マガジンのカバー画像

人のこころとからだ まとめ

61
私たちの「こころ」や「からだ」について書いた文章をまとめています。こころとからだは、一つの現象の二つの現われであると思っています。人という営みは、個人のこころとからだを通して、多…
運営しているクリエイター

#野口晴哉

暮らしの体育

野口整体は「療術」ではなく「体育」というのがその立ち位置なのですが、創始者である野口晴哉(はるちか)は、たびたび「女子の体育」ということを提唱していました。 現代の日本で「体育」あるいは「運動」と言ったときに、多くの方がイメージされるのは「競技体育」のイメージではないかと思います。 「競技体育」というのは、それぞれが持てる体力や技術を出し合って競い合い、その優劣をつけて愉しみ、そして切磋琢磨し合う、そのようなからだを育てようという体育です。 それはある意味「競うからだ」

いつかの言葉【世阿弥】

 世阿弥(ぜあみ)といえば、言わずと知れた室町時代の能(猿楽)の大スターですが、彼は後進のために多くの能の伝書を書き残しました。現在でも使われる「初心忘るべからず」とか「秘すれば花」といった言葉も、世阿弥の言葉です。 彼の伝書は、能の稽古について書かれたものですが、そこで説かれていることはあらゆることに通じるとして、現代でもさまざまな芸事や運動の稽古においてよく引用されています。 伝統芸能の世界では、きわめて幼少の頃から稽古をしていくこともあって、伝書の中には小さな子ども

乾くということ

1.冬の乾きこの季節、非常に空気が乾燥していますが、私たちのからだも思っている以上に乾いています。 肌が荒れたり、指先がひび割れたり、唇が切れたり、目が疲れやすかったり、頭が重かったり、気持ち悪かったり、痰が絡んだり、鼻水が出たり、手足が冷えたり、足をつったり、風邪を引きやすかったり…。 もし最近そんな変動があるのなら、乾きの影響が出ているかも知れません。 冬の乾きというのは、何故か私たちはあまり自覚できません。 夏に汗をかいて水分が足りなくなるのは「ノドが渇いた」

引き算の美学

日本文化の様式が語られるときに、「引き算の美学」という言葉で語られることがあります。 これは整体の創始者である野口晴哉の思想が語られるときにも、しばしば用いられる言葉ですが、私たちはより良い物を作ろうとするときに、良い物をアレもコレもとどんどん付け足していく、そんな「足し算」的なやり方をしていきがちです。 ですが、前回の記事(「人を育てる結界術」)で紹介したエピソードにも通じますが、日本文化や日本の美意識というのは、その逆にむしろいろいろな物をどんどん引いていく「引き算」

癖や歪みといった滑稽を愛す

『野口整体の「方法」講座』が、おかげさまで無事に盛況の内に終えることができました。ご参加いただいた方々ありがとうございました。 とりあえず、野口整体というメソッドの滋味豊かな断面というものを、みなさんにお伝えすることができたかなと、少なからぬ手応えを感じられたような気が致します。 『山上亮』というフィルターを通して見える野口整体の景色は、おそらくかなり独特に歪んでいたり、色づいていたりするのだと思いますが、そういう独特な歪みや癖をみなさんに愉しんでもらえたのなら、私も本当

冷えるということ

街の植え込みをふと見たら、彼岸花たちが一斉ににょきにょきと地面から顔を出し始めていました。 私は彼岸花を見ると、まるで妖精のような不思議な生態と、その名前と佇まいに微量に漂わせる彼岸の雰囲気に、遠い思い出のような何とも言えない不思議な気分になるのですが、みなさんはどうでしょうかね? 東京は日中まだ暑さの残る日もありますが、彼岸花や百日紅といった花たちが咲き始めるのを見ると、そんな中でも自然は着々と次の季節の準備をしているなぁと改めて気づかされます。 そうやって徐々に秋の

こんな夢を見た

1.こんな夢を見た愉気の会の日の夜、こんな夢を見ました。(2017年秋のこと) それぞれ悩みを抱えたいろんなヘンテコな仲間たちが、2~30人くらいで真っ白い教会のようなところで、いろんなワークをしながら一緒に暮らしているのです。 ヘンテコな仲間たちというのは、人間だけじゃないからです。クマのぬいぐるみや、他にもなんやかんやといろいろいるのです。(詳しいことは目覚めたら覚束なくなってしまって忘れてしまいました…) そのなかで特に印象に残っているのは、そのクマのぬいぐるみで