セイとチョンイ #2
チョンイにはスニという、ふたつ年下の妹がいた。チョンイは勉強が嫌いだったが、スニは頭がよかった。学者だった父の血を継いだのだろう。女性に学問は必要ない世情にあっても、チョンイはスニを学校に行かせたかった。父は何も言わないが、どうやら同じことを思っているようだった。
父は賢くても生活能力はない。都会では立派な学者だったかもしれないが、都落ちして流れ着いたこんな山村では、書堂(私塾)を開いても子どもたちの親からわずかばかりの穀物をもらうばかり。どこの家も貧しいのだから、貰いが少ないと嘆くわけにもいかない。
それに父は目が見えなかった。見えないほうが見えるということもある、というのが父の口癖だったが、現実に働くことができないのだから見えたほうがマシだとチョンイは思う。
カネがモノをいう世の中だ。
一家は誰かが支えなければならないという現実。農作業ひとつできないという父の現実。スニを産んでほどなく亡くなってしまった母の不在。
妹には学を積ませてやりたいという希望。
こんな片田舎では、きっと何も変えられないだろうという、絶望的な未来絵図。
妹のために、父のために、十四歳のチョンイに他に選択肢があっただろうか。
「仕事があるんだけれど、どうかな。縫製工場で働いて、夜は学校で勉強もできるよ。どう、興味ある?」
その言葉はチョンイにとっては魅惑的だった。そこは軍服を作る工場で、たくさんの女工が列をなして働いているのだそうだ。三食ご飯を食べて、働いたあとには学校にも行けるという。学校には興味はなかったが、住み込みで働くというのがいい。それに毎月まとまったお金を仕送りできるのだとか。
その男、カナヤマという名前だったか、とても言葉巧みだった。カナヤマと話をしていると、チョンイはこのような気持ちになるのだった。
「わたしでも生きていける、家族を支えることができるという希望があるのだ」
世の中には人を騙す職業があるのだと知っていても、自分が騙されているとは往々にして気づかない。そして十四歳のチョンイは、人を騙す職業があることすら知らなかった。
それに、チョンイはそのとき、無性にムシャクシャしていたのだ。こんな食べるものに事欠く片田舎にいると、絶望という病に誰でも一度はかかる。チョンイも生きる先が見出すことができず、生きる希望を他所に見出した。それだけのことだった。
いったい、それを誰に責められる?
生きる希望さえ見いだせないこのクニは、もはやチョンイやスニのためのクニではなく、植民地という名の奴隷の地だったのだから。
だからチョンイは昏い目をした男について行った。ここには絶望しかないから。
それを、誰に責められる?
*
海を見るのは初めてだった。
生まれ故郷にあるのは、田畑と、山また山。自然の移り行く季節は美しかったが、それは飢えと同義でもあった。景色が豊かであればあるほど、現実は残酷だ。雪が溶けて渓谷から冷たい水が流れ出し生命の息吹が充満するころ、家の穀物は底をつき、飢えは美しいものを美しいと思う感性を磨滅する。判断を、奪う。
そんなわたしが、生まれて初めて海をみたんだよ、スニ。
故郷を離れて、大きな街でドジョウ汁を食べた。汽車に乗って海苔巻きを食べた。さらに大きな街で宿泊した宿には私と同じような女性が二十人くらいいて、宿からちょっと歩いたところでお姉さんたちから連れられて、小豆餅を食べた。飢えが満たされれば、感性が帰ってくるのだと、わかるかな、スニ。
そこから汽車に揺られて、三日三晩。着いたところは大きな港町だった。赤煉瓦造りの大きな倉庫があり、軍用トラックが出入りし、聴いたことのない丸っこい響きの言葉が行き来していた。
