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帰省をした。

実家を離れ、仕事を始めて4ヶ月が経とうとしています。
家を出てすぐのあの頃、私はnoteでこんなことを書いていました。

傷ついた心が癒えるわけでも、問題の弟との関係性が良くなるわけでもありません。
でも、それ以外なら、少しずつ、新しい地で自分の心を修復していければ、私と両親のちょうどいい関係性を見つけることができるかもしれません。
とても苦しかったから、今のところ帰省はしたくはないけれど、少しずつ…

この時は、「今のところ帰省はしたくない」と言っていましたが、いくつか取りに行きたい荷物があったこと、実家で育てている夏野菜が欲しかったこと、そして、暑さから逃れるために帰省をしてきました。
今回はそのことについて書こうと思います。

会社で働くようになって3ヶ月。どんどん出来る仕事が増えるのは嬉しかったですし、そこそこ上手くはやっていたのですが、同期との関係性に頭を悩ませていました。
今は仮配属の期間で、同期は皆別々の部署で働いています。その中でも、同期みんなで協力してやらなければならない仕事があるのですが、この連携がどうも上手くいきません。
いつまでにやる、と言ったことがやれていないことが発覚したり、そのサポートで他のやりたいことが進まなかったり。一つひとつの仕事のスケジュール感が皆それぞれで、一部の人はやらずに帰宅したことを、一部の人は危機感をもってやって残業し、人事から咎められたり。
その反省の時間を設けるせいで、またまた進まない業務があったり。
これらの溝の原因として、同期の性格がありました。私は考えてから動くタイプなので業務計画をしっかり立てて進めていくのですが、他の同期は動いてから考えるタイプの人が多く、とりあえず目の前のことをやって、あとからアタフタしてしまうのです。
これを咎め、ある程度スケジュール通りにやってほしいと頼んだら、私が「スケジュール通り、自分の感覚通りに進めないと落ち着かない柔軟性のないやつだ」とみなされたり…(実際そう言われました。しっかり根拠をつけて否定しましたが)。
そんなこんなで、大分ストレスが溜まっていました。
そんな中での帰省でしたので、同期のことなんて忘れ、ゆっくりできると内心少し楽しみにしていたのです。

長い時間をかけて、実家に着いたのは日がすっかり落ちた後でした。
母が最寄りの駅まで車で迎えに来てくれました。少し買い物がしたいとのことで、スーパーに寄ると、母はしきりに私が食べたいものを聞いてきました。
すでに1つリクエストをしていて、それは準備されていたのですが「最近フルーツ食べてる?」「半額のこれ、美味しそうだね。食べる?」などと聞かれ「バナナは食べてるけど他はあんまりだから、何か違うのが食べたいかな」「お母さんも食べるなら、食べるよ」などと返し、買い物カゴは私が実家を出てからあまり食べていなかったもので埋まっていきました(私は母譲りの倹約家で、食べたいと思ったものを思ったままに買わない性格なのです)。

それからやっと実家に着き、荷物を降ろしました。末弟とペットに挨拶し、夕食。少し世間話をして、お風呂に入りました。たった3ヶ月ちょっといなかっただけなのに、実家がまるで知らない場所のようで少し目がくらみました。水道はこんな固さだっけ。お風呂はこんな広さだったっけ。
寝るときには、すでに私の部屋は末弟の部屋になっていたので、弟の部屋で寝てほしいと言われました。私を散々苦しめた弟の部屋ですし、何より弟がいた頃はとても臭かったので身構えましたが、敷かれていたのは末弟が使っていた布団で、部屋も無臭を取り戻していたので、思いの外ゆっくり眠ることができました。

実家に居て、いくつか新しい発見がありました。良い発見も、悪い発見も。
まず良い発見から紹介しますと、
「実家は思いの外居心地の良い場所になっていた」ということです。
やはり時間が大切だったのか、母は結構落ち着いていました。弟がいなくなり、夜眠れるようになったからでしょうか。末弟は甘えたは相変わらずで、あんまり勉強もしていないみたいですが、流石に高校生になって部活と勉強が忙しくなり、家を離れている時間も増えて少し落ち着いたように感じます。父は、相変わらずでした。
家を出る前の、空気が張りつめ、喉が締められるようなあの感覚は消えていました。

