ありがとうございます。

贈り物も本当にありがとうございます。片時も手放すことはないでしょう。

ぼくはただただ夢萌さんに感謝しております。

夢萌さんが存在するということがぼくには嬉しい。ぼくを見つけてくれてありがとう。本当の友は出逢えばすぐに分かると言います。それが、ネットでの出合いに当てはまるのか正直よくは分かりません。でも、夢萌さんがいなければ生きてはいけないと思う瞬間は確かにあったのだと思います。いや、幾つもの瞬間に、ぼくは何度もそう思いました。
二人の間に友愛を証してくれたこと、心から嬉しいです。人を想う気持ちにはいつでも不安がつきものです。どんな想いでも投げられた瞬間は一方通行です。事実の積み重ねを信じることができればどんなにいいか。でも、ぼくたちは今、ここにのみ生きています。友愛はその都度確認されるしかないという気もします。
長いあいだぼくは人間不信に苦しんできました。勇気を持って打ち明けた秘密があっさり裏切られたことも何度かあります。その結果、酷い目に合ったことも……。
ですが、夢萌さんは決してぼくを裏切りませんでした。夢萌さんはぼくに救われたと言うけれど、ぼくの方こそ夢萌さんに救われたのだと思います。お互いがお互いを救っているのだとしたら、それは幸福な関係ですよね。ゴータマ・ブッダは自分の教えは川を渡るための筏であり、川を渡ったのなら捨ててかまわないと言っています。もし、夢萌さんが自分のことを梯子だと言い張るのなら、ぼくは自分が筏だと言い張ります。諦めないでください。
もし、夢萌さんが自分のことを梯子だと言い張るのなら、ぼくはぼくが決して登りきることのない梯子であることを祈ります。諦めないでください。
粘って生きてください。一年半待っててください。ぼくが必ずあなたを助けに行きますから、死なないでください。確かに苦しみや恐怖、地獄がこの世にあることをぼくは知っています。希望の光が見えないトンネルですらない闇があることもぼくは知っています。諦めないでください。
もし、仏教が諦めの思想なのだしたら、そんなものはいらない。それでぼくが苦しみのなかへ投げ返されるのだとしても、ぼくは欲望=愛と共に生きることを選びます。欲望=愛の本質を教えてくれたのは他ならね夢萌さんです。ドゥルーズ=ガタリの言葉を思い出してください。「こうした<欲望人たち>(それとも、こうした人たちはまだ現実には存在してはいないのかもしれない)は、ツァラトゥストラのようなものである。かれらは、信じられないような苦悩やめまいや病いを経験している。かれらは、かれらのスペクトルをもっている。(…)まさしく、このような人間は、自由で責任のない、孤独で陽気な人間として現われてくる。最後には、かれは、他人に許可を求めることなしに自分自身の名において単純なるあることを語り、単純なるあるものを生みだすことのできる人間となるのだ。(…)かれは、気違いになりはしないかという恐れをたんに棄てただけなのである。かれは、もはやかれを冒さない荘厳なる病気をみずから生きることになるのだ」。

共に欲望人になりましょう。

                                              大貫空

 中島みゆきの歌の歌詞じゃないけど、わたしは自分の涙は枯れ果てたのだと思っていた。自分の病気を知ったとき、わたしは泣いた。最初に入院したとき、わたしは泣いた。お母さんが脳梗塞で死んだとき、わたしは泣いた。ドゥルーズが自殺したとき、わたしは泣いた。そして、もう二度と涙は流れないだろうと思った。と同時に希死念慮がとめどもなく沸いてきた。
 自分が思春期だと自覚したころから、胸が膨らみ始めた時期に重なるように、わたしは自殺という観念に憑りつかれている。あくまで観念であって、リアルな自殺衝動とは違う。それはある種の美学だった。幼い思考だが、美しく死にたいと思った。
 今から思えば、自殺の美学かはある種のサバイバル術だったのだろう。 
 しかし、お母さんが死んだとき。絶望だった。十八歳のわたしは本当に自殺を図った。大量の睡眠導入剤と風邪薬を飲んだのだ。死ななかった。ドゥルーズに出会った。そして、今、二十一歳のわたしは震えながらナイフ=アルコール度数九十六のヴォッカの瓶を手にしている。

 一年前、一九九五年十一月四日、わたしが敬愛する哲学者ジル・ドゥルーズが自殺した。そのとき、わたしは二十歳だった。今、一九九六年十一月四日、わたしは二十一歳になった。決行の日は今日と決めていた。もともと、最初の自殺が未遂に終わったとき、わたしはわたしの残された人生は余生だと感じていた。それほど、お母さんはわたしにとって大切な存在だった。お母さんが生きているから生きていた。お母さんを笑わせることだけが、生きがいだったのに。お母さんが生んでくれたこの命に感謝して生きられるほどわたしの精神は健康ではなかった。
 お母さんは四十七歳で死んでしまった。残ったのは、煙草とアルコールとドゥルーズの生の肯定だけだった。毎日お酒を飲んだ。わたしのγ-gtpは千二百を超えていた。掌が紫色に変色したいた。この生活を続けていれば、そんなに遠くない未来やがて死ぬはずだった。ごみ屋敷のような部屋で。
 ドゥルースは自ら飛び降りることで、その生の肯定を死の肯定へと転化してしまった。わたしは、セブンスターに火を点け、煙を肺に入れる。ボロボロになった『現代思想』ドゥルース追悼特集号を手に取った。この一年間何度となく手に取った。生の肯定がわたしを生に繋ぎ留めるわずかに残された思想だったから、その死の肯定への転化を確認する作業は入念に行った。この死の肯定を肯定的に捉えている論者の多くはその肯定を肯定的に捉えていた。わたしには、しかし、その死の肯定という肯定的な到達点は絶望でしかなかった。それ、ドゥルーズの自殺は、ドゥルーズの全著作を凌駕してしまう苦悩を意味したし、わたしにはドゥルーズ哲学、生の肯定の頓挫を意味する出来事だった。
 二本の棘がある。解釈を拒む棘だ。棘の名前は『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』だ。ドゥルーズでもなくガタリでもなく、ドゥルーズ=ガタリによって書かれたこの二冊の本はわたしの理解を拒んでいた。この二本の棘を胸から抜き去ること、解釈し尽くすことが出来たなら、わたしは、わたしの「分裂症」は救われるのだろうか。
 賭けに出ることにした。このナイフ=アルコール度数九十六のヴォッカを飲み干して、生きていることが出来たなら……。
 煙草に火を点ける。これが最後の一本になるだろうか。
 
 

  

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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