【脱コル】仕事や私生活の化粧について
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
からすまと言います。
最近、noteというものを知って、SNSなんかで回ってくる記事を読むようになりました。
世の中には色々な考えを持つ人たちがいて、それは当たり前のことだけれど、読んでいて何故か息苦しくなるような記事があったりなかったりして。
「わかる〜」って共感できるものもあれば、「それはどうなんだろうか」と思うものまでたくさんあって、それはそれで楽しいです。
ただ、そうですね。なんというか、なんとなく、ただ思っていることを吐き出してしまいたくなったのでこちらを使わせていただこうと思いました。
最近、「脱コル」と言う言葉をよく見かけます。
なんだろうと思ってみたら、「脱コルセット」の略だと知りました。調べてみると、社会的に強制されている女性らしさをコルセットに例え、それを脱いでしまおう!っていう意味なんだとか。ざっくりしているので、間違っていたらすみません。
とても、とても良いものだと思いました。
わたしは女性ではありますが、普段化粧はしないですし、スカートなんかは持ってないです。普段でも、仕事でもお化粧するときはあるんですけどね。
脱コルをした、というわけではなくて…好きなように生きていたらこうなったっていうだけです。
脱コルってね、そういうことだと思うんです。
だから、わたしはそういう記事を見て、息苦しくなってしまった。
色々な記事を見て、SNSで色々な投稿を見て、なんだかとても辛くなってしまったのです。
「お化粧が楽しいひともいる」「かわいい服を着るのが好きな人もいる」基本的にそういう意見が否定されていて、それが苦しくて、ここで吐き出させてもらっているわけなんですけれども。
「女性が化粧をするのがマナーであるのはおかしい」という意見には心から賛同します。わたしもそう思います。
ですが「女性が化粧をしているのはかわいそう」みたいなことには、賛同しかねます。
少し、言葉が悪かったという自覚はあるのですが、わたしにはほかにうまく言い換えられるような言葉が見つからないです。
「男性から、社会から、女らしくすることを強制されていることに気付いていないのはかわいそうだ」「彼女は洗脳されているんだ」そう言ったことが多く言われていて、悲しくなりました。
先ほども言いましたが、わたしは普段化粧をしないです。仕事は接客業で、周りの女性たちはみんな化粧をしていますが、わたしにとっては必要ないと判断したからです。
一度だけ「からすまさんってお化粧しないの?」と当時の店長に言われたことがありました。
「クレームが入ったらします」
そう言ってから6年目、クレームは入らないし、お客様から直接言われることもない。それはもしかしたら、わたしの業種のせいもあるのかもしれないですけど。
わたしは、こどもたちと関わる仕事をしています。きっと、「ご家族の方に色々と思われないように化粧をするのがマナーである」と言うのが社会的な意見だと思います。でも「色々と思われる」ってなんでしょうか。おそらくではありますが「女らしくない」「だらしない」「この店には合わない」きっとそんな感じだと思います。
でもそれって本当に思われていることでしょうか。
わたしは髪型はツーブロックで、ピアスもバチバチにあいていて、だから、もしかしたら言うのが少し怖かったのかもしれないです。校則でツーブロック禁止、なんてのも出てきたくらいですし。なので本当はどう思われているかなんてわかりません。
ですが、そんなわたしでも、好きだと言ってくれるお客様がいて、わたしに会いにきてくれるお客様がいる。それこそが全てなのではないかと、その事実が「化粧をしないという選択も取れる」ということなのではないかと思いました。
なんだか言いたいことがわからなくなってきました。早朝5時に書くものでもないですね。
まあ、なんていうか、そんな感じで仕事でも割と好きに生きている人間なんです。
それで、そう。仕事も普段も、基本的に化粧はしないと言いましたが、するときもあると言いました。
ひとつは仕事。少しだけ、ステージに立つような仕事をしていて、そのときばかりは化粧をします。舞台映えするメイクなので、そういうお化粧とは違いますけどね。
そして、普段。本当に、極々稀に、化粧をして出かけます。理由はとくにないので説明はできないですけど。たまにね、バッチバチに化粧をしてお出かけをしたくなるときがあるんです。不思議ですよね。
でもきっと、一種の気分転換のようなものだとわたしは思います。「今日は気分を変えてこの音楽を聴こう」とか「今日は気分を変えて朝ごはんは米にしよう」とか。それくらい単純なものです。
わたしはわたしのために化粧をして、お出かけをするのです。
その事実は変わりません。
お化粧も、お洋服も、自分が気に入っていれば、それに納得をしていればなんでもいいと思うんです。
「推しに会うためにかわいい服を着るのは、無意識のうちに強制されたものだ」みたいな、そんなことを言うひともいますけど、「戦闘服を選びたい」と本人が思えば、もうそれでいいじゃないですか。
かっこいいですよね。
だって自分が一番自信のある姿で歩くんですもの。
ああ、また結局何が言いたいのやら。
結局のところ、なにをするにも選ぶのは自分である、ということなわけですよ。たぶん。ええ、たぶん、そういうことが言いたいんだと思います。
別に男性が化粧をしたっていいし、女性が化粧をしなくてもいい。誰がスカートを穿いても、誰がズボンを穿いても、どうだっていいんですよ。だってそれはその方の自由だから。
そんな感じです。長くなってしまったし、よくわからないことにってしまったけど、少しだけすっきりしました。
これを読んだ誰かが、少しでも息苦しくないように生きられることを心から祈ってます。
からすま