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お金を動かすのは、バトンを渡すこと

わたしは、いろんなアイディアがどうやったら儲かるかを考えるのが好きです。
レストランで食事をしても、地元の商店街の古い洋品店の前を通ったときにも、「どうやったらすごく収益があがるだろう」と考えるのが大好きです。

「儲ける」、「収入を上げると」というとどこか計算高くて、いやらしい感じがしてしまいます。
それはどこかで
「お金が汚いもの、隠しておかねばならないもの」
という意識があるのではないでしょうか。

だから、お金のことは人と話題にしないし、お互いの収入を探りあったりしないのではないでしょうか。

わたしは、ものを買うにしても、何かのサービスに払うにしても、寄付にしても、だれかに貸すにしても「お金を動かすのは、バトンを渡すこと」だと思います。

そう思ったのは、先月から始めて毎日投稿しているnoteに有料記事を書いたことがきっかけです。
300円の重み

わたしはこの収益をどうやって使おうか悩んで、闘病中の子どもにクリスマスプレゼントを贈る寄付をすることにしました。

お金は、「何かと交換できる権利」です。
お金の使い方、というと「何に使うか、消費か投資、浪費か」ということはこれまでも考えたことがありましたが、それはあくまで消費者目線の視点だったと気が付きました。

お金を動かすことは交換することなので、自分の他に必ず相手がいます。
自分にとってだけでなく、相手のことを考えてお金を渡すという行為は、バトンを渡すことににているなと気が付いたのです。

逆にお金が入ってくるということは、誰かのバトンを渡された、ということになります。
わたしたちはこうやって、いつもバトンの渡しあいをしている、それが経済だといえるのではないでしょうか。

バトンを渡すのに、いくつのバトンを渡したか、いくつのバトンを渡されたかも大事ですが、だれに、どんな風に、どのバトンを渡すかというのも同じくらい大切なことだと、わたしは一つ300円の有料記事によって考えさせられました。

そしてバトンを渡すことは、お金を動かすことにとどまらず、生きることそのものと言えます。
わたしたちは突然この世に発生したのではなく、古からの命のバトンの渡しあいで今ここに生きているからです。
そして、わたしたちがバトンをつなぐことによって未来が生まれます。
わたしたちはそのバトンを渡す行為によって、未来をいま作っているのです。

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