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「共感」と「反感」という2つのベクトルは、私たちの営みのあらゆるところで働いていて、そのどちらも非常に大切な働きを担っています。 たとえば私たちが何かを「食べる」ということは、食べ物を吸収して自分自身に取り込んでいるのですから、それは食べ物に「共感」していると言えます。 たいして私たちが何かを「考える」ということは、私たちの中にある漠然とした概念を、言葉として吐き出し、外側から客観的に捉え直すことですから、それは「反感」の働きと言えます。 シュタイナーの考えでは、幼少時
日本文化の様式が語られるときに、「引き算の美学」という言葉で語られることがあります。 これは整体の創始者である野口晴哉の思想が語られるときにも、しばしば用いられる言葉ですが、私たちはより良い物を作ろうとするときに、良い物をアレもコレもとどんどん付け足していく、そんな「足し算」的なやり方をしていきがちです。 ですが、前回の記事(「人を育てる結界術」)で紹介したエピソードにも通じますが、日本文化や日本の美意識というのは、その逆にむしろいろいろな物をどんどん引いていく「引き算」
ある方が、自宅の部屋を近所の子どもたちに「遊び場」として開放していました。 私物もいろいろあるので、開放するときには私物をその部屋の片側に全部寄せ、そこにヒモを張って「触らないでね」というような注意書きを書いていたそうです。 ただ子どもというものは、ダメと言われれば気になるもので、そんなところにもちょこちょこ入り込んでくる。イタズラっ子でもいればなおさらです。それでそのたびに「こっちは触らないでね」といちいち注意をしていました。 でも、そんなことがたびたびくり返されるう