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遠くへ行きたい

「遠くへ行きたい」昭和初期までは、職業も、結婚も、あまつさえ住む場所すら、自由はなく、決められた場所で生涯を全うするしかなかった。現代からはあまり考えられないですが、そんな生き方が多数派を占めていましたと思われます。
親ガチャじゃないですが、それでも裕福な環境に生まれれば、そこそこ楽しくて良いでしょう。しかし、そうではない多くの人々は、いっそこの苦しい暮らしから、しがらみを断ち切って生きられたら、どんなに楽だろう。そんな思いがあの歌詞の、あの歌を生んだ背景にあるのではないかなと思います。
ところが、あなた、本当にそんな状況に立った事はありますか。そんの可能性は、現実には、一瞬だって、ありえない。そう思うから、そう言う言葉が出てくるのです。しかし、現代は、お金さえ出せば、誰でもそれを実現出来ます。極寒のロシア、中国の裏路地、アフリカの砂漠地帯、実際に、1人で佇んでみると良いです。それは、それで贅沢な経験かも知れませんが、言葉すら満足に通じない、外国で一人で過ごす。日本と言うコミュニティのありがたさが身にしみます。
若い時からそんな「ぼっち」経験が長い私には、その心境がたまらなく辛いのが身に染みています。
アメリカで感謝祭期間中に、自宅のエアコンが突然、壊れました。外の気温はマイナス。金もない、言葉も通じない。助けてくれる友達もいない。極寒の部屋。寝室に、照明器具を全て持ち寄り、全て灯せば辛うじて昼間は気温が4度になりました。夜は寒くて眠れないので、昼間に衣類を着込んで寝ました。
40代では、中国に単身赴任しました。英語ならまだしも、完全に言葉が通じない世界。多くの日本人駐在員が、日本食レストランで3食食事を摂り、夜は日本の配信番組しな観ず、週末は香港へお買い物と言う生活をする中、私は敢えて、現地の食事を摂り、現地のTV番組を観る生活を続けました。週末に現地の人たちで、賑わう商店街、言葉も分からない中で、1人佇むと堪らない孤独感に襲われました。これが遠くへ行った末路なんだが。
 所詮地続きの日本国内で見知らぬ地域に行ったとて「…で」としか思わない。しゃべれば通じるし、コンビニもネカフェもある。生命を奪われる様な危機にはまず遭遇しない。それでも、遠くへ行きたいですか。

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