雨の日の犬の匂い
小学校4年生から約17年間、私の家族だった犬がいました。いろんなことがあった時期だから、犬や猫がいてくれて感謝しています。
庭で過ごすことを愛した彼女は、肌の弱い子でした。最初は穴を掘ることを好み、鼻の頭を真っ黒にしてこっちを振り返ったりしていました。犬自身は、最高に楽しい顔なのですが、ビジュアルが……。穴は隠れることができるし、冷んやりして心地良いのでしょう。
ある日、その習慣が災いして皮膚病に。獣医さんで、バリカンで毛を刈られ、お薬を塗られる羽目に。
小学校から帰宅した私は、あちこちバリカンで刈られた姿を見て、思わず「どうしたの?」とギョッとしてしまいました。その反応が彼女の心を傷つけたようで、「今日一日ひどい目に遭ったのに、トラガラまで、そんな反応なの?」と言わんばかりの表情をされました。尻尾も力なく垂れ下がる感じで。その繊細さを理解するのは、小学4年生にはまだ無理で。今でも「あの時はごめんね」と、誰に言うともなく思い返しては、微笑んでいます。
生き物を飼うのは初めてのことでした。散歩や排泄物の始末など、慣れるまでは意識や努力が必要でした。けれど、すぐに日常の一部になり、「お腹下してないね、よかった」と健康チェックが自然にできるように変化しました。
動物を飼うといろんな匂いがします。それは不衛生だからではなく、別の生き物ならではの体臭です。台風が近づく夜、湿度が上がると、その匂いはより強くなります。普段は庭で過ごす彼女も、そんな日は玄関に避難させました。玄関のタイルの上に直に座るのは気の毒だから、新しい新聞紙を敷き詰めると、そこが自分のスペースだと安心して過ごしてくれました。
雨の日の犬の匂い。それは私にとって、安心や郷愁と結びつくかおりです。
振り返ってみると、与えられたものの方が多かったように思います。10与えて100返されたような、そんな感覚です。言葉を持たず、嘘をつくこともできない。その純粋さが、彼女をペットとは呼べず、家族としか言えない存在にしました。
今、中年になった私は、当時理解できなかった機微も理解できるようになりました。今なら、もっと喜ばせてやれるのではないかと、複雑な想いを抱きます。実際は、ベストを尽くしているから、何も足したり引いたりする必要は無いと頭では理解しますが、感情は別です。
きっと彼女は、幸せや絆を感じてくれていたと、信じてはいます。
台風が近づく今夜。雨の気配を感じつつ、玄関に漂う懐かしい匂いを思い出しています。全ては心の中にある、記憶と香りです。