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現実を書き換えることば(中谷礼仁『セヴェラルネス』)
20200623
瞑想の、すくなくとも顕教的な側面(マインドフルネスとか)を、科学として言葉にするうえでわかりよくするために、専門用語の比喩や言い換えをかきとめはじめた。抽象度をあげたりさげたり。
それで「情報空間の移動」の時の、“現実”って何って言えるだろうって考えてて、ふと、大学時代の先生の本、中谷礼仁『セヴェラルネス』がうかんだ。特に、青い表紙で旧版の、最後の章。
目の前で“現実“と思ってることをどう書き換えるか。工作物から建物・都市をまたいで、丁寧に知略に富んだ作業をされてたなあと、思い出した。
目指す方向だったり、なにかを考える・疑うっていうベースとして、だいぶ影響をもらってるなということも知った。物理的に大きな重量をもった工作物にたずさわること、僕は当分なさそうだけど、目に見えない地下水脈みたいなところでは、養分みたいなのもらってるんだと思う。
それから、一冊の書物を精読することの楽しさとか難しさを知ったのは、まちがいなくこの本を通してだった。
なつかしいなあってのと、ありがたいなあって、感じだった。