元をたどれば十返舎一九一九作「魚づくし」を読み下す 年季奉公人請状のパロディは数多く作られている。すでにご紹介した魚尽くし、鳥尽くしの他、青物や酒、銭、雷、地震、異国、なかには病や往生際に関するものなど実にさまざま。こういった滑稽文は一枚刷りや二丁刷りの小冊子で売り出されるものが多く、江戸後期には滑稽小噺を集めてまとめた草双紙が売り出される。 『大寄噺の尻馬』(浪華 松栄堂板)はそういった本の一冊だが、この初編に精耕堂師匠が書き写した魚尽くしの「年季奉公人請状之事」とよく
鳥尽くしの年季奉公人請状鳥尽くしの年季奉公人請状を読み下す 年季奉公鳥請状之事 一此烏勘左衛門と申鳥 生国は鸚鵡の国 黄鶏郡 顔白村にて 慥成鳥ニ御座候ニ付 羽白(私)ども鶉(請け人)ニ 罷立 貴殿方へ鳳凰(奉公)に 鷹鷲(遣わし)申候処 実正也 年季の儀 水の上(壬) 鵜(卯)の三羽(三月)より 燕の帰までに 相極 御鵂鷴(給金) として鳦鶸鶏(受け取り)申候 御仕着 之義ハ 夏ハ火鳥物(単衣もの)壱つ 冬ハ雀之子(布子)一羽(一枚) 可被下候 一宗旨の儀
魚尽くしの年季奉公人請状江戸時代、証文作成は必須 「年季奉公人請状」とは、奉公人の保証人である請人が雇用先に提出する保証証書である。典型的な書面では、第一項に奉公人の身元証明、年季、給金、仕着せ(主人から奉公人に与えられる季節の衣類)について記し、第二項で公儀法度に背かせないことを保証、宗旨を明らかにし、決してキリシタンではないこと、また当人が面倒(駆け落ち、取り逃げなど)を起こした際の責任の所在を明確にする。文末は、「後日の為、請状仍て件の如し」の一言で締め、請人等が署名
寺子屋精耕堂について父・唐澤富太郎が収集した教育史資料を展示している唐澤博物館二階には、寺子屋が再現されている。その展示の中心を担っているのが、下野国芳賀郡真岡町田町(現・栃木県真岡市田町)に天保十三年(1842)に村上政吉が開塾した寺子屋「精耕堂」の資料である。「御家流 筆跡稽古所 精耕堂」と墨書された看板、師匠愛用の大机や書箱、二代目師匠が六歳で手習いを始めた折に先輩寺子たちから贈られた天神机(引き出しには贈り主十九名の名が記されている)、筆記用具や往来物、草紙を収納する