反対に、悪い発見ですが「両親は私と弟の
確執をただの兄弟喧嘩だと未だ思っていること」です。
弟と鉢合わせることのないよう、帰省の時期をわざわざずらしたのですが、帰省中定期的に弟の話をしていました。
私が受けた傷は相当なものであり、私はもう弟の顔もみたくないし声も聞きたくないし、現状も知りたくありません。興味がない、と突っぱねても話をやめませんでした。
弟が電話をかけてきた時には、「あづさと〇〇(弟の名前)が仲良くなる日がくればいいのにねぇ」と言っているのがイヤホンの音に紛れて聞こえてきました。それに対して弟が何と返したのかは、知りません。
私はもう弟と話すつもりはないので、いいのです。
父も、相変わらず大した問題だと考えていないようでした。また、何か咎められた時に子どものように不貞腐れ、誤魔化す癖はそのままでした。わざと大きな独り言を言ったり、作業の手を強めたり、話題を変えようとしたり。今後も変わりはしないんだなぁ、私はこれからも"これ"に向き合っていかなきゃいけないんだなぁと思いました。

それが、普通なのでしょうか。
世の中の子供は皆、親の愛を確かに感じながらも、親の嫌いな面を真正面から見ながらも、時折帰ったり、親孝行をしたり、面倒をみたり、看取ったりしているのでしょうか。
親からの愛に感謝しながらも、
親への憎しみを腹の中に燃やしながらも、
関係性を保っているのでしょうか。

すごいなぁって、思います。
それが「普通の」家族の形なのでしょうか。
私には、そんなことできるのかな。

親に愛されているということを認めながら、
許すことのできない過去を思い出しながら、
これから何十年と親と向き合っていくなんて、
そんなこと、できるのかな。

そんなことばかり考えていました。

祖父母を訪問したときには、祖父の話をひたすらに聞いていました。
「これは遺言だ」と言いながら、自分の人生と、祖母の人生を語っていました。
母にお前は馬鹿だと言い続けたこと。それで母は馬鹿になったこと。色々です。
横で聞いている母は三角座りをしながら「それはお父さんが」「知ってるかって言われたって、知らないもん。だってお父さん私のことほったらかしにして、今までそんなこと語ってこなかったじゃん」と、まるで子供のように不貞腐れていました。

母はよく、「私は愛されなかった子供だ」と言っています。
そう感じながらも、祖父母の様子をたまに見に行っては、世話をしている。
私もこんな風になっていくのでしょうか。
痴呆が日に日に酷くなっていく祖母と、それを認めず受け入れず「ばあちゃんがおかしくなった」「ばあちゃんがこんなことをした」「俺が物を隠したって言うんだ」と怒る祖父は、
将来の両親の姿なのかな。
疲れながらそれに対応する母は、将来の私の姿なのかな。
そう思うと、なんとも言えない気持ちになります。

でも、帰る日になったときには、やっぱりちょっと寂しくなりました。
家を出たあの日のように涙が出そうになって、ぎゅっと噛み締め堪えました。
たくさんの夏野菜と母や祖父母がくれたお菓子が入ったキャリーケースの重みを感じていました。母の優しさを感じていました。

私は、どうこう言いながら久しぶりに受けた両親からの愛が嬉しいのでした。
リラックスできたのは事実なのでした。

ショッピングに行ったとき、かわいい服を見つけて。
でも手持ちのお金が足りなくて、クレジットもあんまり使いたくないから諦めようとしたときに、
「欲しいなら買ってあげるよ」と母が買ってくれました。
その後、帰りの車の中で「同僚の〇〇さんは、娘さんが帰省で帰ってきたらジェラートピケとか買ってあげるらしいよ」と話していました。
家は貧乏なので、私が帰ってきたからといってジェラートピケなんて買うことはできません。
でも、母なりに、私に何かをしてあげたかったのでしょう。

それはとても嬉しかった。
母なりの愛を、優しさを感じることができた。

これは今電車の中で書いているのですが、
人目もあるのにぼろぼろと泣いてしまっていて恥ずかしいです。

でも、こうやって自分の気持ちを整理して、文章にできて良かった。

またこれから仕事で大変なこと、もう嫌だと挫けそうになることはたくさんあると思います。
とりあえず、実家はそんな時の避難先にできそうだということがわかってよかった。そう思っています。

親との、家族との向き合い方はこれからもゆっくり考えていきたいです。
どうなるかわからない。
またたくさん傷つくかもしれない。
そんなときに感情的になりすぎす、受け止めることができるように
私自身も視野を広げていきたい。
ゆっくり、ゆっくり進んでいけばいい。
そう思います。

とりあえずは、毎夏は帰ってもいいかなと思っています。
暑さにも、仕事の苦しみにも負けないように、
貰ってきた夏野菜を食べて、今回のリフレッシュを新しい力に変えて、
生きていこうと思います。

長々と書いてしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

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