港から見た海。水面も空も青い。
アボヂが若いころ日本で勉強するためにこの海を渡ったのだと聴いたことがある。この海の向こうに日本があり、アメリカがあり、世界がある。
興奮が抑えられない。期待に膨らむ自分を抑えられない。
そうだ。この「旅」で、わたしは生まれて初めてといっていいほどの友だちを得たんだよ。名前はスンドギ。わたしたちの故郷から歩いて一日のあの大きな街で生まれたんだって。都会育ちって言うの? わたしと同い歳で、歌や太鼓などの芸事が得意だった。幼い時から、芸を仕込まれたんだって。
スンドギもわたしと一緒に海を見て、こう言ったの。
「わたしも海を見るのは初めて。うたでは何度もうたったことがあるけれど、見るのは初めてよ。これが海の情景なのね」
そしてスンドギはうたったの。こんなに自然に溶け込む声ってあるかしら。昔、村の広場に来た芸人たちのうたよりも、ずっとずっと素敵だった。
高く、透き通った、音の波。
李太白は鯨に乗って空に昇ってしまい まん丸な秋の月だけが残る
スッポンの背にあの月を乗せ 家路を急ごう
故郷に帰り あの月を楽しもう
遠海近山の なんと嬉しいことか
スンドギのことが好き。声も、姿も。その笑顔も。
同じ村に友だちはいたけれど、みんなどこか子どもっぽかった。妹のスニがまだ一番大人っぽかったかもしれない。スンドギはどこか垢抜けてて、都会っぽい雰囲気があった。それでいてすれてなくて、とても誠実で、他人のことを思いやれる、チング(親友)。そうか、これがチングなんだわ。
スンドギの横顔を見る。長いまつげ。ちょっとはれぼったい瞼。白い頬にそばかすが浮いている。
「今のうた、故郷に帰るうた、だよね?」
わたしはスンドギに訊ねた。
「スンドギは故郷に帰りたいの?」
この言葉はスンドギに向けられたものではなく、わたし自身にむけたのかもしれない。
でも問うたところで、もはやどうしようもない。ここがどこだかわからない。周囲にいる人の言葉も、全く違う言葉で何を言っているのかわからない。そして自分が働いてお金を稼ぐまでは、スニを学校に行かせてあげるまでは、もうどうしようもない。進むしかないのだ。
スンドギは波止場から水平線を見ながらひとりごちた。
「だって仕方がないじゃない。これが運命と思うしか。わたしは故郷でパンソリを習得したけれど、パンソリではご飯を食べられる時代じゃないもの。でも芸で生きる術があるのなら、わたしはどこへでも行く」
「スンドギ、あなたも縫製工場に行くんじゃないの?」
「わたしは歌で兵士を慰問する仕事だと聞いてるの。違うの?」
「今は戦争中で、兵隊さんたちのいるところには軍服の縫製工場もあれば、慰問施設もあるのかもね。スンドギとは働く場所は違っても、同じ街に暮らすのがいいな」
「わたしもよ、チョンイ」
スンドギには強い意志がある。それが彼女を輝かせる。わたしの意志はスニを学校に行かせたいということだけれど、でも本当にそうなのだろうか。わたしはお金を稼ぎたかったのではなく、あの緑の匂いの湧き立つ故郷が嫌だけだったのかも。時々本当の自分がわからなくなる。
背後からカナヤマの声がする。
「スンドギ、チョンイ。船の準備ができたからそろそろ移動するよ。でもその前に、ワンピースを買ってやろう。どうだ? こんな都会、初めてだろう? 人も街も店も、みたことのないくらいの都会だよ」
ああ、わたしはなぜあの昏い目をした男、本名は知らないあの男。流暢に日本語をしゃべれないくせに、日本人面したがるあの男、カナヤマ某に、なぜついていったのか。
あぁ、スンドギ、あなたは今頃どこで何をしているの?
*
なんでチーフにあんなことを言ったんだ?
