性格が悪いのはわたしか彼女か
わたしのSNSアカウントのフォローフォロワーの人数はどれも50人以下にとどまっている。
この人とは多分もう連絡取らないだろうな、という人をわたしはすぐ消すのだ。それは嫌いとかそういった感情だけでなく、その人に対して興味ないと思ったり、わたしのこの先の人生において必要ないと思ったりしたら消す。
関係というものを断捨離するのだ。
断じていっときの感情で消すなんてことはしない。
はずだったのだが。
相手には一切非がないのに、わたしは彼女の連絡先を消そうとしていた。
彼女はいわゆるサバサバ系女子だ。自称ではなく。
他人に対して“違う”と思ったら違うと言えるし、芯がしっかりあるのでなにをするにもブレることがない。感情よりも脳で考えて行動する派。純理系脳、みたいな(偏見)。
どう考えても彼女は“正しかった”のだが、その一言がわたしの心を大きく削った。
「からっぽさん…」
「ん?」
「それ、本当に可愛いと思って言っているんですか?」
「え、あぁ、まあ。」
「え、なんですかその間は!
ということは可愛くないものに対しても可愛いって言えるんですか?」
「まあ、言える人間ではあるよね。」
「へぇー…
私は言えないです。可愛くないものに対して可愛いって言う方が性格悪いですよね。」
良い意味でも悪い意味でも素直で真っ直ぐな彼女は自分に正直な人間で。
遠回しというより直接的な表現で彼女はわたしのことを性格悪いと言っているようなものだ。
でも彼女はわたしのことを嫌いなわけではない。その部分だけ、価値観が合わない。ただそれだけなのだが、
わたしは彼女に性格を全否定されている気持ちになってしまった。
わたしがなぜ他人に対して「可愛い」を使えるか。
言葉は手段である。
可愛いと思ったら伝えるし、可愛いと言って欲しいならそれを使う。
褒め言葉は言われて嫌な人はいないだろう。だからわたしは人を沢山見て褒めるし、嫌いな人に対しても求められているのならその言葉を使う瞬間だってある。
これが“性格悪い”なのか。そうか。そうなのか。
好きな人や信頼している人に対して、可愛いという言葉を使うのは求められていると思ったからではない。そこは違う。好きだと思ったから好きだと伝えるし、服装や仕草が可愛いと思ったから伝えるのだ。
なんて反論してももう彼女はわたしの可愛いを信じない。
そう思った瞬間、わたしは彼女の連絡先を、フォロワー欄から彼女の名前を消そうとしていた。
どうやらわたしは性格が悪いみたいだ。
わたしに優しい人間だけで世界を作ろうとしている。
否、わたしに甘い人間だけで世界を作ろうとしている。
彼女は大事な友人の一人なのに、
彼女だって性格が良いわけではないだろう。
わたしとどっこいどっこいだ。