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映画『余命10年』を観て涙を流したことに特別な意味はないけれど

いわゆる「難病もの映画」を好んで観る人の頭の中は、いったいどうなっているのだろうか。ただ単純に落涙によるデトックスがしたい人もいるだろうし、なかには他人の不幸を見ることで自分の人生に何かしらの優越感を覚える人もいるかもしれない。
いずれにせよ、自分は難病もの映画が好きではない。難病もの映画のなかに『火火』(監督:高橋伴明、礒野雅宏/2004)のような傑作があることは理解している。『私の中のあなた』(監督:ニック・カサベテス/2009)だって、どうせ自分は泣かされるだろうと思いながら観に行き、案の定、頭が割れるかと不安になるほど慟哭し滂沱の涙を禁じ得なかった。
でも、泣ければそれでいいのか。難病もの映画は実在の人物がモデルであるケースも多い。実際に病に苦しみ命を落としていった人の姿を劇映画にして、それを健康な観客が涙しながら鑑賞することに果たして何か意味や意義があるのだろうか(芸術に意味はともかく意義を求めるのは野暮だけれど)。
もちろん普段あまり接することのない病気への理解や知識を深めるきっかけになるだろうし、若い観客には他者への共感性を養う機会にもなるだろう。映画に心揺さぶられた観客のうち何人かが、のちに難病の治癒に貢献する医師や研究者になることだってあるかもしれない。
とはいえやはり、進んで観に行きたくなる題材とは思えない。少なくとも自分にとっては。私の好みは、劇中で誰も死ぬことなく、スーパーヒーローも現れず、隕石が地球に激突したりもしない、地味で滋味な映画だ。

というわけで前置きが長くなったけど、映画『余命10年』を観てきた。

SNSを中心に反響を呼んだ小坂流加の同名恋愛小説を、小松菜奈と坂口健太郎の主演、「新聞記者」の藤井道人監督がメガホンで映画化。数万人に1人という不治の病に冒され余命10年を宣告された20歳の茉莉は、生きることに執着しないよう、恋だけはしないことを心に決めていた。ところがある日、地元の同窓会で和人と出会い恋に落ちたことで、彼女の最後の10年は大きく変わっていく。脚本は「8年越しの花嫁 奇跡の実話」の岡田惠和と「凛 りん」の渡邉真子。「君の名は。」「天気の子」など新海誠監督のアニメーション映画で音楽を手がけてきた人気ロックバンドの「RADWIMPS」が、実写映画で初めて劇伴音楽を担当。

引用:映画.com

巷では早くも「難病もの映画としては『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(監督:瀬々敬久/2017)以来の傑作!」と話題になる向きもあるようだが(それにしても「奇跡の実話」をタイトルに入れるセンスのやばさよ)、難病もの映画が苦手な私はもちろん『8年越しの花嫁』を観ていないので比較できない。
でも、なるほど確かに『余命10年』は見どころの多い映画だった。

(C)2022映画「余命10年」製作委員会

まず、俳優陣ほぼ全員がおそろしく「いい顔」をしている。比喩ではなく、一人ひとりの顔つきが他の映像作品でのそれとは明らかに別物だ。
いちばん分かりやすいところを挙げると、黒木華とMEGUMIの顔に注目してほしい。『余命10年』でのふたりは、化粧の具合からして普段テレビや映画で観るのとまったく違うのだが、黒木華に至っては驚くべきことに顔の大きさすら微妙に変えてきている(と感じる。おそらく意図的な役作りとして)。
私は『余命10年』を鑑賞する数日前、偶然にも『リップヴァンウィンクルの花嫁』(監督:岩井俊二/2016)を観ていたのだが、黒木華の「顔つき」のあまりの違いに腰を抜かした。嘘だと思うなら両作品を観比べてほしい。この2作品どちらでも黒木華はウェディングドレス姿を披露しているが、どう観ても別人の佇まいとしか思えない。改めてとんでもない役者だと驚嘆した。

(C)2022映画「余命10年」製作委員会

もちろん主演のふたり、小松菜奈と坂口健太郎も抜群の演技をしている。
坂口健太郎は、『重版出来!』(TBS/2016)が個人的なベスト作品だったが(『重版出来!』の黒木華も超最高)、『余命10年』でキャリア最高の演技を更新したのではないだろうか。顔はたしかに坂口健太郎なのだけれど、部屋の中を歩くだけで運動音痴と分かる所作や、もはや聞き取りづらくさえあるボソボソっとした言葉のかすれ方が新鮮だった。
そして、小松菜奈がこんなにすばらしい女優であることを恥ずかしながら私は今日までまったく知らなかった。抑制された演技、セリフ以上に心情を語る表情と目の動き、発する言葉のひとつひとつに存在感が漲っていた。

