【岐阜県】公立小中→(高校受験)→公立高校・浪人→早稲田教育 教育ログ24人目
0.今回の教育答え合わせさん
→地方の公立高校から現役で早稲田大学教育学部に合格されたエスケイさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!
「育ってきた環境の差で教育水準がある程度決まるのは仕方ないとはいえ、本人の努力も作用する中、大学受験に限定すれば回り道をしたとはいえ、自分の努力をそこそこ褒めてあげられるので良いとは言えないが悪いとも言えない点数」
と語るエスケイさんの教育答え合わせに迫ります。
1.回答者略歴
Q:お名前を教えて下さい。
→エスケイ
Q:年代を教えて下さい。
→今年で40代
Q:ざっくりのご職業・業界を教えて下さい。
→地方公務員
Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→明るいが周囲をかなり気にしていた繊細な面もあった。
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。
Q:最終学歴を教えて下さい。
→早稲田大学教育学部
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小・中学校→(高校受験)→平凡な公立高校→中堅私立大(中退)→実質一浪(代々木ゼミナール)
Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。
① 自走力・自律性 :3P
…好きなことはとことんハマり、自分で計画していく半面、苦手なことは全然やろうとしない性格でした。
② 要領の良さ :2P
…昔から人が出来ることが、自分にはたやすく出来ないことにコンプレックスがあり、周りをうかがってしまう癖がありました。決して要領は良くないタイプ。そこは努力でカバーするしかないのかと思っていました。
③ 持久力・耐久性 5P
…一度決めたことはやり抜く精神力は一応持っているはずです。半面、周りが見えなくなり、いわゆるゾーンに入ってしまいそれ以外のことが考えられなくなることも。
④ ストレス耐性 3P
…これも好きな科目はとことん出来るタイプですが、特に理系科目はアレルギーがでるほどダメなのでこれくらいの点数かと思います。
⑤ 理解力 2P
…理解するのに時間が掛かるタイプ。理解を諦めてなぜかそうなるものだ、と暗記したほうが早ければ暗記してしまいます。試験にしか使わないと割り切るのも大事かなと思っていました。
⑥ 関心範囲の幅 2P
…未知の領域を勉強することは、大人になってからは楽しいと思いましたが大学受験当時はそんな余裕も無く、ただひたすら合格最低点さえとれば合格、試験日翌日には全部忘れても良い、くらいの気持ちで割り切って勉強していました。
Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?
私の進学した高校は進学校ではなく、地方の田舎にある地域から3番目という中途半端な立ち位置(偏差値で言えば50ちょっと)の高校でした。
周りは大学も行く人もいれば専門学校に進学するする人も居たため、のほほんとした空気感の中、育ってきたことは悪くなかったと思います。他の記事の方を見ると皆さん優秀ですね(笑)
自分の強みや弱みを分析し、ライバルに負けないように勉学に励んだ記憶もあまりなかったのですが、大学受験を通して今振り返れば持続性、持久力といった特性は持ち合わせていたのかと思います。
大学受験の経験が何か役に立っているとしたら、物事を継続し、やり抜く力があったことくらいかなと思います。
Q:教育の得点配分を教えて下さい。
Q:得点配分の意図を教えて下さい。
→自分の例の反省もあるのですが、両親に大学受験経験がないことや、進学に対する熱がないことが、子の進路の選択肢や可能性を狭めてしまっていたのではないかと思いました。
これは親が教育費にどれだけお金を掛けられるかとか、親の教育方針にも依るかと思いますが、まあ今ではインターネット等でいくらでも情報は取りにいけるので昔とは異なっていますかね。小学校くらいである程度勉強に対する苦手意識が無かったら、その後の受験も苦労がなかったのではないかと思いました。
中学高校は本人のやる気次第で何とかなるということを実感しているので、配分としては低めです。高校以降は自分自身、逆転できる唯一の望みの期間だったため中学よりは配点高めに設定しています。
