おおらかさ。
text by くが
こんばんは。枯葉の久家です。
前回投稿時は寒さに凍えていた僕ですが、
暖かくなってくると今度は花の紛に苦しめられています。
さて、今日は"おおらかさ"について書いてみようと思います。
"おおらかさ"という言葉に対する僕のイメージは
寛容に何事も受け入れてくれるような、器が大きい、、という感じでしょうか。
ポジティブなイメージ。
元々は「おおらか」で、人柄・性格を表す形容詞として発生した言葉のようですが、建築やデザインの間でも、対象をある種擬人化して、"おおらかな空間"とか"おおらかな建築"などと言ったりもします。
なかなかふわっとした言葉ではありますが、僕は結構大事にしている言葉だったりします。
先月頭に沢田マンション(通称沢マン)に行ってきました。
高知旅行でたまたま予約したゲストハウスのオーナー(以下”Oさん”)が元沢マン入居者で、チェックインの時に盛り上がり、その日の夜案内してもらうことになりました。
ご存知の方も多いと思いますが、この建築は建築施工に関して全く未経験のご夫婦が、セルフビルドで建てちゃった鉄筋コンクリート造のマンションで、築45年以上にもなる非常にアカン建築です。
ですが、実際に行って観ると、
2人で建てたとは到底思えない規模で、立ち姿は豪快で魅力的です。
同じ人間としてふつうに尊敬しちゃいます。
夜、到着してすぐにその大家さん(設計者かつ施工者)へご挨拶させてもらったのですが、大家さん宅(最上階のペントハウス)までの道のりの複雑さたるや。
急こう配のスロープを登って、ほそーい外部廊下を抜け、鉄骨階段を上り(このあたりから自分がどこにいるのかわからなくなりました)、廊下を抜け、階段を上り、池を超え田を超え(適当)・・・
Oさんによると鉄筋を組みながら、型枠を組みながら、コンクリートを打設しながら、脱型しながら「次こっちいこ。」とプランを決めていったので、通らなくてもよい廊下があったり、住戸のプランが全部違かったり、屋上に田んぼがあったり(今はもう稲作はされていない)、それはもうたいへん自由なわけです。
僕らが日頃、役所や保健所と協議しているのは何なんだろう、と少し嫉妬してしまうのでした。(笑)
ここで僕が一番感じたのは、自由で大胆な平面断面構成ではなく、セルフビルドでこの要塞を建てたことでもなく、ただただこの地域の大らかな姿勢が素敵だなと。
沢マンの変な所やアカン所を笑いながら小一時間話してくれる近所の方々。
見るからにアカンマンションに普通に住んでる方々。稼働率は9割越え。
おそらく老朽化や施工精度の低さから、何度か火災も発生しているようです。
その度に何度も消火に来て現地を見ているはずなのに、黙認してくれている消防の方々(OKとはいってない)。
多少(かなり)危なかったり、グレーな部分の多い(しかない)この建築ですが、今のご時世、未だに活き活きと現役で使われていることに本当に驚きましたし、こういったものを受け入れるおおらかさを持つ環境が残っていたことに嬉しくなりました。
危険性や衛生面に関して少々潔癖すぎる日本だなあと感じる今日この頃。
沢マンのような一見理解し難いものが存在することが、多様性であり、その地域の強さだと思います。
おおらかさとはそのきっかけになる性質なのでは、と思ったのでした。
おしまい。