
疲れと独り
20201228
久々に妻とケンカをした。
久々に、といっても、冷静にカウントしたら月一くらいのペースではしてるんじゃないかと思うけど、久々な気がしてる。
ケンカにどっちが悪いも何もないのだけど、引き金になったのは、妻がイライラをぶつけにきてると僕が感じ、それに納得がいかないことだった。
内容の詳細を振り返ってみれば、何をそんなことでと言いたくなるようなささいなことであって、受け流して相手が何でイライラしてるのかそっちに気を回してあげればいいのに、と後から俯瞰してみれば、思ったりする。
とはいえ受け流せなかったわけで、その理由は2つくらいあたりがついている。
1つは、イライラをぶつけられてもしょうがないと済ませる気が、僕にはない。
それは、育った家庭で、母親と父親の関係をみてきたのが大きい。
母親はイライラすると、当然のように、父親にそれをぶつけていた。
「溜めとくとか無理じゃし」と言いながら、さもそれが当たり前のように、父親にむけてエネルギーを発散していた。
父親の方は父親の方で、ある一定量が溜まると、我慢の限界を超えてキレた。
そんなシーンを、何度見たことか。
そして、僕はそれに強く不満を覚えていた。
そんなこともあって、イライラを人にぶつけるってこと、そしてそれをぶつけられることに敏感になった(といっても、自覚したのはここ一年とかだし、むしろ僕は僕でイライラ撒き散らしていたはずだから、偉そうなことは何も言えないが)。
誰かが、そして、自分でもイライラすることは構わない。
構わないというか、好きにしてもらってOK。ただ、そのイライラを誰かに向けるってなると、やめてほしい。ただそれだけ。
受け流せなかった理由のもう一つは、僕が疲れていたから、だと思う。
朝からゴキゲンに掃除をして、ゴキゲンだったのだが、次の予定までに、自分の休みの時間を取り損ねていた。
ペース配分のミスから、少し疲れた状態でバタバタと出かける準備をしていたところに、引き金となる出来事がきてしまった。
今回思ったのは、疲れていると、断ち切ることにエネルギーが向いてしまうなってことだった。
疲れているところに、納得のいかないことが起きて、妻への不満となる。そして、妻のイヤだったところが芋づる式に浮かんでくる。
妻との関係を一度絶ってひとりへ。そんな流れが自分の中で急激に渦巻くのを感じた。
疲れていない時は、いいところばかりが目につき、一挙手一投足に感謝がある。
疲れていない時と比べると、疲れてる時に関係を断ち切るようなモードになるのは、まずはひとりで休め!と体が発してる気がしなくもない。
元気な時はつながりがありがたい。
疲れた時はつながりを断ち切りたい。
大切にしたい間柄だからこそ、疲れない環境を積極的につくりにいこうと、改めて思えたケンカだった。