2.保護者の教育スタンス(配点40点)
Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
→父:高卒
母:高卒
姉:短大卒
Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→ほぼ放任主義。
母はたまに小学生の頃は「勉強しなさい」と言ってきましたが、義務感で言っているような気がしてあまり真に受けませんでした。父親は夜勤勤めで生活リズムが合わなかったため、ほとんど日中は合うことはなく、ノータッチでした。
親から勉強を教わるような経験も一切なく、特に子が健康で過ごしてくれたら良し、というような感じでした。
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→教育熱心な親に育てられると、反発心から逆効果であった例も聞きますし、この放任主義が悪くはなかったと思います。
ただし、子どもの可能性が広がるような行動を取られなかったことや子供の気持ちに寄り添った育て方が出来ていたのか?と振り返ると個人的には不十分では無かったのかなと思うところもあります。
Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→小学校の頃の母親は「勉強しなさい」という言葉は中学校以降、聞くことがなくなりました。自主性に任せていたというよりは、自分自身あまり勉強が得意でなかった為、言える立場にないと気づいたのでしょう。
Q:学業につながった家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
→特にありません。他の方の記事をみると皆さん、教育熱心ですね!と驚くばかりです。
逆にダメだった例かもしれませんが、小さいころからテレビを観てばかりで食事中は、家族と会話をせずに1人だけリビングに移動して食べながらテレビを観ていました。
家族とのコミュニケーション不足という点では悪習慣だったかもしれません。
Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。
→自主性を重んじるといえば聞こえは良いですが、放任主義で特に勉強することの必要性を感じていませんでした。
よく遊び、最低限の学力さえあれば良い、せめてこのご時世は大学まで行ってくれたら有り難い、くらいだったと思います。
我が家は決して裕福な家庭では無かったと思いますが、習い事などでお金を理由に断られたことがなかったような気がします。
もっと自分からあれやりたい、これやってみたいと発信していれば可能性が広がった気がしますが、両親からの会話や選択肢を広げる行動は特になかったものの、今となれば仕方ないのかな、と。
3.~小学校時代※小学受験含む(配点30点)
Q:小学受験はしましたか?
→していません。田舎出身でそんな選択肢があることすら知りませんでした。。
Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)
→低学年~中学年は、自分自身は何もしなくてもテストで点数取れるし、要領は良いタイプだと思い込んでいました。
Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→特に苦ではなく、何事も楽しんでやっていた記憶があります。ただこのころから先伸ばし癖やサボり癖が身についてしまい、夏休みの宿題はいつも8月後半になると焦り出し、ギリギリで提出していました。
Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→今思えば、受験競争とか無縁の生活であり、伸び伸びと育った環境であったと思います。
自宅学習はほとんどしなくてもテストで点数は取れており、自分はそこそこ頭が良いのだ、と勘違いをしていましたが、それでも読み書きの基礎と各科目の興味範囲が広がったのは小学校の学習環境が大きいのではと思います。
Q:毎日どれくらい勉強していましたか?
→ほとんど勉強した記憶がないのでゼロに等しいですが、一応宿題も出されたと思うので15分はやったことにします。いわゆる最低限の勉強しかしていません。
Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?
Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→習字は近所の同級生のお母さんが教室をやっていたので通い始めました。
徐々に字が上手くなるにつれて段が上がっていくので達成感はありました。
Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→水泳教室はもともと喘息持ちであった母が心配して体力をつけるために始めました。サッカーは自分から友達が入っていたのを羨ましくなり、自ら入りました。学業成績というよりは体力面での好影響はあったかと思います。
Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→特にないです。今の時代ならパソコンと英会話かなと思います。
Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→図書館に行く習慣はほとんどありませんでした。幼少期は昆虫の図鑑を買ってもらい、それを見ながら昆虫採集をしていました。他にはたまに歴史ものの漫画系の本とかは読んでいました。
その頃はほぼ漫画です。少年ジャンプ系の漫画の黄金期だったので、ドラゴンボールとかスラムダンクとかそのあたりですね。あと毎月コロコロコミックを買っていました。
今では小学生の読書量がその後の学力や興味関心に大いに影響を与えることは何となく分かります。
Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→もっぱらテレビゲームです。
同じく熱中していた世代あるあるで、あまりにもゲームのやりすぎで母親にファミコンの電源ケーブルを隠されてしまいました。また中学にかけてもゲームセンター通いで格闘ゲームに熱中しており学業への支障は大いにありました。
Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→特にありません。
Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。
減点要因:今思えば、小学校までに習い事や様々な経験を通して知見を広げておけば良かったと思います。
小学生の自宅学習はほとんどしなくてもテストでは点数は取れていましたが現状に満足せず、直接点数に結びつかない興味範囲を広げ、今後の選択肢の可能性を探る時期に恵まれているのにも関わらず、活かしきれていなかったのではないかと思います。
しかしながら当時の少年エスケイはそんなことを1秒も思わなかったし、両親もそんなことを考えて教育していなかったでしょう。周りの友達も似たような感じに見えました。
4.中学時代※中学受験含む(配点10点)
Q:中学受験は考えましたか?
→全く考えていません。
そんな選択肢があるのも知らなかったので。ちなみに町内に住んでいる小学の同級生は全員同じ中学に進みました。
Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)
→中学になると勉強しなくてもテストで良い点が取れる、自分は頭が良いタイプであるという思いは見事に打ち砕かれました。
辛うじて英語は当時中学からスタートだったのでイチから頑張ろうという思いで多少得意科目、との認識はありましたが後の科目は全然だめで、頑張っても可もなく不可もなくオール3みたいな感じで中学3年生1学期まで過ごすことに。このまま平々凡々な高校に進学するのかなという感じでした。
Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→自分は頭が良いわけではなく、要領も悪いのだと自己意識が高まり、最低限の宿題以上のことはやりませんでした。
そして特に数学、理科といった科目の苦手意識が強くなり、理系科目のセンスがないと自覚した時もこの頃です。
Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→田舎のマンモス中学の集まりということで学校が荒れていた時期もあり、教育環境は良くはなかったのかと思います。
またこの頃の学習はやらされている感満載で、授業の内容も難しくなり苦痛以外の何物でもありませんでした。
Q:毎日どれくらい勉強していましたか?
→中学1年~2年までは相変わらず最低限の宿題をやるのみでした。
中学3年になってからさすがに焦り始め、周りも塾に行っていた人がいたので自然と親に塾に入りたいと言い出し、少しは真面目に勉強するようになりました。
Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?
中学3年から塾に通い始めました。
今振り返れば学校の授業内容が完璧でないのに塾に通っても消化しきれない内容となり、最後の方は塾に友達と話すために通っているような感じとなりました。従って、あまり学習貢献度はそこまで高くなかったような気がしますが、勉強をするという習慣づけは出来たのかな、と思います。
Q:習い事について学習能力への影響を教えて下さい。
→学習塾は少なくとも学校の授業よりは楽しかった記憶があるので、入るのは悪くなかったと思いました。
しかし、周りが入っているから自分も入ったという安易な選択をしたという一方、それまでは自主的に勉強する環境づくりが全くできていなったので、それなりに効果もあったのではと思います。
Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→高校受験時に第一志望の高校に行けなかったことで母親が「大学受験は複数受けられるよ」と何気ない一言を発したことを覚えています。
今思えば、大学受験でリベンジ出来る、と思わせた出来事かもしれません。
Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?
→自分は勉強しなくても要領が良いタイプと思い込んでいたものの、もっと周りには勉強が出来る人がいたり、現状に甘んじて努力しなかったツケが回ってきて成績が平凡になってしまいました。
とは言え、他の記事の方のように優秀でない自分としては、最低限の学力でそこそこ落ち着いたことは肯定し、5点は付けてあげたいと思います。
5.高校時代※高校受験含む(配点20点)
Q:私立の高校受験は考えましたか?
