痛みを吐き出して仲間を募るだけではホントの仲良しにはなれない
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【軟水のたそがれ】
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毎週日曜日の夜に更新しています!
この【軟水のたそがれ】は、
僕がTwitterで毎日更新している「#軟水のつぶやき」を、深掘りするエッセイ。
新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています(*^^*)
・・・本日取り上げるツイートは、⇓コチラ!
・・・今日はちょっとかための #硬水のつぶやき です!
さっそく深堀りしていきましょー!
■無意識に痛みを広めてしまう人
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何かイヤなおもいをして、起こった出来事やその気持ちを吐き出したくなる時って、ありますよね。
現代では、TwitterやFacebookに投稿する人も多いのでは?
その投稿が直接的すぎると、「あの人のことかな?もしや自分のこと?」と感じてしまうこともある。
はたまた、LINEグループやクローズドなコミュニティの内々で投稿することもある。
すると今度は、その仲間内で「あいつは悪い人なんだ」という結束が高まって、間接的に誰かが嫌われていく。
自分が直接的に、何か実害を受けたわけでもない、にもかかわらずね。
そしてクローズドな話が外に漏れた日には、「陰で欠席裁判のように悪口を言うくらいなら、堂々と言え!」となる。
「誰かがイヤがることをしてしまったこと」よりも、「悪口を言ったこと」がメインになって、吐き出し口がなくなっていく。
・・・こうして、言いたいことも言えないこんな世の中が生まれていくわけですよね(^_^;)
こういうことが起こるとさ。
「みんなが叩いているのをいいことに、同調して一緒に叩くやつは最低だ!」
・・・こういう意見にたどり着くことが多いけれど、それは全くその通りだと思う。
きっと、同調して叩いている人は、直接何かをやられたわけではなくさ?
「もし自分が相手の立場だったら、こう思う!」っていう想像をして、勝手に共感をして、周りもやってるからOK!って感じで、叩くんよね。
ただそのほとんどは、本当の意味で『相手の立場』になんて、まぁ立てていない。
だから中身がからっぽで、無駄に、憎しみや嫌い!という感情だけが連鎖していく。
(例えば)
川谷絵音さんがベッキーさんと不倫をして、「もし自分が元奥さんの立場だったら許せない!」と、不倫をした二人を叩く。
元奥さんと自分は違う人間のはずなのに、あたかも自分が元奥さんと同じ人間かのように、勝手に感情移入をしてしまう。
元奥さんの人柄や、普段の人間性を知らずして、『相手の立場』に完全に立てるわけがない。
・・・自分が元恋人に浮気された時は、こういう気持ちだったなぁという気持ちを元奥さんに重ねているだけのことも多い。
(それ自体はとても辛い経験だったのかもしれないけどね)
『相手の立場』に立つのなら、その主役は「不倫をされた元奥さん」であるはずなのに、「自分の経験や感情」が主役になっちゃってるよね?
・・・実は、今日の僕が深堀りしたいのはね?
「同調して叩く人」のことではありません。
『無意識に痛みを広めてしまう人』のことなんです(^_^;)
と、いうのも。
「こんなイヤなことがあったんです。ホントはこんなこと言いたくないんだけど。。。○○さんは最低だよ!みんな、分かってくれるよね?」
・・・こんな感じの人ね。
痛みを吐き出すのは、いいけれどさ。
こういう具体的な伝え方をしてスッキリするのは自分だけで、しかも周りに「嫌い」を撒き散らしてない?
っていうお話ですね(^_^;)
■痛みのひとり歩き
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外へ吐き出した痛みの内容が具体的すぎると、何が起こるのか?
それは、「痛みのひとり歩き」ですよね。
TwitterやFacebookのフィード(そこまで親しくない友達も見れちゃう場所)に、投稿してしまうとさ?
「私だったら絶対に許せないです!」
「そんな人サイテーですね!」
みたいなコメントが返ってきて、同調してもらうことで、吐き出した自分はとりあえずスッキリす。
・・・そう、スッキリす。
だけど、そのフィード投稿を見て「許せない!」「サイテー!」と感じた人へ『中身のない痛み』を残してしまうんですよね。
(例えば)
「○○って居酒屋チェーンでビールを頼んだら、虫が浮いていた。✕✕っていう店員さんに代えてくださいって頼んだら、悪びれる様子もなく愛想なく対応されて、その代えのビールにもまた虫が浮いていた。もう○○の居酒屋には絶対に行かない。」
こんなツイートをしたとします。
きっと「サイテー!」的なコメントがくるし、このツイートを見かけた人は「○○の居酒屋チェーンにはもう行かない」となる。
・・・でもね?