(C)2022映画「余命10年」製作委員会

脇役だと、山田裕貴と奈緒の存在感もすばらしい。
特に感じ入ったのは、主人公たちふたりの中学の同級生である山田裕貴。同窓会で何年ぶりかで再会した小松菜奈と坂口健太郎はお互いのことをほとんど知らないうえに、一方は不治の病を抱え、もう一方は親元を飛び出しながら東京での生活に挫折し自ら命を絶とうとするほど思い悩んでいる。そんな感受性豊かで繊細なふたりが偶然出会ったからといって、いきなり話が弾むはずもない。同窓会のあと何度か顔を合わせたところで関係は何も進展を見せない。とてもリアルだ。偶然再開した男女がすぐ恋に落ちるのはドラマの中だけで、現実はこんなものだと強く思わせる。
根本から暗いオーラを発するふたりの間に割って入り、持ち前の明るさと決して物語の主役にはなれない鈍感さ(そしてあふれるほどの優しさ)によってなかば強引に人間関係を展開させていくのが山田裕貴である。この社会ではきっと、小松菜奈や坂口健太郎のような人間だけでは物語はうまく回らない。山田裕貴のような者がいてこそ、その周りにいる人たちの人生が動き始めるのだと確信した(もちろん山田裕貴は山田裕貴で彼の人生の主役なのだけれど、それはそれとして)。

(C)2022映画「余命10年」製作委員会

ところで『余命10年』には、「この世のすべてがキラキラ輝いて見えるような幸福な日々」を描写するダイジェスト的(?)な映像が何箇所か登場する。

(C)2022映画「余命10年」製作委員会
(C)2022映画「余命10年」製作委員会

こうした映像の中の、あまりにもナチュラルな表情ではしゃぎ微笑む小松菜奈の姿を見て、never young beach 『お別れの歌』(2016)のMVを思い出した人も多いのではないか。このMVは小松菜奈の個人的ベスト映像作品のひとつなので、未見の方はぜひ観てほしい。監督は今をときめく奥山由之、衣装は『余命10年』でもスタイリングを担当する伊賀大介である。

そうそう、スタイリングと言えば『余命10年』で小松菜奈が着る衣装はどれもセンス良くいい感じなのだが、何よりグッときたのは彼女が劇中で何年も同じ緑色のセーターを着ていること。シャレた衣装をこれでもかと見せつけたいのか知らないが、シーンが進むたびに不自然なほど役者の服装がころころ変わる日本映画はとても多い。そんななか、小松菜奈がわりと裕福な家庭と見受けられるなか不必要に着る服を変えない(だってそんなに服が傷むような生活を彼女が送っているはずがないのだ)という一点を取り出しても、細部への目配りを感じられるだろう。

(C)2022映画「余命10年」製作委員会

他には、上野や日暮里周辺をメインに据えたロケーションも本作の見どころのひとつ。
映画のファーストショットで一目瞭然だが、『余命10年』には桜というモチーフがある。数多い都内の桜の名所のなかで、たとえば目黒や吉祥寺といった街ではなく、上野と日暮里の桜を選んで映していることに、私はこの作品ならではのリアリティと親近感を覚えた。小松菜奈と坂口健太郎が目黒川沿いを歩いていればそれは画になるだろうけど、そんな光景はテレビドラマで観るので充分だから。
(ただ、坂口健太郎が独立して持った自分の店が江東区(うろ覚え)なのに、ラストシーン近くで店を飛び出した次の瞬間に日暮里の夕焼けだんだん付近で自転車漕いでるのにはちょっと首を傾げた)

(C)2022映画「余命10年」製作委員会

あとはなんだろう。
小松菜奈と坂口健太郎がふたりでスノボに行ってしまったら、それはもうJR東日本の広告じゃん、とか、桜が舞い散る場面でスローモーションになるたびに、いつRADWIMPSの歌が突然流れてきて『君の名は。』的なMVシーンになってしまいやしないかヒヤヒヤさせられるよね、とか、苦笑いしてしまう点がないわけではないけれど、そんなのは別に些細なことだろう。
(ちなみに日本映画においてエンディングテーマがエンドロール前の本編中に流れ始める理由は、作品がテレビで放送される際に楽曲をカットさせないための、つまりアーティストサイドの要請に応えるための対策なのだという話をどこかで聞いたことがある。それによって作品が台無しになることが分かっていてもなかなか抗えないとは、あまりに野暮な商慣習ですね)

やはり難病もの映画は好きではない。
映画『余命10年』を観て、観る前の予想どおり涙を流したけれど、そのこと自体に特別な意味は何もない。けれど、それはそれとして、『余命10年』は観るべき映画で、きっとこれからも思い出すと思う。おすすめです。

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