→私の地域では私立=公立の滑り止めという位置付けです。県外のもっと優秀な進学校の私立を受けるほどの学力は勿論ありませんでした。
Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)
進学した高校は、本来行きたかった高校は合格するか不安だったため、1ランク落とした高校にしました。
この頃から、将来について漠然と考えるようになりました。安全圏の高校に進学したことや、当時は勉強する癖が少しは身に付き始めたことから、進学した高校の中では割と上位の成績だったと思います。
Q:高校の教育環境についてはどう考えていますか?
→勉強の習慣が遅まきながら身についてきたこともあり、高校の中ではある程度、成績は良かったです。やはり高校ともなるとある程度学力が同じような人、価値観の集まりがあることから、居心地は良かったです。しかしながら、ライバルは他の上位校に居る意識はありませんでした。
Q:毎日どれくらい勉強していましたか?
→高校1~2年時は同じ高校内での成績はそこそこ良かったので危機感はありませんでした。
しかしながら高2の秋くらいから志望校の模試の判定が悪かったので、「このままでは絶対に受からない」と思い、焦って勉強のペースを加速させたのですが、他の受験生も同様に勉強しているわけで、第一志望の国公立大学は出願さえ諦める状況となってしまいました。受験期の勉強時間は主に浪人時代です。
Q:習い事は何をされていましたか?
→高校では中学での塾があまり活かし切れていなったので、塾には通いませんでした。
→進研ゼミは塾に行かないことを補完する意味で受講したのですが、通信教材は溜めてしまい、効果があったのかは微妙です。
浪人時代の代々木ゼミナールは、学校の授業は何だったのか、というくらい授業が分かりやすく、勉強の概念が良い意味で崩れました。この塾なしには合格は不可能だったかなと思います。
Q:高校時に学習・進学などで記憶に残る言葉・事件はありますか?
→偏差値50ちょっとの平凡な公立高校だったため、東大京大の進学実績は皆無、地元の名古屋大学も数年に一度、早慶は10年に一度くらいの実績でした。
この頃から漠然と将来や大学選びについて考えるようになり、田舎の閉鎖的な空間に嫌気がさし、都会の大学へ行きそのまま都会へ就職したいと考えるようになりました。
とはいえ、中途半端な進学先で下宿すると親に申し訳ないという思いもあり、そこそこ都会の横浜が魅力的だな、と思うようになり横浜国立大学を第一志望にしました。が、センター試験で大失敗し(数学ⅡBが20点くらいだった…)、出願さえ取りやめました。
6.浪人時代
Q:高校卒業から一度大学に入り、中退して浪人してますが、どうしてですか?
→ここからは時系列でお話します。
<高3の3月>
第一志望の大学さえ出願できずに終わり、すっかり意気消沈していました。浪人しようか迷いましたが、両親は現役でどこかの大学に行ってほしいようでした。
そこで、滑り止めとして受けた地元の中堅私大に入学するか迷って高3の担任の先生に相談したところ、「自分も第一志望の大学に落ちて悔しかったが、別の大学に行って第一志望の大学に落ちたことは忘れて大学生活を楽しんだ」と言われ、そんなものかな、と思い不本意ながら地元の私大に入学しました。
<4月>
大学のサークルの新勧コンパやゼミの合宿など参加してみましたが大学生活を楽しむどころか悔しさや虚しさのほうが大きくなり、浪人した友達が受験勉強を頑張っている姿を見て羨ましくもなりました。
どうしてもう少し早く学習しなかったのか、と後悔ばかりでした。人生をリセットしたい気持ちにもなりました。
<5月>
GW前後から大学をサボりがちになり、引きこもりをするようになりました。何をするにも無気力で、親にも大学に行っていないことがばれてしまい、気まずい思いになりました。
確かに親からすれば入学金と安くない1年分の授業料を収めているので、今思えば、当然のことだと思います。この頃から再受験をし、大学を目指そうという気持ちになりました。
<6月>
