ものすごくうるさくて、ありえないほど近い世界に、いたい?#61
「最悪の日」
が突然きて、9/11に父親を永遠に失くした少年を描いた映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」。
少年は、父親が最悪の日に残した6つの留守番電話のメッセージを母親から隠し、声を出すことができない老人と、父親のクローゼットに残されていた鍵が差し込める場所を、ひたすら、探しはじめる。
「突然、だれかが亡くなる。」
という経験を、ぼくはしたことがない。ばあちゃんが亡くなる時も、3か月間をかけて、少しずつお別れを伝えられる時間さえも、もらえた。
だから、ほんとは映画の中の少年の気持ちは、わからない。でも、なにか理解できる部分が、ほしかった。
むかし小学生のころ、転校を何度かくりかえしてたころ、突然、友だちみんなと会えなくなった。
「またね。」
って最後に遊んだ日に言えてしまうくらい、ぼくは幼くて、いつも、これから起こることが、よく、分かっていなかった。
「突然、みんながいなくなる。」
というのは、まだ幼稚すぎた自分にとっては、やっぱりそれなりに、つらかったりもした。
昨日まで遊ぶたびに、ものすごくうるさかった鬼ごっこの声も、ありえないほど近くでやっていたゲームも、またはじめから、リセットされた。
それからだいぶん経って、中学生になって、家出を繰り返すようになったころ、もうどこかも覚えていない駅で降りて、街中を歩いてたとき、ふと、遠くから、パトカーのサイレンの音が聞こえた。
その音は、自分に向かってきたわけではなかったけど、ぼくはとっさに、裏道に隠れた。
隠れた先の道は、ものすごく静かで、ありえないほど遠くまで、だれひとり、ぼくが知っている人もいなかった。
「ひとりでいたいと思えるのは、ほんとは、ひとりじゃないからなんだ。」
って、その時からぼんやりと、気づきはじめた気がする。
読んでくれた方、ありがとうございます。映画の中で、主人公の少年がならし続けるタンバリンの音が、なんだかとってもさみしくて、ものすごい勇気を振り絞ってる音のようだった。
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