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【小説】白詰草
B氏は通りをふらふらと歩いていた。空はどんよりとくもっている。まるで腐ったレバーを食べて、食当たりをおこしたような空だ。
通りにはB氏のほかに誰もいない。とてもさびしい通りだ。人工的な道の両脇には、街路樹が植えられている。やせ細った白い木だ。枯れかかっている。栄養失調なのではなかろうか? まるでわたしのようだ、と彼は思った。
「なんて陰鬱な場所なのだろう」
B氏は疲れていた。どうしてこんなに疲れているのか、彼にもわからなかった。彼は道端のベンチに腰かけた。木のベンチはしっとりしていた。
通りの向こうには墓地が広がっている。鬱蒼とした針葉樹に囲まれた小さな墓地だ。墓石は白い。長いあいだ風雨に野ざらしにされたせいか、かすかに黄ばんでいる。まるで人骨のようだ。
どこからか鐘の音が聞こえてきた。教会が近くにあるらしい。音に驚いたのか、一羽のカラスが飛び立った。くもった空を二、三度まわり、それから墓石の上におりた。白い墓石に、黒いカラス。
カラスはなぜいつも単独行動なのだろう、とB氏は思った。でも、それはカン違いかもしれない。彼が見かける時にかぎって、たまたま一羽なのかもしれない。いつもは群れているかもしれない。
いつの間にか墓石の前に一人の老人が立っていた。
B氏はすぐにその男が墓守だとわかった。老人は農夫が着るような服を着ており、両手はごつごつしていた。顔にきざまれたしわは深い。目は落ちくぼんでいる。
B氏はベンチから立ち上がった。なぜかはわからないが、墓守にあいさつをしようと思ったのだ。不思議だった。B氏はそれほど外交的な性格ではないのだ。そしておそらく墓守もそうだろう。でも、なぜだか彼は墓守のところへ向かった。
街路樹をこえ墓地の中に入ったとき、B氏は奇妙なことに気がついた。
墓地の中にはたくさんの墓石が並んでいた。どれも同じような大きさの白い墓石だ。しかし、墓守の前の墓石だけが、列から離れた場所に建てられているのだ。
その墓の周りは雑草でおおわれており、ところどころに白詰草が生えていた。B氏は他の墓石を見まわした。どれも老人の前の墓よりは手入れがされているようだ。彼は再び墓守を見た。そしてようやく理解した。
「そうか、あれは無縁仏の墓なのだな」
無縁仏。供養する親族や縁者を持たない者たちの眠る場所。
B氏はそっと墓守の後ろに立った。どことなく気まずい感じがして、かける言葉が見つからなかったのだ。
もしかしたら、この老人は墓守ではないのかもしれない、と彼は思った。だとしたら一体誰なのだろう。無縁仏に会いにくる人。忘れられた死者の古い友なのか。
老人は墓石にとまっているカラスを追い払った。ぶっきらぼうだが、慣れた手際。何の感情もない仕事人の手つき。その仕草から、やはり墓守なのかもしれない、とB氏は考え直した。
ふと、何か大事なことを忘れている、とB氏は思った。だがそれが何かは思い出せなかった。まるでのどに引っかかった魚の骨のようだ。気なるが、どうすることもできない。
B氏が再び近づくと、老人が振り向いた。二人はしばし見つめ合った。老人の目が澄んでいることに、B氏はいささか驚いた。
老人は何かに気づいたようだった。ハッと息を飲み、そして気まずそうな表情を浮かべ、小さく首を振った。そのとたん、B氏は胸が苦しくなった。
冷たい風がふいた。風が木々をゆらし、ガサガサと音をたてた。足元の白詰草もゆれた。
ふいに老人が口を開いた。
「わしはもう長年この仕事をしておるので、そう驚くことはないんです」
彼はそう言ってから、申し訳なさそうにB氏を見つめた。あきらかに彼は困惑しているようだった。
このとき、再び教会の鐘の音が鳴った。林の中からカラスの群れが飛び立った。やはりカラスは一羽ではなかったのだ。ちゃんと仲間たちがいたのだ。
再び老人が口を開いた。
「長く墓守をしていると、あなたのような方はまれに見かけるのです」
ようやくB氏は状況を理解した。なんてことはない、すべてはあらかじめ終了していたのである。
B氏はゆるやかに浮かび上がり、漂う煙のように墓石の下へとおりていった。そして暗い室内に横たわると、ゆっくりと目を閉じた。
最後の意識が途切れる時、彼は白詰草の花言葉を思い出した。
「think of me(私を思って)」
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