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オンライン仕草とオフライン仕草
・オンライン仕草 … SNSなどにおけるコミュニケーション
・オフライン仕草 … 現実世界で対峙したコミュニケーション
このように定義したいと思います。
2022年現在、オンライン仕草とオフライン仕草は「違ってもよいものだ」というのが共通解のような空気があるように感じます。
この考え方は早晩古くなるのでは?と最近感じ始めたことを書きます。
悪いオンライン仕草の例:
フォローしていない誰かの呟きがTwitter の自動レコメンドエンジンにより表示された。政治的な発言だった。相容れぬ思想に面食らったわたしは癪にさわる気持ちが抑えきれず、「こんなクソみたいなことを呟くな」とTwitter の返信機能を使いリプライをした。
現実世界のコミュニケーションで考える
例に挙げた悪いオンライン仕草は「有名人」「インフルエンサー」と呼ばれる人のタイムラインで定期的に観測することができます。
リプライを飛ばす人をよくよく観察すれば、ほぼ全ての人はその発信者と一度も現実世界で会ったことが無い人であると思われます。つまり、純度100%の赤の他人です。
現実世界で考えてみえれば、会ったこともない、初対面に近い、直接話をしたことも無い人から、出合い頭に「こんなクソみたいなことを呟くな」と言いがかりをつけられたということです。
現実世界を想像してみれば、異常な世界といえるのではないでしょうか。
誹謗中傷を許さない風潮
悪いオンライン仕草はネットの誹謗中傷とも呼ばれます。
これまでネットの誹謗中傷は社会的にスルーされてきましたが、2020年代に入り慰謝料を認める判例が増えるなど、誹謗中傷を許さない風潮が醸成され始めています。
さまざまな事例がありますが、ネットで意気揚々と誹謗中傷を繰り返していた人物が現実世界では大人しい性格であった、という例も散見されます。
オンライン人格は情報量が少ない
Twitter でいえば「アカウント」が一人の人格を表現するアバターです。「アイコン」「文字列」で構成されており、そのアカウントの向こう側に「日常生活を送る人間がいる」ことをしばしば忘れさせます。
現実世界で対峙した場合と比較すれば、オンラインは情報量が極めて限定的となるため、想像しにくくなることが原因かもしれません。
アカウントのその先を想像する
(1) アカウントの先に「日常生活を送る人間」がいる認識を持つこと。
(2) 言葉を投げかけようと思ったとき。「もし現実世界でこの人が目の前にいたとしたら。この言葉を発するだろうか?」という自問を挟むこと。
オンラインなのか、オフラインなのか、という区別が不要な世界。たまたまそのときその場に居合わせた人に配慮する姿勢を身に付けることが次の時代に支持され始めるのではないか。
最近のわたしはこう考えるようになりました。