手で考え足で思う世界
このゴールデンウィークは、妻の実家である益子の陶器市に遊びに行っていました。
義父母も陶芸家なので毎年テントを出しているのですが、日本中から陶芸作家たちが集まって、それぞれの想いを込めた器たちが街中ところ狭しと並ぶ様子は本当に圧巻です。
器というものは、世界中のどんな家庭にも必ずある日用の必需品でありながら、考えれば考えるほどに哲学的な在り方をしていて、街中に並ぶ器たちに囲まれていると、いつも不思議な気持ちにさせられます。
益子と言えば、民藝運動の中心人物の一人である濱田庄司が窯を構えた地として有名ですが、中心人物として河井寛次郎という人もいます。
以前、「からだを育て、腰を育てる」という記事の中で、河井寛次郎の「手考足思」という言葉について触れました。
そこでは触れませんでしたが、元々はこんな詩です。
いやぁ、素敵な詩ですね。もの作りに精力を注ぎ、ひたすらものと真摯に向き合ってきたからこそ出てくる言葉だと思います。
素朴な日用のものに美を見出した民藝の眼差しに溢れていて、世界のあらゆる細部にパーッと気が通ってゆくような、そんな気分にさせられます。
寛次郎がここで描いている「世界」や「形」というのは、きっと限りなく広がった「私の内部」なのですね。だからこそ「私はどんなものの中にもいる」。
外と内とがメビウスの輪のようにつながりあって、外へ外へと行くほどに、私の内へ内へと向かっていく。
だからなのか、この詩を読んだ後にふと辺りを見回すと、その細かなディテールが急に目に飛び込んできて、ぐんと引き込まれる感じがします。
世界の細部に、私の神経や血管がぶわーっと伸びていって、その中に通ってゆくような、そんな感覚。
ただの景色として冷たく存在していた身の回りのあらゆるものたちに、私の神経が通って、私の血液が通って、世界がおもむろに熱を帯びて脈打ち息づき始めます。
そうして「ああ、なんだ。私の一部だったのか」と、改めて気づかされるのです。
現代の都市に生きていると、皮膚の内側の領域だけが「私」だと思い込み始めてしまって、じつは「私」はもっと環境に広がってつながりあっていたということを忘れてしまうのでしょう。
人が周囲の環境ともっとつながりあっていた古代、火も水も風も土もありとあらゆるものたちは生命を宿し、人と交流しながら共に生きているものとして感じられていました。
その時代、人は世界のすべてと気が通い、血が通い、交わす言葉を持っていたはずです。
それはもちろん現代人の話すような明瞭な言葉ではありません。寛次郎の言うように「形でしゃべる 土でしゃべる 火でしゃべる 木や石や鉄などでもしゃべる」ような、そんな具体そのものの言葉たちであったでしょう。
現代人は「抽象度の高い言語」ばかり使って慣れすぎてしまったせいで、「聖堂のレリーフ」や「民具の意匠」や「伝統芸能の舞」といった「具体度の高い言語」がよく分からなくなってきていますし、さらに言うなら「花の香り」や「空の模様」や「山の気配」といった「具体そのものの言語」など、まったく読み解くことができなくなっています。
まあそう考えると「日常のあらゆるものが語りかけてくる」という言葉の意味自体が分からなくなってしまうのも仕方のないことなのかも知れません。
それらを読み解く鍵であった「身体操法文化」も、どんどん様変わりして失われつつあるわけですし。
世界の語る具体の言語を聞き取って世界の解像度を上げていくためには、もっと具体を生きる必要があって、具体を生きるとは即ち「からだ」と「五感」を使って暮らしを生きることに他なりません。
地球環境と共生しながらこの世界をもっと豊かに生きていくために、私たちは「手で考え足で思う生活」を取り戻す必要があるのかも知れません。