親に内緒で大学の退学届けを提出しました。その際は親からめちゃくちゃ怒られた記憶がありますが、退路を断って受験する覚悟を持ちたいという思いでした。
その頃、高3時の担任の先生からふと連絡があり、「今どうしてる?」と聞かれました。どうやら、私を心配して連絡してきたようです。私が事情を話すと「それなら頑張れ」と勇気づけられたような気がします。
ふと、自宅に高校3年生の冬に受けた(高校で受けさせられた)代々木ゼミナールのセンター模試の結果が奇跡的に成績優秀者として認められた為、「授業料免除」の案内がありました。実はこの授業料免除、有効期限が4月に切れていたのですが、ダメ元で代ゼミの受付で「今更だけど入塾したい」と受付のお姉さんに伝えたところ、有効期限切れていたものの、授業料免除にしてもらいました。あの時の受付のお姉さんには感謝。
これ以上親に迷惑を掛けたくなかったので、夏期講習とかの追加料金は小さい頃からせっせと貯めていたお年玉を全額授業料に投入しました。また、プレステ等のゲーム機も売りさばいて全額予備校の授業料に充てました。
<7月>
思えば、自分で一度決めたことをやり遂げた記憶が無いので、人生一度は叶えたい夢は叶えるようにしたい、ということと、とにかく都会の、できれば東京の有名大学に行きたいと思うようになり、第一志望を早稲田大学にしました。
今でも東大は一部の頭のいい天才しか行けないものだと私は思っています。しかしながら、早慶なら何とか凡人の自分でも引っかかるのでは(文系3科目だし)と思い、第一志望を早稲田にしました。
こういっちゃなんですが東大落ちの早稲田も、早慶専願の早稲田も入ってしまえばみんな仲良く一緒です。他の浪人生と比べて3ヶ月の遅れを取り戻すべく、狂ったように勉強しました。
<8月以降~受験まで>
残された時間があまりなかったので、どうすれば効率よく勉強でき、合格できるかということばかり考えていました。
英語はある程度基礎は出来ていたので英単語と長文読解をひたすらやりました。別に早稲田の英語は単語の筆記や発音の問題は特に出なかった為、単語が書けなかろうが発音が間違っていようが覚えたもの勝ち、という勢いで勉強していました。
国語はある程度センスが問われる科目だと割り切り、あまり力を入れませんでした。特に漢文は第一志望の早稲田教育学部は過去問を見ても当時は毎年1問しか出題されていなかったので、思い切って漢文を捨てました。1秒も勉強していませんが滑り止めの大学くらい漢文が解けなくても他でカバーできるだろうし、その時間は他の勉強に手を回したほうが得策だと考えました(後日談として、教育学部の試験本番の漢文は、問題に不備があったため、受験者全員正解扱いになりました。運も味方したようです)。
社会(日本史)はもう覚えるだけ、ということでひたすら暗記しました。問題を解いて教科書に書いていない事項まで書き足して、教科書がボロボロになるまで見返しました。
当時は最低10時間以上勉強していたのですが、不思議と苦痛じゃなかったのです。また成績が伸びるにつれ、ドラクエのレベル上げみたいな感覚で自分の成長を感じられ、それがモチベーション維持につながったのだと思います。最終的に偏差値は英語55→70、国語50→65、日本史55→75くらいまでは上がったと思います。文系三科目ですが、何度か模試の成績優秀者で名前が載るようになりました。
両親は、最初受かりっこないと思っていた無謀な挑戦に対し、口を挟むことは無くなり、受験料や受験の際の宿泊代も出してくれて何だかんだ陰ながら応援してくれたのだと思います。そうした環境も有り難かったです。
普段、受験には無関心の父親も、早稲田の合格が分かると一緒に喜び合ったのを覚えています。
しかし私も親になってみて分かりますが、自分の息子が突然大学中退する、と言ったら真っ先に止めますがね。
Q:地元の私大でキャンパスライフを過ごされた時代を、悔しさ・虚しさ・後悔ばかりと表現されています。これは見方を変えると、自分は「もっとできたはずだ」という自信の裏返しかと思いました。その自信が培われたのは、高校3年生時に学力がグンと伸びた経験に起因するのでしょうか?