✕✕の仕事ぶりは確かにサイテーかもしれないけれど、○○の他の店舗には良い仕事をする人がたくさんいるはず。
「サイテー!」って感じた人が、直接的に○○や✕✕から何かをされたわけではない。
でも、勝手に痛みだけを共有して、広めてしまう。
・・・こういう例を挙げた時にさ。
「自分は事実だけを言っているから、それを見た人がどう感じるかは、その人の勝手でしょ」
こうして、他者の自己責任を主張する人もいるけれどさ。
「自分の発言にもっと責任を持とうよ!」と、僕は思うわけですね。
・・・たしかに、居酒屋で2度もビールに虫が入っていたら、ショックだよ。
そこへ行くのを楽しみにしていたのかもしれない。
時間を無駄にしてしまったのかもしれない。
ただ、その時に求めていたことは「美味しいビールを持ってきてもらうこと」や、「店員さんからの心からの謝罪」や、「それは辛かったねぇ」という慰めでしょう?
痛みに同調した仲間を引き連れて、「お前の店は最悪だ!」と罵倒して、徒党を組むことだったの?
同調してくれる仲間を得た時の一瞬の気持ちよさで、自分の気分はスッキリすかもしれないけれどさ。
それで、問題の本質は解決しない。
具体的な話の方が、それを聞いた人が「自分に置き換えやすい」から、痛みはより広まっていく。
だけど先に痛みだけを伝えてしまったら、「私も嫌い!」っていう想像上の痛みがあるだけでさ。
実際に、そのお店から痛いおもいにあわされたわけでもないのに、その人に対して間違ったことをしたわけでもないのにさ。
「許せない!」っていう気持ちだけを広めてしまう。
・・・そんなことがしたくて、痛みを吐き出したわけではなかったはずでしょう??
■【さいごに】痛みを吐き出す目的をズラす
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長くなってしまいました(^_^;)
僕がさいごに言いたいのは、「辛いことがあっても吐き出すな!我慢しろ!」ということではないんす。
吐き出す場所と表現を、上手に使いこなしましょうね!という感じですね。
誰でも見れる場所へフィードとして吐き出すのは、最終手段だと思います。
居酒屋の例でいえば、お店の責任者や運営会社に直接クレームを伝えて、それでも対応してくれなかったり、反省の色が見られなかった。
その時には、仕方がないかなと。
イヤなことをしてきた本人へ、まず「これがイヤだった」と伝え、その後の対応次第で、より周りへ広めていくかを判断する方が、懸命。
・・・陰口的に言いたいのならば、周りに漏れないような信頼関係を築いた仲間内で言うべきだよなぁと。
それでも、「こんなイヤなことがあったよー!」と広めたいのならば、『抽象的な表現』にしないと、ムダに痛みを連鎖させてしまう。
(例えば)
先程の居酒屋の例なら。
「この前飲みにいってビールを頼んだら、虫が浮いててさ。店員さんに伝えたら無愛想に対応されて、代わりにビールを持ってきたんだけど、それにも虫が入っててさ。もう最悪だったよね。誰か慰めてー!!」
・・・抽象的な表現だと、こんな感じですよね(^_^;)
これを聞いた人が情景を想像しやすいうえに、色んなシチュエーションが考えられるからね。
ここで具体的な個人名や店の名前を出しても、「その店サイテー!」で終わっちゃうからね。
・・・まぁ、本日の結論を言いますと。
「同調して叩く人」はきっといなくならないし、外へと交流を広げたり、自分の影響力が高まるほど、そういう人と関わる確率は上がってくる。
その人を諭そうとしても、『同調して叩く人を叩く人』が増長していって、終わりがないと思うんよね(^_^;)
・・・なので、きっと大切なことはさ。
イヤなことがあった時に、そのモヤモヤを安心して吐き出せるような人間関係を、しっかりと育んでいくことなんよね。
世の中のたくさんの人に分かってもらう必要はなくてさ。
身近な数人に分かってもらえれば、それでいいと思うんよ。
家族とか、職場の仲間とか、地元の級友とか、オンラインコミュニティで出会った人とかさ。
それぞれの人間関係に合わせて、それぞれで自分の気持ちを素直に話せる場所をいくつか用意しておくことが、大切なんだろうなぁと思いますよ(^^)
痛みを吐き出して仲間を集めるのではなく、仲間との信頼関係をより深めるために、痛みを素直に吐き出すのが、大事かなと!
・・・はーい!そんな感じです(^^)
長々と読んで頂き、ありがとうございました!!!
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