良い人が良い子育てをするとは限らない
子育てというのは難しいもので、良い人が良い親になるとは限らず、良い親が良い子育てをするとも限りません。
まわりも認める良い親であったとしても、その子どもが問題を抱えて荒れてしまうこともあるでしょうし、まわりが思わず眉をひそめてしまうような親であっても、その子どもが優しく利発的な子に育つこともあるでしょう。
もちろんその要因にはさまざまなものが絡んでいて、一概にこれが理由と言えるようなものではありませんが、一つ言えることは人間あるいは人間関係というものは、必ずバランスを取ろうとする作用が働くということです。
つまり、ある傾向が強くなればなるほど、その逆の傾向もまた強くなるということで、たとえば自分が良い人であろうとすればするほど、羽目を外したくなる要求が高まってきたり、相手が真面目であろうとすればするほど、それを茶化してみたくなったりもするわけです。
子どもに「こうしたら?」とか「こうしなさい」とか言えば言うほど、逆の方向やまったく関係ない方向へ向かおうしてみたり、「やりたいようにやれば良いんだよ」と声を掛けると、かえって無難で当たり前な選択をしたりするなんていうことは、よくあることでしょう。
少なくともウチの子はそんなことばっかりです(笑)。
「眠っちゃいけない」と思いつつ眠ってしまう授業中の居眠りや、「我慢しなくちゃだけどチョットだけ…」と言い訳しつつ頬張るスイーツが、何とも快楽であったりするのも、そんなことの現われであるのでしょう。
そもそも私たちが幼少期に一生懸命に立ち上がろうとすることだって、ひょっとしたら地球が引力によって私たちを大地に押しつけようとするから、その反抗のつもりであるのかも知れません。
人というのは、隣の人が泣いていれば励ます側に回ろうとするものですし、隣の人が焦っていれば「まあ大丈夫だよ」と呑気なふりをするものです。
それは、そうやって全体としてバランスを取っているとも言えます。
ですから子どもも、すべてをきっちりやろうとする親に対してバランスを取ろうとして、あえてだらしなくしなければと思っているのかも知れないし、まただらしない親の姿を見てそのバランスを取ろうとして、しっかりしようとしているのかも知れません。
ありがとう。子どもたち。おかげで今日も賑やかで平和な一日だよ。
良い母親であろうと一生懸命頑張っている方からご相談を受けたときに、私が「たまにはすべての家事を放棄してぶっ倒れてみたら良いですよ」と言ったりするのは、そうして初めて気づくことが家族の側にもあるからです。
全体のバランスを取るために自分がどちらかの極に片寄るという身振りは、全体としては良いことかも知れませんが、個人としてはやっぱり偏りでしかないわけで、それで個人がしんどくなったり具合が悪くなるなら、やはり全体でバランス調整しなければいけないことなのです。
みんなのために頑張りすぎている人は、たまには駄々っ子のように暴れたりして、頑張る役を相手にパスしてみることも良いのです。
赤色をしばらく見た後に目をつむるとそこに補色である緑色が見えてくるように、相手に何かを与えたり教えたりするときには、潜在的にはその逆方向に向かってバランスを取ろうとする力も引き出しているのだということ。
親子で、夫婦で、心身で、意識と無意識で、つねに「順」と「逆」が同時に動いているのだということは、覚えておくと良いと思います。