→第一志望の高校に入学出来なかったので、中学の反省を活かして勉強の習慣、継続の大切さを知り、電車通学の時間は英単語帳を見る、等といったことを継続しました。そこである程度各科目の基礎固めは出来たと思います(理系科目以外)。
高3からはさらにブーストを掛けて学習を進め、高校の授業の内容はある程度出来ていたので、授業内容を先回りしたり、受験で重要でない所や教科は手を抜いてメリハリを付けた勉強をしていました。これで成績が大きく伸びました。
(本当にダメな生徒ですが、自分の受験科目に関係ない世界史の授業時間中に一人こそっと日本史の問題を解いたりしてました)
追い込まれる程、お尻に火が付いて頑張れるタイプなので、自分の特性を活かして追い込みを掛けていました。とはいえ、現役時には失敗してしまいましたが。
Q:早稲田大学のキャンパスライフは如何でしたか?
→一言で言うならば、「大学に入り直して良かった」に尽きます。
自分で決めた目標を達成して入学した為、尚更その気持ちは強いかもしれませんが、早稲田は全国から様々な人が集まってくる「人種のるつぼ」の様な大学である為、多様性を認識したうえで互いを認め合い、自分の居場所を見つけるには時間が掛かりませんでした。
校風は自由そのものであり、放任主義の雰囲気は自分には合っていました。真面目に勉学に励むのも自由、堕落するのも自由。「舞台は用意してあげるから後は自分で考えて何とかしな」といったメッセージを受け取り、周りもベンチャー気質な方が多かったような気がします。
大学生活では人間関係にも恵まれていたと思います。今振り返っても、この大学で学生生活を楽しめていないのであれば、どこの大学に行ったとしても楽しめなかっただろうな、とさえ思えます。
Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?
→勉強に目覚めのが少し遅かったと思いますが、延長ロスタイム、一部反則技?で何とか自分の第一志望の大学に入学出来ましたので、減点なしとします。ただし、親とのコミュニケーションでしっかりと最初から浪人を選択すれば無駄なお金と手間を掛けなくて済んだのかな、と思いました。
7.答え合わせを終えて
難関大学にチャレンジすることが全てではないのですが、いわゆる進学校から大学進学するルートとは異質のチャレンジであったこと、両親は子供の教育に無関心な部分があったにせよ、それを良いことに勝手に大学を中退し、心配を掛けてお金も余分に掛かってしまったのは申し訳なかったです。
しかし、あの頃の経験があったから今の自分があると思っています。受験はテクニック的な事で乗り切った感が否めないのですが、理解を伴った学習を自分の子供にはしてもらいたいと思います。私には全く当てはまらないので。
結果的に、東京に行きたい、と言っていた当時の私ですが、都会から見た地元の良さも再確認し、今は地元の地方公務員として働いています。一方で地方に住む人間として、都会と地方の経済格差や教育の格差も今後ますます広がっていくのではないかと懸念しています。本人が別に勉強が出来なくたって良いや、と心の底から思えるのであれば問題なのですが、資金面で進路を諦めざるを得ない環境を我が子には作らせたくない為、色々と考えさせられる答え合わせでした。
8.採点感想
どうも、#1のカラシカシです。以下、主だったところでの僕の感想です。
①勉強のプレッシャーをかけない効用
後半の学力の伸びを支えた前向きさは、~小中までに勉強のプレッシャーをあまり与えられなかったことが一つの要因かなと思いました。
勉強へのプレッシャーは空くなからず勉強へのネガティブイメージの形成につながると考えており(もちろん、人それぞれな部分もありますが)
②自分への自信の醸成
エスケイさんの場合はやはりここがカギですよね。地方で内申点や得意科目の関係から第一志望の高校に行けない人なんてザラにいるわけですが、そこから第一志望の高校の生徒でもそうそう合格できない大学に進学するのはまさに至難の業です。
高校受験の失敗によって(学業に対して)腐らない、「自分はもっと出来るハズ!」という自分への自信を保持し続ける芯の強さとピュアさがその根源にあるのかなと僕は読み解きました。