#3 精神疾患になった理由
今回は精神疾患になった理由について記事にしていきたいと思います。
主に三段階に分けて悪化していったので、段階を踏んでお話しします。
第一段階 家庭環境
私は現在両親がおらず(存在はしています)、小学生の頃から祖母に育てていただきました。
厳密に言うと、小学生前までは父親と暮らしていましたがほぼ祖母の力で育ちました。
父親はとにかく遊び人で借金もあり、とにかく毎日イライラしては時折私に対しても暴力が発生するなど毎日本当にどきどきしながら過ごしていました。
母親のことは一切知らず、成人してから自分の戸籍謄本を取りに行き、初めて母親の名前を知るなどとにかく自分の過去すらなにも分かりませんでした。
物心ついた頃には父親の再婚相手と暮らし、冷たくあしらわれ、その後また再婚した女性からは父親に対しての嫉妬から水責めや暴力、暴言など繰り返されていました。
そこから『怒らせたら怖いことになる』と、他人の顔色を異常に伺い始め今でもそういった癖がついてしまい、境界性パーソナリティ障害に繋がるようになりました。
そして小学生の頃、その母親は祖母にいきなり『手紙』を渡しました。
その手紙には『(父親の名前)は愛せるけど、この子のことは愛せない』簡単に言うとそういった内容でした。
私はその場を察し、ランドセルにたくさん教科書を詰めて背負い祖母と帰宅しそこから一緒に生活をスタートすることになりました。
このような生い立ちから、他人の顔色を幼い頃から伺いはじめ、その癖が現在30になりますがまだまだ抜けられずひどくなり、たくさん考えが巡ってしまうようになります。
いや本当はこう思ってるんじゃないか、口では大丈夫だよと言ってるけど本当は違うんじゃないか?ずっとずっと脳内で巡っては良くない方向に向かい境界性パーソナリティ障害に苦しめられることになったのです。
第二段階 自己肯定感の低さ
第一段階でお話しした通り、家庭環境があまり恵まれている方ではない所で育った私ですがそこから影響されてくるのが『自己肯定感の低さ』です。
父の再婚相手からはとにかく人格否定の暴言などが飛び、父からは時折タバコの火を押し付けられるなど暴力もあり、『私がいなければこの人たちは幸せに暮らしていたのかな』という考えに行き着くようになります。また、『怒らせてしまった私が悪い』など自分を否定する事が多々出てきました。これは保育園の頃からずっと思っていた事なので長い間そういう考え方で過ごしてきました。
そのまま大人になり、否定されてきた事、愛されなかった事が抜けられず時間が経ってもなにか褒めていただいたり、なにか賞をもらっても『私なんてどうせ』という考えに行き着くような癖がついてしまったのです。
医師にも『自己肯定感を高めよう。あなたはとても素直で素晴らしい人なんだよ』と10年くらい言われてますがこれに関しては全くダメですね!
また私は結婚して子供も存在していますが、それでもなお『私がいなくてもこの子は育っていけるだろう』とふと思ってしまう事が多々あり、産後うつによる自殺未遂、自傷行為がやめられませんでした(今はもうだいぶ落ち着いてそれはしませんがその話はまた今度お話ししますね。)
とにかく『自己否定をやめられない』『自分が存在しなければこのひとたちは幸せになれるのに』と、家族にまで向けてしまうようになっていたのでこの自己否定と自己肯定感の低さが厄介でした。
どんな家庭環境もあるので、自分が一番不幸だとは思いませんが、少しでも愛してもらえてたら、、と思ったことは少なくありません。自己肯定感の低さにより鬱につながっていったのです。
第三段階 対人関係
ここから躁鬱になり20の時に精神科へ行ったお話に入ります。
私も成長し恋愛や友人関係を築くようになり、仕事もこなし、そんな不安を忘れようととにかくがむしゃらに生きてきました。
しかしある日、恋愛関係や職場への対人関係がうまくいかずそういった日々に悩んでいた所、急に体が痺れるようなだるさといいますか。とにかく体に力が入らず、車で来たのに車で帰れないような体になってしまいます。
とにかく気持ちが落ち込み、泣きたいのに涙が出なく不完全燃焼な爆発的な辛さ、頭が痒くなるような落ち着きのなさといった症状が増し助けてと色々な友人に連絡を取ってしまうほどおかしくなっていったのです。
そこから体も精神もおかしくなってしまったため祖母が予約をとってくれた病院に通院するように。ただ、なかなか相性の良い病院が無く病状は悪化。息がするのも辛い毎日でした。
初めて自殺未遂をしたくさんの友人に迷惑をかけてしまったことを今でも反省しています。
対人関係のほつれから一気に鬱や自己嫌悪、自己否定を繰り返すようになり、うつ病へと繋がっていくのでした。
で、なんで躁鬱になったの??
ではなぜ躁鬱になってしまったのかまとめます。
これはすごく簡単です。この自己否定を繰り返していた頃からどう躁に入ったかと言うと、1人になりたく無くてとにかく出歩いていました。
辛い時は友達にとにかく会いまくり、眠くなるまで誰かといるということを繰り返し『辛くても笑っている』という自己像が出来上がり、双極性障害につながっていったと私は思います
この事からきっかけは一瞬です。どこでなにかが崩れるかわかりません。現在は相性の良い病院にも恵まれ自分に合った薬も出してもらいながらやっと落ち着きましたが、本当に精神疾患は誰がなっているかなんて見た目でわかるような病でないからこそ周りの人からの助けによって自殺や自傷行為を防げると私は思っております。
ここまでは長く私の生い立ちやきっかけをお話ししてしまいましたが現在苦しんでる方へ。一緒に頑張りましょう。私たちは1人じゃないです。周りに苦しんでいる方がいる方へ。ぜひサポートしてあげてください。些細なことでも良いんです。
今回は長く記事にしてしまいましたが何だか最初の気持ちに戻った気がします。どうか皆さん辛いこともありますが生きていきましょう。私もまた頑張って生きていこうと思います。みんなで生きようね。
今回は鬱になった精神疾患になったきっかけをお話しいたしました!次回は『自分に合った病院、服薬の見つけ方』を自分なりに記事にしていこうと思います。
長い文ですがお読みいただきありがとうございました!
ちゃお!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?