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戦没者記念日 #7

今日の朝はバイクの轟音と共に起きた。またこの週末がやってきた。大勢の人たちがバイクに乗ってDC近辺に集まってくる。若い人もたまには見かけるが、ほとんどが定年退職しているであろう年齢以上の人である。みんな思い思いに国旗であったり文字であったりでバイクを飾り付けて、一種の意思表明であるかのように堂々とバイクに跨りやってくる。初めてその光景を見たときには観光客気分で一同会する所をどうにか写真に収めたいと思ってカメラを向けたこともある。それから、時間が経つにつれ、この人たちは一体どういう気持ちを背負って毎年この行事に参加しているのだろうかと思うようになった。去年はコロナの影響であまり見かけなかったが、今年は見た目は通常に戻っている。

思えば、日本と違って第二次世界大戦後も戦ってきた国なのだ。私個人としては、戦争は過去のものとして見ていたが、そうではない国の方がひょっとしたら多いのかもしれない。いや、きっと多いのだ。そういう現実を考えたとき、この戦没者記念日の持つ意味が重くなる。

実家の近くに慰霊碑があった。今でもあるのかもしれないが、私の幼い頃と比べるとその存在感は非常に小さくなっている。昔は慰霊碑に人が集まり、誰かが戦没者に対してスピーチをしていたという記憶がある。暑い日に行われることが多かったのでおそらく夏、終戦を迎えた辺りの日に行事が行われていたのだろう。私が小さい頃はまだ戦争はそんなにずっと昔の話ではなかったのだ。両親も幼かったとはいえ、戦争経験者であり、母方の祖母などは戦争で夫を亡くし、姉を亡くし、大阪から田舎の実家に疎開しに帰って終戦を迎えた。祖母は失意のどん底だった。幼子を抱え、片親でこれからどうやって子供たちを育てていけばいいのか途方に暮れただろう。

話を戻そう。バイクで戦没者を再び弔うためにやってきた人たちの胸中はいかに。歳を重ねたからこそ見えてくるものがある。人生での経験を積み、今は亡き友、家族に思いを馳せ、同じ思いを共有できる仲間たちと集うのだ。

できれば、そういう人たちのブログとか本とかを読みたいと思い始めている。

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