私のフルート人生(6)
夢をあきらめる
実家暮らしとはいえ、フルートの収入は安定したものではないので、アルバイトもしてお金をためて、それでも足りなければ借金覚悟で留学しようと考えていました。英語の猛勉強もしました。アメリカは大好きだし、何人かの友達がそうであるように、向こうに永住できればいいなと夢見ていました。
とはいえ、目標の学校は余りにも狭き門だったので、一応他の学校も考えておいた方が良さそうでした。そこで、すでにボストン郊外の大学に留学中の友人を頼って、D先生の夏期講習会に参加してみました。ここでの私はどういう訳か人生最高レベルの絶好調になり、演奏しても何をしてもバカ受けでした。D先生に受験の相談をすると「今さら君には必要無いよ。仕事探しな。それに、やっぱり都会にいないとね」との助言を頂き「それもそうだなあ」と思い始めます。
その後、いよいよ受験に向けての手続きなどが始まったのですが、皮肉なことに、ここへきて演奏の仕事が順調になりつつありました。今アメリカへ行ってしまうのは勿体ないなあ、という感じでした。一応アメリカ行きの準備もすすめてはいましたが、その夢はあまりにも現実感がなく、忙しい日常にかき消されがちでした。
翌春、B先生のクラスを受験するため、私は誰に相談するでもなく、こっそりとアメリカへ飛びます。本当はもう、受かっても落ちても、どうでも良くなっていました。そして安宿に泊まってトラブルに巻き込まれたり、道に迷ったりしながら学校まで辿り着き、何とか無事に受験するのが精一杯でした。演奏は惨澹たるもので、到底合格しそうにもありませんでした。
B先生はすごすごと退室しようとした私を呼び止め「これだけの為に日本からやってきて帰るなんて、可哀想すぎるわ。今夜、家で公開レッスンをするから、見にいらっしゃい」 というと、急いで住所をメモしてくれたのです。その夜、御自宅へ伺うと、何人かの生徒さんが集まって、とても和やかな雰囲気でレッスンを見学していました。
レッスンが終わってから、先生は話をしたいからと私を残しました。そして私の身の上話を、一緒になって泣きながら辛抱強く聞いて下さり、さらには翌晩も私を来させ、ゆっくりと時間をかけて諭して下さったのです。「勇気を持って、音楽を手放しなさい。それは必ず、あなたのところへ帰ってきます。なぜならあなたはもう、音楽と一体だから。」
こうして私のアメリカへの夢は不毛に終わりました。そして、本当のスタートラインに立ったのです。
◆気づいたこと「日本人で良かった。日本にいて良かった。」
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