わかっている。納得もしようとしている。でも、心がおっつかない。 何、この気持ち。敗れたような気持ち。自分の気持ちとは全く別のことが起こってその方向に向かって行っている。この生活がとりあげられるのか。 そういう人たちは今までだってたくさんいた。なのに自分に降りかかると動揺する。どうして、今なの? メッセージの映画じゃないけど、これから起こるであろうことが予測される。これから引っ越しの準備、少しだけど知り合いになった人達にどういうかで悩み、そそくさと出国し、アトランタに着き、
半年ほど前に引っ越ししてきて、とあることからある一人の女性と知り合った。最初からその人は私に興味を示してくれて、ご親切にもお家に招いてくれた。土地に不案内な上に、つい先ごろ少し仲良くなりかけていた同じアパートに住んでいた友人が急遽引っ越しをすることになり出ていったばかりだったので、余計私に気をかけてくれるその人が頼もしく思え、折に触れラインなどで連絡していた。何度かお家にお邪魔していたので、基本人を招かない私だけれども、頑張ってその人とその人が仲良くしている人を昼食に招待した
数日前に母から伯父の肺炎が悪化して、医者からは後10日ぐらいだろうと言われたらしいことを聞いた。母がお見舞いに行った時はそれほど苦しそうな息はしておらず、まだまだ大丈夫だとは思うが、90歳という年齢を考えるといつ逝っても不思議はないというようなことを言っていた。 母とは歳の離れた伯父であったが、祖母が旅立ってからはたった一人の兄であり妹であったわけではあるが、伯父には兄らしい気遣いをあまりしてもらったことがないという母はさほど辛そうには見えなかった。強がっているふうにも見え
なんかね、外野に振り回されがちな日々を送っているので、ピュアというか純粋に何かに打ち込めるようになりたいと思っています。今日は最近お世話になった人にランチをご馳走しようと計画していたのに、その人が木曜日から火曜日に繰り上げしたい、さらに彼女のうちに来てくれというので、伺いましたよ。結局小さいお子さんとかもいるので、彼女に終始合わせる感じで、辞しました。余裕のある私ならこういうこともあるよね、と思うんだけど、なんかね、こうあからさまに、私は大して大切な人じゃないので、この程度の
私は結婚して両親の近くには住んでなかったのでスカイプなんかで連絡をとり始めて20年以上になる。お金を気にせず話ができるというのは本当にありがたい。そうずっと思ってきた。 時は流れて父が施設に入所し一時は父と母と別々にスカイプをしていた。その時はとにかく父との時間が長く感じられた。そしてその父も亡くなり、今度は母との会話が長く感じられるようになった。毎日二回。一回が大体30分。 母は夫を亡くし、今は一人暮らしなので、とにかく話す。私に気を遣って話してくれているのかもしれない
友人のお母様が入院されていて今帰省中だという。病状はすぐに良くなるものではなさそうで、頭の片隅にはひょっとしたらという気持ちがあるように見受けられた。そして病室の写真が送られてきた。その写真を見て涙が溢れた。 一度お会いしただけなのでよくは覚えていなかったが、ベッドで微笑むその人は明らかに人生の終着点に今まさにさしかかろうとしている人であった。ホテルの清掃員として働いていたらしい。夫に裏切られ、再婚した夫に嫉妬し、そしてコロナにかかった夫を見送ったその人はここに辿り着くまで
定期検診の時にどこが心配なところはありませんかと先生が聞いてくれたので、最近疲れやすくて気力がないことをちょっと訴えてみた。そしたら先生がすぐに血液検査をしましょうと言ってくれた。そして昨日その結果を知らせてくれた。思った以上に数値が良くて、なんだ、てっきり調子が悪いのはTHSのせいだと思っていたがどうも違うようである。 それと、先生とお話しをしたことでちょっと気が晴れたので、この3週間というもの、何もする気が起こらなかったが、少しずつ快方に向かっているような気がする。
この10日間というもの、どういうわけか全くやる気が出ずに、いろんなものをサボってしまった。これも私の生きていく中での必要なことと割り切って、やろうという気持ちが起こるまで放っておいた。そうすると、今日まで読書以外は何もしないという挙動にでた自分に少し驚いたが、それも受け入れよう。今日からまた仕事があるので、その準備を今からするという。でも、これも私。受け入れよう。 何もしないでいた期間はどういうわけかネガティブなものを受容してきた感じがする。意思の力が弱まっているというか、
