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長生きしたい?#57
「あんまり、長生きとか、したくないんだよね。」
って、ニュージーランドに留学していたころ、同い年で同じ語学学校に通う同級生が言った。
その同級生もぼくも、大学を卒業したばかりで、まだ、22歳だった。
そのあと語学学校を出て家に向かう帰りの坂道で、突然、ぽろぽろと涙がこぼれてきたりした。
「なに、泣いてんだろ?」
って、泣いてる自分がおかしかったから、自分で自分に突っ込みを入れながら、もう少しだけ、歩いた。
その当時住んでいた海沿いのオークランドでは、登った坂道を振り返ると、海側から、開けた街のすきまをかいくぐって流れてくる風がふんわり背中を押してくれて、頬に、心地よかった。
そうして少し歩いたあと、
「ああ、ぼくはいま、長生きしたいと思っていて、そんなことは、生まれてはじめてで、どうしようもなく、うれしかったんだ。」
って、ふと、やっと気づいた。
中学校も、高校も、大学も、考えてみれば、いまいる瞬間がうまくいかなすぎたから、こんないまが続いていく未来を見据えるのが、いつも少し、きつかった。
ニュージーランドに来て、いまがとてつもなく楽しかったから、せっかく楽しいいまが終わるのは、どうしてもいやなんだと、あと1日でも長く、長生きしたいんだなって、はじめて知った。
ニュージーランドから帰ってきてたくさんの時間が過ぎたいまも、毎日できなかったことと、そうして後悔することが積み重なるばかりで、自分へのがっかりが、少しずつ積みましていったりする。
でも、あのときのあの瞬間を思い出すと、
「のろくても、少しずつは、歩いてるんやから。」
と、そうやって自分で自分をなぐさめてるだけなのか、あきらめてるだけなのかよく分からないけど、ちょっとずつ変わる自分を、少しは、肯定してみたりする。
昨日、コルクラボで宗教学を専門とする島薗進さんから死についての話を聞いて、なんでか反対に、自分が長生きすることへの執着ばかりが、頭をよぎったりもして、少し昔のことを、思い出しました。
お話しお聞きする機会もらえて、ありがとうございました。どうしようもなく成長の遅い自分でも、10代から20代に、20代から30代に少しくらいは成長したのだから、人より長く生きさえできれば、人並みくらいには、なれるはず。