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承認欲求じゃ満たせん世界
20201003
以前書いた文章に、とてもうれしいコメントをいただいた。
日頃から、評価のありなしなど関係なく、ひたすらに愚直にやりたい限りやるべ!と意気込んではいる。
のだけど、評価されたらというか、関心をむけてもらえれば、それはそれはうれしい。
承認欲求はゴリゴリにある。おおいに自覚している。
ただ、その承認欲求に先導されたスタイルは、結果的には今と未来の自分に幸せをもたらすことはないことも、おぼろげにみえている。
たとえ、うまくいって成功らしきを手にしたとしても。というか、それでヘタに成功してしまった方が厄介な気がしてならない。
承認欲求をみたすことを優先して手にした成功を、じゃあここからは承認欲求じゃないベースでいくから!よろしく!と軌道修正することは激ムズな気がしてならない。
それまでの成功らしきものは、承認欲求がベースにあった上で生み出された成果にたいする評価。
イキイキした結果の成果ではなくて、なにかしらの抑圧をともなった結果による成果。
抑圧をともなう成果をめざすと、心やら体を矯正する。ガチガチに凝り固まらせ、見せかけの安定をつくる。結果不安定さを助長する。
イキイキした結果の成果をめざすと、まとまらないしまともじゃない身体を認めるところからはじまる。
それから、その不安定さとどうむきあうかを検討する。
不安定さを不安定なままに。そういう存在によりそう。実践へと飛び込む。