タイトルにあるように少しずつ上向きになっているような気がする。今朝は久しぶりに40分ぐらい散歩した。散歩といえばいつも二人で行っていたので、一人となると二年ぶり、いやもっとかもしれない。桜も終わりまた次の段階の春が訪れていた。一人でどこに行くのか決めるのは久しぶりだからいい感覚だった。自分で好きな道を選んで、どこに行くかを決める。誰に気を使うことなく独断で遠慮せずに決められる。この感覚は久しくなかったのでは。 まだ勉強に戻りたいという欲求はないが、しなければなという気にはな
人生において成功も失敗もないという人はいるが、それは本当なのか?一般的にある人の人生を客観的に見たときに、人はそれなりの意見を持つはずである。正しいかどうかなんてわからない。ただ、通念から言ってみれば今の世間の価値観などを反映して判断できるのである。それがいかに馬鹿げていることかわかっていても、時々私の人生は果たしてどうだったのだろうかと自己判断することがある。 私が私に問う。私の人生はどうだったのだろうか?そして頭に思い浮かぶ答えは 失敗だったかも。 それがもはや何を
実家の母は80歳を超えているがしっかりしている方だと思う。親戚の家が近いのでわりとちょくちょく気にかけてもらえているのでありがたい。そしてご近所さんも付き合いがあるので、母は全く孤独というわけではない。しかし3年も実家に帰れていない。毎日スカイプで話してはいるものの、実際会うと違うのかもしれないと最近思うようになってきた。 以前はうちの母に限って的な安心しきっていたが、最近は少し頑固になったかな、ちょっと偏った考え方になってきているのではなかろうか思うようになってきた。それ
義母が数日前に入院した。腎臓の治療をしていたのであるが、その治療が合っていなかったのか、体力が持たなかったのか、義母はほとんど寝たきりとなり、食欲もなくなり体重が減り歩くのもおぼつかなくなった。 最初は今している治療さえ終わればまた元の状態に戻るだろうと思っていたが、事態は思ったよりも深刻で3週間ほど前には救急車を呼び輸血をしてもらったほどである。もっと入院させてくれればいいのに翌日早々と退院させられ、それからも芳しくない日が続いた。その後の入院であった。義父も看病疲れか入院
三回忌にも出席できなかった。4月ぐらいまでは訳もなう帰れるだろうぐらいに思っていたが、事態は思ったよりも進展せず、結局今回も日本に帰れることはなかった。ということは、父の三回忌にも間に合わなかった。兄がいてくれてよかった。母と一緒にいてくれてよかった。私は母とは話しができても実際に側にいることはできない。 父は派手好きだったのに、お葬式も家族葬でしかも母と兄だけ。私は夫とリモート参加となった。あれから2年も経つのに遅々として開国しない日本に痺れを切らしている。ビジネスならど
おそらく時が経てばあぁそういうこともあったなぐらいで済ませられる話である。しかし今日は敢えてここに今の私の気持ちを書き記しておこうと思う。 長年の友人と会って、たわいのない話をする日が昨日だった。昨日はどうも朝から虫のいどころが悪かったらしく、夫とも朝少しもめている。そういうのを念頭に置いて読んでほしい。ともかくその友達が遠路はるばるランチをするために迎えにきてくれた。ありがたいことである。味噌を作ったといっては持ってきてくれたり、そのほかいろいろと細やかに気を配ってくれる
ここ数日間多くの日本人がそうであるように、私も心が重く沈み喪失感を味わっている。安部さんを特別応援していたわけではまったくなかった。けれども、亡くなったという事実が重くのしかかり、できるなら時間を逆戻しにして、容疑者が2発目を発砲する前に取り押さえられた映像が流れてくるのではないかという想像をしたりする。夫人に関しても以前はかなり否定的な見方をしていた。しかしそういう感情は置いといて、突然、夫を亡くした悲しみはいくばかりのものであろうかと想像だにできないでいる。葬儀での挨拶の
渡辺直美ちゃんがspotifyで新しい番組を始める、しかも全英語で、というのを聞いてどんな感じでやってるんだろう。そういえば、ナイナイのオールナイトニッポンもspotifyで聴けるみたいなことを言っていたなと思い出して、ますます興味が湧いてきた。登録とかはappleで入ったので別にしなくてよかったし、意外と簡単に使えるんだということを知る。さてspotifyとは一体どんなもんだろう、とサイト内をちょっとうろうろ、わからないままとりあえず検索したりして徐々になじんでくる。 試