見出し画像

「スーホの白い馬」はトゥバの民話だった可能性について、その後

「スーホの白い馬」の原作についての読書感想文考察もどき、の続き。

先日のまとめの最後に「チャハルに伝わる「スーホの白い馬」がトゥバのイギル起源伝説より「馬頭琴」に近い場合は、トゥバの話が直接元ネタになった説は即否定されるであろう」と書きました。
その後SNSでばくし@モンゴル音楽さんに頂いた情報の中にさらっと

モンゴル国の音楽学者エルデネチメグ氏(ちなみに女性です)が『Khuuryn tatlaga』他に載せているスーホの白い馬とほぼ同じ馬頭琴起源譚ですが

という一文があり、更にはチャハル部を構成していた8つの集団のうちの1つに伝わっていたものともご教示いただきました。

「ほぼ同じ」話があるのに、なぜ「モンゴル国はもちろん、中国内モンゴルにおいても「スーホの白い馬」という物語は存在しない」(ミンガド2021まえがき)とか、「モンゴル民話であるはずのこの物語を、日本に来たモンゴル人たちは知らない。モンゴル国にはそういう題名の民話はないし、現在の内モンゴルのモンゴル人に至っては、「スーホの白い馬」という話は日本でつくられ、中国に伝わったのだと言う人までいる」(ボルジギン2015 p.37)という表現になったのかふしぎでなりません。

「ほぼ同じ」話が収められているKhuuriin tatlaga (Хуурын татлага)(馬頭琴の旋律)というモンゴル語の書物の取り扱いについて、ミンガド・ボラグ氏が言及したこの部分にあてはまったのでしょうか。(引用はそれを指摘した内田2022から)

「筆者も藤井氏が引用している話を含めて馬頭琴の起源伝説であると考
えられるモンゴル語の文献を多く所有しているが、その多くが採話された年代や場所が明白ではないうえ、すべてが1980年代以降に出版されており、本当に伝説であるかどうか判別するのが難しいので本稿では参考にしなかった」と研究対象からはずしている。

出典は内田2022、括弧内はミンガド2013からの引用

(その後もコメントを頂きました。まさにこの引用のような理由で、中国語版「馬頭琴」からの逆輸入を疑われ資料からは除外されたようでした。まだトゥバのイギル起源伝説が確認できる最も近い「元の話」の可能性は残されているようです。ソイルト氏やミンガド・ボラグ氏が現地で採集した「元の話」とみなされる民話の詳細がますます知りたくなりました。2024年9月12日追記)

また、先日のまとめの最後ではチャハルとトゥバの口伝のつながりがいつのことであったかは分かりようがないと思って放り投げていた箇所について、ばくし@モンゴル音楽さんに参考になる意見をお寄せいただきました。

更にソイルトさん、内田孝さん、内田敦之さん、ミンガド・ボラグさんが集ったかつての講演会の情報まで頂いて感謝頻りです。こちらはミンガドさんの著書をめぐっての会だったとの事、その内容を知ることはできません。お話伺ってみたかった!!

関連する投稿をtogetter(リンク限定公開)でまとめました。


参考文献:
ミンガド・ボラグ 2021『日本人が知らない「スーホの白い馬」の真実』扶桑社
ソイルト 2022 ミンガド・ボラグ著『日本人が知らない 「スーホの白い馬」の真実』の真相 日本とモンゴル142号 pp184-192
内田敦之 2022《書評》:ミンガド・ボラグ著『日本人が知らない「スーホの白い馬」の真実』「スーホの白い馬」は本当にモンゴルに存在しないのか?
日本とモンゴル142号 pp193-197
ボルジギン・ブレンサイン「日本版「スーホの白い馬」と中国版「馬頭琴」の物語」ボルジギン・ブレンサイン編著「内モンゴルを知るための60章」明石書店、2015 pp37-40

(未読)
Erdenechimeg, L., Khuuriin tatlaga, Ulaanbaatar, 1994
藤井麻湖 2003 「馬頭琴伝承」『モンゴル英雄叙事詩の構造研究』風響社
内田 孝 2017 「『馬頭琴』物語と『スーホの白い馬』の派生と伝播に関する研究―原典と翻訳、絵画を用いた比較考察―」『日本とモンゴル』第52巻第1号 (135号)pp26-52


見出し画像は楽器を弾くホーメイ歌手の像(トゥバ共和国クズル市の青年会館の展示より 2019? 筆者撮影)


いいなと思ったら応援しよう!