難しい同調の文化
今回は珍しく韓国と全く関係ないことを書きます(笑)
人間関係って何歳になっても難しいものだと思いますが、特に個人的に厄介だなと思うのが、他人の発言に同意することと、他人の気持ちに寄り添うことの紛らわしさです。
私は昔から人に同調することが苦手です。
小学生の時から、親の教えもあって“人の悪口を言わない”ということをなるべく意識して生きてきました。(社会人のストレスが溜まっていた時期など、度々、出来ていなかったと思いますが…笑)
しかし女性は誰かに対する悪口や、悪口まではいかなくとも不満や共感によって絆が深まる特性であるのも事実。(男性ってどうなんだろう、気になる)
小学生の頃、よく周りの女の子に「○○(特定の他の女の子)のことどう思う?」と聞かれることがよくあり、その度に嫌だなあと思いながら「うーん、別に…」などと曖昧な返事をしていました。
これだけならまだいいものの、「私、○○(特定の他の女の子)のこと嫌いなんだよね。○○(私の名前)はどう思う?」と聞かれた時が困りもの。
その度に「私は別にそんなことないよ」と返していましたが、きまって相手の女の子は同調できない私の返事を聞いて、不満そうな、つまらなさそうな顔をしていたことを今でも覚えています。
この歳になると、悪口がどうやらこうやらで悩むことはあまりないですが、やっぱり難しいと思うのが同調の文化。
例えば、3人で話している時、私以外の2人が気持ちを共感し合っていて、私もそうしたいけど、私は相手の話に100%は共感できないし、でも相手の気持ちには寄り添いたいけどな…という小さな疎外感と葛藤を感じることが度々あります。
分かりやすい例に置き換えると、
A「彼氏が、 でさー、意味分かんないんだよね」
B「うわ、それはあり得ないわ~」
私「…………(どうしよう、どちらかというと友達の彼氏の立場に共感できるかも…)」
ということがあったとして、でもAちゃんがその彼氏の行動が不満で辛いのならAちゃんの気持ちには寄り添いたいので、彼氏の悪口を一緒に言うのではなく、ただただ聞いて、「そっかそっか」と首を振ることしかできない自分を冷静に捉えてちょっと寂しくなる時もあります。
ただ、悩みごとや不満を他人に話す時、たいていの人が自分目線で話すものだと思うので(私もそうです)、それを聞いたほとんどの人が話し手の味方になり、その話題に出てきた悪口の相手の味方になる人は、あまりいないと思います(実はその人があまり悪くなくても)。
この悪口の相手が、悩みや不満を聞いている人達と接点のない人なら全く大丈夫なのですが、そうでない場合、聞いている人達が元々は悪口の相手のことを特に何も思っていなくても(または良く思っていても)、話し手の内容を聞いたことによりマイナスなフィルターがかかってしまうことが本当に怖いなあと思います。
(色々つらつらと書きましたが、ストレスの原因は人間関係であることが多く、それを他人に打ち明けること、相談すること自体は、自分の心の健康を保ち守るうえで大切なことだと思っています。)
…この文章を通じて何かを主張しようと思ったわけではなく、日々のモヤモヤをちょっと書いてみたかっただけです。
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