新幹線の音がキライになった。
まだわたしが長野に住んでいたとき。
新幹線に乗るのは、旅行するときだけだった。
駅で新幹線を見ると、無条件に興奮したし、英語のアナウンスが聞こえるだけで、なんだかすごいものに乗った気分になっていた。
もう、都会へ向かうワクワクした気持ちだけで溢れていた。
帰りの新幹線でさえ、ひとつのアトラクションに乗っているかのように、その時間を大切に楽しんでいた。
◇
東京に暮らして10年。
新幹線は、見慣れた光景のひとつになったし、し新幹線に乗らなくても東京駅を歩けばアナウンスは聞こえてきた。
新幹線に乗るのは、帰省するときくらいになった。
久しぶりに家族に会える、という気持ちはあるものの、無性なワクワク感ではないし、その時間もただの退屈な移動時間になった。
実家から一人暮らしの家に帰るときは、また東京で仕事や生活のある現実の世界に戻らなきゃ、と憂鬱な気分だったり、家族と離れる寂しい気持ちだったり、ネガティブな感情とともに新幹線に乗るようになった。
新幹線の中で、次の駅に着く頃流れる曲が、嫌いになっていた。
◇
新幹線で聞こえる音は、あの頃から何も変わっていない。
でも新幹線に乗るわたしは、変わったんだ。