ケンジがセイに問う。セイは慌ただしくしているスタッフをよそに、窓から外を眺めていた。カメラマンさんと、照明さんと、メイクさんと、あと男優兼マネージャー? そんなの普通ない。ケンジの不幸の始まりは、私のマネージャーになったことかもしれない。そのためにチーフに殴られ、好きでもない女とセックスしなけりゃならない。好きでもない女とセックスしなけりゃならない苦痛という感性が男にもあるのかどうかはよく知らないけれど。ちょっと垂れ目で、ちょっとイケメンで、ちょっとヘタレな、かわいそうなケンジ。かわいそうな自分自身のことを考えたくないのだから、ケンジをかわいそうと思うしかないではないか。
「あんなことってなによ?」
「なぜオレを残りの撮影の男優に指名したの? わけわからないよ」
そう問われたセイは、なんて答えたものかなと思う。眼下には巨大な公園が広がっていて、人の姿が蟻粒のように見える。プロダクションな用意したわたしのマンションも高層階だったが、この撮影現場もなかなかのものだ。この業界の人は、見栄が高いのか単なる馬鹿なのか、つくづく高いところが好きらしい。一回目の撮影も、このガラス越しに乳首をしゃぶられ、性器をいじくられ、あえいでみせたのだった。外から見られているのかもしれないという状況が観ている人の興奮を催すのか、それともファンタジーを演出しているだけなのか。
「処女でもないのに、イヤとかなんとか、なんかあれこれ言うのも大人げないなあ……っていうか、うん、まあ、仕方がない。仕方がないじゃない」
「あ、処女じゃなかったね。まあ、処女がこの業界に来ることはかなり稀なんだけれどね」
いらぬことをケンジが言う。ケンジの吸う煙草の煙が、そばにいるセイの鼻孔を満たす。
「処女がこの業界に来ることもあるの?」
「ないことはないよ。合法であれば何でもありなのがこの業界だからね」
「『合法』であれば、ね……」
合法とはどの範囲までを含むのか訊ねてみたい気分にセイは囚われたが、やめた。言うだけ詮無いこと。やめたくてもやめられない。そういう契約になっている。それは確かに合法なのだろう、と、セイは考えたからだ。レイプだって、商品になってしまえば合法なのだろう。なんだって、合法と言ってしまえば、合法なのだ、きっと。問題は、思いの持って行き場がどこにもなく、袋小路にいるということなのだろう、と。
そんなセイの考えなど、ケンジには関係のない話だ。ケンジはケンジの思いだけで、言葉を続ける。
「でもさあ……オレは男優でもないし、結局セイも結局は他の男優とスケジュール組まれてるんだしさ。どうせ抗えないんだから。それにぶっちゃけ、オレは怖いよ」
「怖いって何が?」
「セイは知らないだろうけれどさ、男優もバラシには負債を負うんだぜ。そんなんゴメンだよ。女は入れられりゃ何とでもなるけれど、男は立たなきゃどうしようもない」
バラシとは、撮影が不成立になること。
撮影には人件費をはじめ、様々な経費がかかる。何らかの事情で撮影ができなくなったら、その責任は原因となった人に降りかかる。何百万という数字が降り掛かってくるのは日常だ。ケンジのモノが立たないだけで何百万という借金……はは、ウケる。
切ってやろうか。
AVはリアルさが商品価値らしい。
愛しているということ。感じているということ。気持ちの悪い造形をしたモノを美味しいと言い、精液をカメラに見えるように垂らしながらよく味わうように見せること。時にはアソコから精液を垂らしてみせる。
リアルという名のファンタジー。そこくせ私に求められるものは、かわいい顔、形のいいおっぱい、ちょっと高めの声と喘ぎ声。
くだらない。本当にくだらない。
でも本当にくだらないのはわたしだ。好きでもないくせに大好きと言い、クソ不味いくせに美味しいと言い、死ねばいいと思っているのに微笑んで見せる。そんなわたしが大っ嫌い。ホンっト、死ねばいいのに。
死ねばいいと思っていたって、実際に死ぬのは簡単ではない。こうやって「死ねばいい」と考えられるうちは、人は死ねない。
死ねないのだ。
セックスしているとき、セイは自分の軀をそれと認識できない。ケンジと話をしているときは自分を取り戻すことができるのだが、撮影となると自分の軀は自分のものでなくなり、考える自分はどこにもいなくなる。撮影前にはあれこれ受けた指示も意識の中にはない。それでもキチンと撮影は終えているのだから、なんとかなっているのだろう。
撮影されているからではない。セックスしているからでもないでもないだろう。たぶんうまくいかなくて殴られていたとしても、セイはそこにはいないだろう。
そこにはわたしはいないだろう。
ゆえに、苦痛はない。
ただ、気がつくと時間だけが経っている。
その日もいつの間にかそうだった。気がつけばニュースを見ている。ブラウン管の向こうから韓国のおばあさんたちが何事か叫んでいる。
「大丈夫か?」
あるはずのない声がする。風景は自宅。独り暮らしのはずの。
気がつけば背後にケンジがいた。なんで?
「覚えてないの?」
はい、覚えてないです。
「自宅までロケバスで送ったら、セイがオレを下ろしたんだよ。寂しいから独りにするなとか言って」
全然知らない。
「……大丈夫か?」
どうやら大丈夫ではないらしい。全く自分に自信がもてない。はは、どうしちゃんだろ、わたし。
「どうせだから、していく?」
はっ、わたしサイテーだ。
死ねばいいのに。
ねえ、スニ、あなたもそう思うでしょう? こんな姉に、いまさら会いたくもないよね。